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【保育の場から】子どもにかけたい言葉は私にかけたい言葉かもしれない

子どものワークショップボランティアを始めたころ、不思議な感覚にとらわれることが多くありました。

子どもがうまくできなかったことに対して
「失敗してもいいんだよ」「間違えても平気だよ」「できなくてもいいよ」
などと言葉をかけるとき、自分が少し癒されたような、泣きたいような気持ちになることがよくありました。

自分のなかにまだ存在している、小さな子どもの自分に対して言ってあげているみたいな気持ちになったのです。

ワークショップの団体の上層部の方とお話をしていたときに、私が「私なんて大して知識もないし…」などと自分を卑下するような発言をしたときに言われたことがあります。
「私なんて、という必要はまったくない。自分のことを認めていないということは、子どもと関わるときに子どもにばれてしまうよ」。

ばれた結果どうなるのか、ということまでは話してもらえませんでしたが、心に残りました。
自分のことを「できるできない」で判断するものさしを持っているということは、他者に対しても自覚なしにそうしてしまうことがある、ということでしょうか。

子どもに対して「あなたは存在するだけで価値がある」と伝えたいのに、自分のことはそう思えていなかったら?
確かに、本当にそう思っているかどうかは、感覚的に子どもにばれてしまいそうな気がします。

そこで今、「失敗してもいいんだよ」と子どもに対して本気で言ってあげられるということは、私にとっては大きな意味のあることでした。

自分のことを許すと決めた現在、子どもに心の底から、「失敗してもいい」と言うことができます。
失敗したら、「もう1回やってみよう」です。
こぼしたら、「拭けばいいんだよ」です。
できなくたって当たり前、最初からなんて無理だから大丈夫。
一生懸命やった結果なら、いいんです。
これも自分に言いたいことかも。そしてあなたにも。


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