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コンスタブルとジェーン・オースティン

今、英国の小説家、
ジェーン・オースティンの
「高慢と偏見」を読み返しています。

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先日コンスタブル展を見に行った時、
年表を見ていて、
コンスタブル(1776-1837年)が
ジェーン・オースティン(1775-1817年)
と同時代に生きていたことに
気がつきました。

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ジェーン・オースティンは
18世紀後半から19世紀前半の
イングランドの田舎での
中流社会の人々の生活の様子、
特に女性の生き方の描写が印象的な作品を
残しています。

(彼女自身が中流〜中上流社会の家庭の出身で
その階級に焦点が当てられています)

特に有名な「高慢と偏見」は
1813年に出版されていますが、その冒頭には
「財産のある独身男性なら、
妻をほしがっているにちがいないということは、普遍的真理である」
という、今なら炎上事件を巻き起こしそうな
当時の一般的な社会通念が皮肉を込めて書かれています。


言い換えれば、財産のない男性は結婚することが難しく
多くの女性は財産のある男性を結婚相手として求めていた、
ということ。 

オースティンの小説にはまさにそんな社会通念の中で
「結婚と愛と財産」を追い求める
中流〜中上流の男女の様子が描かれているのです。


財産のある男性が近所に引越してきたといえば
年頃の娘のいる家庭は沸き立ち、
 

財産のある男性の家庭では
息子の結婚相手には
財産のない家の娘はふさわしくないと
母親や姉妹が目を光らせています。

(息子や兄弟と恋人の仲を裂いても、資産家の娘と結びつけようと画策することも…)


今なら男女を問わず
「お金が必要ならなんとかして自分で稼ぐ」
という選択肢もありますが、
当時は両家の子女があくせく働くなんてとんでもないこと。

特に当時の女性にとって
社会的地位と経済力を確保するには、
教師や看護師などの地位が上がっていくまでは
結婚がベストな選択肢だったのです。

(または、財産のある娘ならば結婚しなくても生活していけましたが
それは一部に限られました)

オースティンの小説でそんな世界にどっぷり浸かりながら
コンスタブルの年表を見てつくづく思ったのは、
「まさに彼もそんな時代の人だったんだな」ということ。

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展示の最初のコーナーに
コンスタブルの家族の肖像画展示されていて
そこには妻マライアの肖像もあったのですが、
この作品は結婚前にコンスタブルが書いたもの。
(肖像画は展覧会ちらしの裏からお借りしています)


最初の出会いは1800年、コンスタブルは24歳で
ロイヤルアカデミー附属美術学校の学生となり
マライアがまだ12歳だった年。
その後1809年頃から交際が始まり
結婚を望むようになるものの、
二人が結婚するまでには長い道のりがありました。
(「高慢と偏見」が出版されたのは1813年ですから、
まさに二人が結婚したくてもできなかった頃でした)


コンスタブルは裕福な製粉業者の息子ではありましたが、
当時はまだ経済的に自立はしておらず
当初家業を手伝っていたこともあり、
画家として成功するまでにも時間がかかっていました。

つまり、財産のない「売れない画家」との結婚には
マライアの家族の反対があり、
なかなか結婚が認められなかったのです。

結局、1816年にコンスタブルの父が亡くなり、
遺産を相続して経済的に自立したことで
ようやく二人は結婚できたのです。(最初の出会いから16年、長い…)

7人の子供をもうけて幸せに暮らし、
次第に画家としても認められるようになり。
1819年には43歳で
ロイヤルアカデミーの準会員として認められます。


でも、その頃から妻の体調が悪くなり、
1828年には彼女は亡くなってしまうのです。
あれほど反対されていなければ
二人の結婚生活ももう少し長くなったかもしれません。

これも当時の社会通念のなせる技、
とも言えるかもしれませんが。。。
コンスタブルの展覧会の後
オースティンの作品を読むと
当時の雰囲気がさらに伝わってくるようで、
味わい深い読書を楽しんでおります。

今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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