ヨガ哲学と日常のぐだぐだ-いくらが相場?ドネーション-

ドネーション、チャリティ、投げ銭、お気持ちを。
といわれても、いったい気持ちってどのくらいよ。
皆がどれくらい払ってるのか気になったり、
寄付の平均値を検索してみたり、
きっちり料金書いてくれたほうが、わかりやすい!
ってもやもやしてる人も多いかと。

これくらいっていう平均値もないし、
これくらいは払ったほうがいいっていう最低値もないし、
こんだけ払ったら凄い!っていう最高値もない。
これが正解っていうのもないし、
お金じゃないといけないということもない。
私も正解なんて正直わからない。

私がヨガを学んでいるグルクラもドネーション。
勉強してる間は、ずっと先生の家でお世話になり、
3食のご飯も寝る場所も、全部与えてもらい、
そして、毎日朝のアサナの練習に始まり、哲学、チャンティング、
瞑想・・と常に誠心誠意をもって教えてもらう。
プライスレス・・以外に表す言葉がないのだけども・・
帰るときに、グルジにダクシナ(ドネーション)を渡す。

グルジは、常に、お金がなくても大丈夫。
勉強を真剣にすることが大切。っていつも言う。
グルジが哲学の知識をシェアするのは、自分のDutyだ!
すべきことをしている。ただそれだけ、
だから、お金は関係ないと言う。
お金じゃなく、掃除や、家のお手伝いすること、
それもドネーションだよという。

それでも、ドネーションの額に、結構色々、ぐだぐた悩む。
1か月の寮などの相場料金とか、1か月の食費を換算したり、
授業代金もこれくらいかな?と色々頭を使って考えた。

これくらいだと、少ないと思われるかな?とか、
ちょっとセーブしたいなーとか、色々私利私欲な、
打算的な感情が出てくる出てくる。

今月はお金ないし、お手伝いで払おう!
いやまて、それは、グルジに甘えてるんじゃないのか。
払おうと思えば、払えるんじゃないのか?とかぐるぐる。

私は本当に、いったいどれくらい渡したいのだろう。
ということがさっぱりわからない。
自分の気持ちがわからない。
世間の常識、世間体、いろんなものが邪魔をする。
お金の概念とお金への執着が邪魔をする。

最近は、あまり考えなくても、渡せるだけ渡したい。
のような、シンプル思考だけども、
結局、未だに自分のドネーションに対する、
心持や、あり方がいいのか、悪いのかわからない。

決まった額のないドネーションを行うことにより、
自分の本音とか、打算的な面とか、色々と向き合って、
頭で考えずに、心に向き合う。というのが大切なのかなと思う。

私利私欲、損得勘定、エゴ、貪欲さ、色々捨てさって、
自分も心からHappyに、感謝をあらわす。

多くドネーションしても、心のなかで、
本当は、そんな余裕ないのに・・とHappyじゃないのは、
タマシック(よい流れをもたらさない)なドネーションとされている。

やっぱ、なかなか簡単なようで難しいドネーション。
頭で考えたところで、理解はできない。
実際に払って、あー私ケチやわーとか、
払いすぎて、いいように見せようとしすぎた、、とか。

自分に正直に感謝の気持ちをもって渡せたときは、
なんか凄くHappyな気分になる。
お金って概念はどっかにいってる気がする。
あくまで感謝を伝えるツールとして、存在してる感じ。
そして、学んだことを、伝えていきたい!と強く思う。
与えられたものを還していく。
自然の循環と一緒、与え与えら、回していく。

行動、行動、何事も行動あるのみ。

Ashtangayoga Shraddha
YUKI


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?