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【保育の場から】表現を認めるって難しい

子ども向けのワークショップのボランティアをしている頃、自分を含め携わる人たちに共通の難問がありました。

それはこの2つ。
①子どもたちにかける言葉のバリエーション問題
②なにつくったの問題

ちなみに今回語ることは、おもに私たちと人間関係のできあがっていない子ども達に対して感じていたことです。
毎日(もしくは何度も)会って人間関係ができあがっており、子どもの性格を把握している場合にはもう少し言葉もかけやすいかと思います。

①子どもたちにかける言葉のバリエーション問題

基本的にその団体では、子どものあらゆる表現を認める、ということにしていました。
子どもの新しいアイデア大歓迎。

なので、造形ワークショップ等で子どもがつくっているものに対しては「いいね!」のメッセージが基本になるわけなのですが…
やっていくうちに、それを伝える言葉のバリエーションの少なさが気になってくるわけです。

当時はまだ子どもに関わり始めたばかりの頃。
うっすらと「うまい」とか「すごい」とかの言葉遣いがあまりよくないということは知っていましたが、そうするとさらに少なくなる。
(心から出ちゃった「すごーい!」みたいなのはいいのでは?説もあった。どうなんでしょう)

バカみたいに「いいね」「素敵だね」「それ好き」みたいな言葉を繰り返してしまう…これでいいのだろうか…と、ちょっと悩んでいたのです。
その子にとってやる気の出る言葉、嬉しい言葉がなんなのか、探り探りです。

ありのままを口にするだけで十分、という話を聞いて
「たくさん丸が描けたね」とか「いろんな色があるね」など、できている状態から言葉をかけてみたりして。

とにかく、「あなたの表現を見ている、そして認めている」というメッセージが送れれば、なんでもいいのかもしれないのですが…

②なにつくったの問題

これは、作品に対して「これはなに?」と聞くかどうかということです。

「見て見て、これはね…」と自ら教えてくれるお子さんならいいのです。
中には、特になにをつくろうと考えずに造形ができあがる場合があります。
感覚的に好きな形、好きな色を追求していったらこうなった、みたいな。
それはそれで素晴らしいことですので、それをまるごと認めたい。

大人が「なにをつくったの?」と質問することによって、「なにか」をつくらないといけない、という刷り込みがされるのは避けたいわけです。
だけど、なにかをつくったから話したいけど慣れていない大人相手だから自分からは照れて言い出せない、という人もいる。

さぁ、目の前にいるお子さんのタイプはどっちだ!?
じりじりと探る時間。

私がやってみたのは、それが「なにか」に見えた場合に「これ、○○みたいに見えるね」とか「ここが○○みたいだね」と自分の感想を伝えてみるというもの。
そうすると「違うよ、○○なんだよ」とか「そうだよ」とか教えてくれて話が広がる。こともある。
なんだか反応が芳しくない場合には、「なにか」をつくったわけじゃないのかも、と判断し、その子がたくさん手をかけている部分の感想を言っていました。
「すごく大きいのできたね」とか、「たくさん貼り付けたんだね」など。

これが正解かはわかりません。
ただ、自分の作品について本当は語りたかった人には、語るきっかけづくりになってよかったように記憶しています。
自分の作品について語りたいにせよ語りたくないにせよ、私たちの存在が、自分を思いっきり表現しそれを認められるという、子どもたちの大切な時間に役立てるようにと、みんなが一生懸命考えながらやっていました。

と、ここまで書いてきたのは幼児さん(そのクラスでは4~6歳さん)に向けてのことです。
ワークショップでは幼児さんだけでなく小学生を相手にすることもありました。

小学生にはまた違った葛藤があるのですが…
長くなりましたので、それはまた次の機会に。

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