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「当たり前」が続く毎日に感謝しながら

視力が良かった頃は
小さな雑誌の文字も
苦もなく隅々まで読んでいたのですが、
残念ながら年とともに
あの小さな文字を追うのが
辛くなっています。

その結果、雑誌を読むこともかなり減り、
毎号必ず買う雑誌もなくなり、
読みたい特集や記事がある時だけ
読むようになりました。

読みたくなって注文していた雑誌
「週刊文春WOMAN」
が昨日届き、少しずつ楽しんでいます。

今年の3月に107歳で亡くなった
書家の篠田桃紅さんの記事の一行目が
「元祖わきまえない女だった。」 
 
うむ、確かに。 

ご著書を拝読しておりましたが、 
確かに言い得て妙、ですね。

コンパクトにまとめられた記事からも
ダイナミックな生き方が
伝わってきました。

久しぶりに雑誌を読むと
美しい写真や貴重な写真が
贅沢に使われているのも
嬉しくなりますね。

桃紅さんの若い頃のお写真や
100歳を超えても使用されていた
作業台など、
貴重だなと思いつつ拝見しました。

そして、料理研究家の土井善晴先生と
ミュージシャンの岡村靖幸さんとの
対談も楽しみにしていました。

わたしは土井先生が
料理番組で調理しながら
話すときの言葉も好きなのです。

たとえば、
ほうれん草を炒めて、しんなりしてきたら
「ほうれん草がしょんぼりしてきたら」
とおっしゃる。

ちょっと情けなくくたっとしてくる様子は
確かに「しょんぼり」していますよね。

土井先生によると、
「料理」とは「せなあかんこと」。

毎日バラエティ豊かな食事を整えなくても、
「味噌汁とご飯、
時間があったら買い物も行くけど、
行かれへんかったら
冷蔵庫にあるものを食べる。」
「できる範囲で一生懸命に作る。
それで十分。」

余裕がある時、作りたくなったら
凝ったものを作るのもいいけれど、
無理をせずに
体に優しい食事ができれば大丈夫。

まさにそういう食生活を送っているので、
太鼓判を押していただいたようで、
嬉しくなりました。

そのほかにも、
この雑誌の企画ならではの
対談もたくさんあって、
この先ゆっくり読み進めるのが楽しみです。

ちなみに、特集「コロナ禍一年」の巻頭詩は
谷川俊太郎さんの詩でした。

「当たり前   谷川俊太郎

この一年は一日が三百六十五回あった
どの一日も同じではないがよく似ていた
当たり前の土の上に根をおろしていたからだろう
その上で飛んだり跳ねたりはしていたが

大切なものが失くなったり
思わぬところからまた出てきたりして
腹が立ったり嬉しかったりしたが
当たり前はちゃんと心の隅に控えていた

なんて幸せなんだろうと痛感することがある
突然だから理由なんか気にならない
だが痛感は長続きしない
熱いコーヒーを飲み終えたら普段通り

一年はお正月から始まるとは限らない
今日から始める(或いは終える)一年も
自作の時間のメリハリだから
誰かにメールで書き初めをしてもいい

いのちは派手なようで地味なもの
本気で元気で根気がある当たり前は
探さなくても一日二十四時間
良かれ悪しかれ誰の身にもついている」

(「週刊文春WOMAN Vol.9, 2021春号」より)

たんたんと進むようで
日々のあれこれに心も動く毎日ですが、
「本気で元気で根気がある当たり前」
とともに、わたしたちは生きているのですよね。 
あせらず、くさらず
「当たり前」に過ごせることに感謝しながら、
毎日を大切に生きて生きたい、
と改めて思いました。

今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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