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コンプレックス、隠すか出すか、その間か

私の腕には大きめの傷痕があります。
小学生のときにできたものが、消えずにまだ残っている。

もう人生の半分以上を共に過ごしてきたので、自分としてはそれほど気にしていません。
親からは、手術で取ればと言われたけれど、怖いし面倒だし特に取ろうと思わずにやってきました。

でも、「気にしていない」と言いつつ複雑なところがあって。
夏になって傷痕があらわになることがあると、それを見た人からほぼ確実に
「それどうしたの?大丈夫?」と言われます。
中には「痛そう」と言う人も。(実際は痛くない)
そうか……痛々しいのか。

そういう経験が積み重なってくると、別にいちいち答えてもいいけどなんか気にされるの面倒だな、となるわけです。
痛そうだと思う人がいるなら、中には気持ち悪いと感じる人もいるのかも。
そんなことも考えるようになり、夏でも傷痕がほとんど隠れるような服をだいたい選んで着るようになりました。

それが、あるとき職場の上司から
「今袖からチラッと見えたの、傷痕? なんか色っぽくていいわね」
と言われました。

友だちのなかには、「その傷痕かっこよくて好きだよ」と言ってくれる人もいました。

仕事で出会った子どもは、傷痕を見つけるとたどたどしく「痛い?」と聞いてきました。
「もう痛くないよ」と伝えたら、笑顔で傷痕をなでなでしてくれました。

うちの夫は初めて見たときも、「それどうしたの?」などは一切聞いてこず、私が傷痕のケガの話をしても「そうだったの、そりゃ痛かったねぇ」と笑ってくれました。

それどうしたの?と聞かれるのも当然だと思うし別に嫌なわけではない。
けれど、私の傷痕を異質なものとしてじゃなく受けとめてもらえたと感じられた経験の積み重ねは、少しの勇気を与えてくれました。

まだ傷痕が隠れる服を選んでいるけど、仕事などで袖が短いのを着たいなと思うときなどはそうできるようになった。
どう思われたとしてもまぁいいや、と思えるようになった。

別に傷痕を無理に愛さなくてもいいと思うけど、向き合い方はフランクになったと思います。
適当に客観視できるようになったというか。

このまま隠れる服を着続けるとしても、私も他者にほんの少し勇気を与えられる人でありたいな、とは思っています。


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