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父との会話を楽しむことができた話

先日、父とふたりでお茶をする機会がありました。
そんなの、過去にあったかな?というくらい珍しい出来事。

実家に住んでいた頃は、母が不在でふたりで食事することはあったけど、わざわざふたりで会ってお茶を飲むだなんて。

いただきもののお裾分けをしたく、早めに渡したいけど母の都合が悪いとのことで、父が持参してくれたのでありました。
(実家がわりと近いのでお裾分けをもらう機会がままあるのです)

最近の父娘事情は知りませんが、私の時代は娘は父親とはそんなに仲良くないおうちが多かった。
私も、そう。
すごく仲が悪いわけじゃないけど、冷たくしていた時期があった。
特別厳しくされたわけでもないし、なんなら優しい人なのだけど。

母の繊細な性質から生まれる父への小さな不満の積み重ねがあり。
さらに私は母と仲が良く、母側の意見を耳にする機会が多かったこともあるでしょう。
(世の保護者の皆さまは、子どもに対して身内の愚痴を言うことにもう少し自覚的に気をつける必要があると思う)

また父には少し頑固な側面があり、議論が成立しないと腹を立てたこともあったしガッカリしたこともあった。

そんなちょっとしたことの積み重ねから、私は長く父とふたりきりになることがちょっと苦手でした。

父に対する気持ちのいちばんの変化は、私の結婚後に起こりました。
ひとつの会社に勤めあげ家庭を支え私を大学まで行かせてくれたことも、母の夫として見せていた優しさも、普通のことと思っていたけどそれがどれだけ偉大なことであるかを感じたからです。

さらに実際、年齢を重ねるにつれて丸くなったり定年退職後には家事の負担もするようになったとのことで、より関わりやすい人になってきたのもあるのでしょう。
母もそれを感じているようで、家庭の雰囲気も丸くなってきていました。

父とふたりきりでのお茶は、楽しい時間でした。
他愛ない話、近況や趣味のことや懐かしい昔話など、なんの気まずさもなくできました。
どうして以前は父との会話が面倒なつまらないものだと感じていたのかな?と思ってしまった。

まぁ…私の心の壁と、それを感じていた父のためらいや遠慮や頑なさみたいなものが影響していたのかな。
頑固なのは当時の私も同じだったということなんだな。

会話の途中で頑固な人の話になったときに父は
「かつての僕と同じじゃないか」
と言って笑いました。
頑固だったという自覚があるわけね、とちょっと笑ってしまった。

こんなふうに会話が楽しめるなんて。
私の態度で父に悲しい思いをさせたこともあったんじゃないかと少し気にしていた。
こうして仲良くできることで、少しは父の抱えた悲しさが癒されてくれたらと思ったり。

こういう時が訪れるなら、年齢を重ねるのも素敵なことだなと感じました。
同時に、ここまで家族が元気でいられていることにもあらためて感謝したい。

また父とのお茶の機会があっても、いいな。


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