め:目に見えない大切なこと。

やさしさとは、「自分以外の誰かのために戦えること」なのかもしれない。

たびたび書いているが、「血界戦線」というアニメが好きだ。その中でも「レオナルド・ウォッチ」というキャラクターが好きだ。友達のためにバーガーを買いに行ったり、妹の目を治すために奔走したり、とにかく人のために優しい。大切な人が理不尽な目にあっていたら、その理不尽のために怒ることができる。かといって、この少年が戦いに強いわけではない。強い立場にいるわけでは決してないのに、弱い者のために怒ることができる。

 自分は友達が理不尽な目に合っていて、私はこんな風に助けられるのだろうか。理不尽な目にあったことを共感して話を聞いてあげることはできるかもしれない。でも、その友達のために怒ることはきっとできないと思う。

私はそういう争いごとを避けてきたし、相手の評価を覆すよりも、避けるほうが無難だと思っていた。私は友達のために(あるいは自分のために)大切なものを守りきれたといえるのだろうか。

強い-弱い関係というのは、誰から見ても明白で、それを価値観の前提に置きやすい。特に子供のころには、その強さに目がくらんで、自分がダメなのかもしれないと思ってしまう。

でも世の中は、強い人が絶対というような簡潔なものではない。
大人になってから、強いと思っていた人が、強いわけではなく強がっていたのだと知るし、弱い立場の人が本当は自分にとって大切なものを守っていてかっこよかったことを知る。

見方を学ばないと、見えない世界がある。
相手の立場になって、初めて経験できる世界がある。

力関係だけでその人の評価は決まらない。
負けていること=評価が低いではないし、そんな世界に身を置くべきではない。ついつい、強いものの言っていることが正しいように聞こえてしまうけど、悪いものを受け入れないように自分の芯をもっと強く持たないといけないなと思う。

価値観を広げていくことが相手の立場を想像する足掛かりとなって、やさしさの土台になっていく。
やさしさとは、人のことを思いやれることとばかり思っていたけれども、人のために戦うことを考えれば、誰かに怒りをぶつけることも誰かに対するやさしさなのだろうと思う。

自分の中のやさしさを少しでも増やしていけるように、人の考え方を少しでもわかっていけるようになりたい。

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