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映画のほぼ全編が生活圏、という映画「PARKS」

11月に入り、昨日は1日、映画の日。

映画の日に映画を見にいくなんて久しぶりでしたが、
どうしても見たかった映画、「PARKS」
を見にいってきました。

1日1度、一週間だけの上映だったので、
スケジュール的に、昨日しか見られなかったのです。 

あなたは映画「PARK」をご存知ですか?

この映画は2017年の井の頭恩賜公園の開園100周年を記念して作られた映画です。

ある番組で
「PARKSを見て井の頭公園の近くに住みたくなった」
といって本当に地方から上京してくる女の子がいるのを見て
「おお!」
と思いましたが、
そのくらい、井の頭公園と吉祥寺の魅力が詰まった映画です。

いつか見たいなと思っていたのですが
運のいいことに
吉祥寺の映画館UPLINK吉祥寺で
短編映画「吉祥寺ゴーゴー」と
上映されるこの機会に見に行ってきました。

ほぼ全編、自分の生活圏が舞台の映画を見るのは
不思議なものですね。

井の頭公園、吉祥寺はもちろん、
うちのすぐ近所の不動産屋さんでまで
撮影されていました(^^)

(部分的にネタバレになるので、
まだ知りたくない方はこの先は
読まないでくださいね)

正直言いまして、
前半はものすごくワクワク
しながら見ていたんです。

大好きな街で、
過去と現在がどのようにつながって
どんな曲が作られていくのかが
とても楽しみでした。

というのも、
橋下愛ちゃん演じる主人公の純の元に現れた
木下ハルの父と
(実は前月に亡くなっている)
ハルの父にラブレターを送った女性
が作っていた曲の続きを
作ることになるので。

でも、途中である出来事が起こり
雰囲気が一気に変わったあたりから
「あれ???
なんだか、いろいろ、繋がらなくなった」
って思っちゃったんです。

その後の素敵なミュージカルシーンは
楽しんだものの、
映画館を出てからもあの違和感は続きました。

「なんであんな展開になったんだろう?」
って。

そもそも、「木下ハル」という、
永野芽郁ちゃん演じる
高校生の女の子が不思議で。

わたしがついていけなくなった後半に
やけになっていた純がハルをせめて
「本当は、誰なの?」
と聞くのです。

純に八つ当たりされ、
問い詰められたハルは
純の部屋を飛び出していくのですが。

ハルの父、晋平にラブレターを送った
佐知子はもう亡くなっていて
純とハルはその孫のトキオくんと出会うのですが、
トキオくんはフリーターながらも社会人。

高校生のハルとは、少し年が違います。

あれ?
ハルのお父さんと
佐知子さんが同い年だったのだから、
佐知子さんの「孫」よりも
その恋人の「娘」が若いのって、おかしくない?

そもそも、なぜハルは
50年前の若き日の
晋平・佐知子の会話に入り込んで
一緒に曲作りをしているのか?

ハルは小説を書いている女の子だから、
その小説の中での出来事なのか。

でも、ふと思ったんです。

「ハルは、あの50年前に作られた曲の魂だったのかも」
って。

(ここから先は映画を見てのわたしの勝手な空想なので
興味のない方は飛ばしてください)

だから、曲を再現して最後まで作ってくれそうな
純の元に現れて、佐知子の孫、
トキオにあわせてくれたんじゃないかって。

だって、
元の曲が途中まで収められたオープンリールを
佐知子の遺品から見つけてくれたのは
トキオなのですから。

だから、いろいろ曲作りのための
取材や準備をしたにもかかわらず
純が途中から手を抜いたというか、
勢いで作った曲を聴いた時、
ハルは「何かが違う」と違和感を伝えたんじゃないかな。

バンドのメンバーが曲をお披露目する大切なライブの前に食中毒を起こして、結局演奏できなくなったのも、偶然ではなくて
ハルがみんなに聞かせたかったのは
あんな曲じゃなかったからなんじゃ。

ハルが、50年前の曲つくりの現場にいるのは
ハルがあの曲のたましいだったから。

ハルはあの曲が
本当は晋平から佐知子に送られた恋の歌だったけれど
次第にそれが井の頭公園の幸せな空気まで
未来の世界に伝えるような曲になっていくのを見ていて
だからこそ、純に
「みんなに聞いてもらえる、
本当に井の頭公園の魅力が詰まった曲」
を作って欲しかったんじゃ。

だからこそ、ミュージカルシーンで使われた曲を
純が書き上げて拡声器で公園内に流すことになるのも
結果的に「ハルがしたかったことが叶った」んじゃ。

だって、消えたハルに届けたくて、
純はあの曲を公園の拡声器で公園に流し、
あの夢のようなミュージカルシーンで
井の頭公園の隅々まで流すのだから。

映画の終わりの方で
まるでハルが本を書き上げたかのような場面が出てくるけど
ハルの小説は、純との出会いから始まっている。

だから、その小説は、曲の魂としてのハルが
あの曲の再生の物語を見おおせた、というだけのことなのかも。

なんせ、名前からして「木下ハル」ですものね。

やはり、春の陽だまりのような笑顔のあの子は、井の頭公園の木の下で、
あの曲が作られるのも見ていた
曲のたましいだったのかも。

。。。。。。。。。(妄想終わり)

と、ここまで考えて、
「あの後半にも意味があったのかも」
と思えました。

逆に、ここまで考えないと、
あの後半は本当に理解に苦しむんです。

上記の解釈はわたしの勝手な空想なので
実際にはどんな意図であのような展開になったのか
わかりませんが、
前半がとても丁寧につくられていただけに、
あの後半はやはりちょっと残念な気がしました。

だから、
「この映画を人にすすめるか?」
というと、ちょっと悩みますね。

でも、吉祥寺や井の頭公園を散歩している気分も味わえるので、雰囲気を楽しみたい方にはいいと思います。

ともあれ、あの映画を吉祥寺の映画館で見られたのは
やはりうれしかったです(^^)

また、同時上映の
「吉祥寺ゴーゴー」(20分弱)は
ストーリーがどうとかいうよりも
とにかく映像と写真が主役。 

「吉祥寺今昔写真館」
の写真たちが立体的に立ち上がるように
ぺたんこになっていた
吉祥寺の過去の写真に
ふっと「今の井の頭公園と吉祥寺」の息を吹き込んだら
こんな風になりました、
といった印象の面白い企画でした。

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