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星野源が開けたかもしれない私のパンドラの箱

先週、4年ぶりに星野源さんのライブに参加した話を書きました。

そこで「コロナ禍で私は意外としんどい気持ちを抱えていたことに気付いた」みたいなことを書いたのですが。
その後日談といいますか、そんなことを今日は書きます。

タイトルにあるように、私はライブで自分のなかのパンドラの箱が開いてしまったような感覚に陥りました。
少し楽になってきたから書けるんですが、後日すんごく落ち込んでしまったんです。

いや、なんでよ自分?
元気が出たんじゃないんかい。
と、激しく突っ込んだんですけどね。

どうやら、自分がしんどいことに気付いたら、ここまで自分に対してもひた隠しにしてきた心の澱みたいなものが、パッカーンと箱が開いて出てきたみたい。(勝手な自分の解釈)

源さんの歌詞が、気付いたしんどい心情に寄り添うような優しさを持っていて、染みて染みて仕方がなかった。
私ってば疲れてたんだね、よく頑張ってきた……
うん、しんどかった…ていうかしんどいよね、本当は疲れてるよね(泣)
みたいな流れだったかと思うのですが。

さらには日頃から仕事で酷使している膝を、ライブでのリズム取りが最後の一押って感じで傷めてしまい、一時膝がパンパンに。。
リズムを膝で取るタイプなのですが…これまで一度だってこんなことなかったのに!!(泣)

そして重めのものもらい発症、さらに仕事で子どもから風邪をもらい(コロナじゃなかった)喉の痛みと鼻決壊で大変なことに。。(現在進行形)

そんなこんなの心身両面のダメージにより、久しぶりのメンタルデフレスパイラルでした。
日頃は考えを切り替えられる場面でもそれが難しく、そしてうっかりSNSで希死念慮と闘い続けてきた方の心の葛藤をつづった名文に出会い、怖すぎて目の前の世界の見え方が変わって飲み込まれそうだった。

前回の文章を書いたときも、すでにちょっと調子が悪く、まだ熱く語りたいことあったなぁ…と思いながらも加筆・推敲する元気がなくてあげてしまった。

でも。この一連の流れはきっと自分にとって必要で、ここで澱を放出することができたのはとても良かったと思っています。
なんならまだ鼻水と一緒に放出は続いているかも。
症状は悪いことじゃないといいますしね。

相変わらず源さんは、私の心のなかの、自分でも忘れて(または気づかないフリをして)いた柔らかい部分に優しく触れていくのです。
源さんのデトックス効果と浸透力、ハンパなーーーーーい(懐かしい)

パンドラの箱から全部のものが出ていった後に残るものは……「希望」でしたっけ?
※諸説あり

社会には災厄だらけだけど、個人の心には希望がある、なんて、源さんのメッセージにぴったりですね。
本当にそうだとするなら、出し切るのが楽しみだわ。

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