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【保育の場から】小学生の繊細な気持ち

つい先日、子どもたちの表現を認めることの難しさを感じていた話を書きました。

前回はワークショップの幼児クラス(4~6歳)での体験を書きました。
今日はその続き、小学生のお話。

小学生にかける言葉には、幼児さんとはまた違った気の遣い方がありました。
小学生は、自分の表現や創作したものを他者の視線にさらされる経験をしています。
学年が上がるほど、評価されたり、友だちの不用意な言葉に自信を失っている人もいます。
だから、余計に「上手」とか、なにかを決めつけたりしない言葉づかいで、できあがったことを共に喜べるようにと自分たちなりに考えていました。

造形のワークショップで好きなものを好きなだけつくる、というときにあった出来事。

4~5年生くらいの子とお話ししながらつくっていたとき。
「私、ものつくるの大好きなんだ~」と教えてくれました。
その子が嬉しそうに「できた」と一言。
できた作品を自由に飾るスペースがあったので、「素敵なのできたし飾ってきたら?」と提案しました。
すると「ううん、飾らない。見られたくない」

大人…というか運営側としては、せっかくだし飾ったら…と一瞬よぎったのですが。
子どもだったときの自分が姿を現した気がしました。
あ、私もかつて、そうだったかも。
そしてその子に
「そっか、好きなものつくって、自分で楽しむのが好きなのかな?」
と聞くと
「うん、そんな感じ」と照れたように微笑んでいました。
「うーん、その感じ、とてもわかる気がする。私も小学生のときそうだったよ」
そう伝えると、「ほんと?」と少し嬉しそうに笑ってくれました。


ときには、学童保育に出張してワークショップを行うこともありました。

その場合、中にはそこまで乗り気じゃないけどみんなが出るなら…くらいのモチベーションの人も。

あるとき、ある程度仕上げたあと、つまらなさそうに机に伏せようとしている子がいました。
だけどその仕上がりに工夫が感じられて素敵だと思ったので素直に伝えました。

「わ、ここ、こういうふうにしたんだね。おもしろいね、私それ好きだな」

するとその子は起き上がって少し微笑んで、続きをやり始めました。

そのワークショップが終わり片付けをしていると、その子が寄ってきて話しかけてきました。
「次にワークショップがあるときも、先生が来るの?」

「うーん、次も私が来るかはまだわからないんだけど、また会えたら嬉しいな」
そう答えると、ニコッとしてうなずき、去っていきました。

私が来たらいいな、っていう意味だと思っていいのか…?と考えつつ。
もしそうだとしたら。
あの子は、あのほんのちょっとの言葉かけが嬉しかったのかもしれない。
普段あまり自分のしたことにコメントされたり認められる機会が多くないんだろうか……と、考えてしまいました。

さらに、やる気がなさそうに見える子にも実は理由があって、大人側が気持ちをうまく盛り上げられてない場合もあるのだろうと感じました。

中には、そのまま中高生になって、どうせ自分なんか…みたいな気持ちを引きずってしまう人もいるよな、と思うと。
もったいないなと感じます、とっても。

教育現場のいろいろなことについて意見できるほど知識が豊富ではないのでここでは控えますが、子どもも教育者も、みんなが楽しくて心地よい形ができていくように…と願っています。

子どもは次の社会そのものなんだもの。
そっちに注力しないでどうするんだ。
エライ方々、お頼み申しますよ。

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