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“人生の分かれ道”を見逃さないために


こんにちは!yukiです。

今回は、
“人生の分かれ道”について
考えてみます。

「◯◯を始めてみたい、でも…」

上記のように悩んだ末に、
やらなかった経験がある方は、
少なくないと思います。

僕も、そういう経験を
これまで沢山してきました。

一生に関わる選択で
後悔したこともあります。

ただ、沢山のことを諦めた一方で、
一歩踏み出せたこともありました。

「ここが分かれ道だ!」と気付ければ、
一歩踏み出すハードルは下がります。

「何かを変えたい」と
心のどこかで感じられている方の、
参考になることを願って書いていきます。


再挑戦を決めたときの話


本題を説明しやすくするため、
僕がピアノに再挑戦することにした話
少しだけさせていただきますね。



僕は小学生のころ、
数年間ピアノを習っていました。

やさしい光の射しこむ部屋で、
厳しくも楽しいレッスンを受けた時間は、
とても幸せな記憶です。

しかし、中学に入ると、
部活と勉強で忙しくなりました。

たいして上手くもない
ピアノの優先順位は下がっていき
結局やめてしまった
のです。

その後は、
ほとんどピアノに触れないまま、
大人になっていきました。


大人になってから、
「ピアノ弾いてます」
という人に出会うと、

かっこいいなあ、
と尊敬の心を抱く一方で、

ピアノ続けてたらどうなってたかな、
という後悔も浮かんでいたのです。


大学生活も終盤となったある日、
帰り道にふと映画が観たくなって、
フラっと映画館に行きました。

これ、面白そう!
と選んだ映画は「羊と鋼の森」。

若きピアノ調律師の成長を描いた、
静かで美しい映画でした。

ピアノ演奏シーンがとても素敵で、
だいぶ影響されてしまい、

「ピアノ、再開しようかな…」

と一瞬だけ思ったのです。

しかし、
再開はしませんでした

「子どもの頃も大して弾いてないんだし、
 今からじゃもう遅いだろう。
 楽譜もまともに読めないし。」

そんな風に思っていたからです。


映画を観にいった翌週。

バイトで接客をしていると、

「もしかしてyukiくん?」

とお客さんに話しかけられました。

なんと、その方は、
子どものころ習っていた
ピアノの先生だったのです。

びっくりして、
興奮しながらお話ししました。

住んでいる地域は同じものの、
約10年ぶりの再開でした。

なんだか急に、
ピアノへの接点ができていく。

しかしそれでも、
上手に弾けるはずない。
 聴くだけでいいや。」

と、頑なに思い込んでいました。


それから数週間たった、ある日。

新宿駅の地下道を
歩いている時でした。

人混みの中を進んでいると、
前から来た人にぶつかりそうになり、
足を止めます。

「あれっ?!」

信じがたいことに、
その人はピアノの先生だったのです。

「どうしてここにいるの?!」

「先生こそ!」

私たちの最寄り駅から新宿までは、
電車で40分くらいかかります。

こんな偶然が、
立て続けに起こるなんて。

ここまでくると、
“ピアノ再開しなさい”というサイン
なのだと解釈することにしました。

そして、思い切って、
そちらへ進んでみることにしたのです。

後日、先生に電話をして、

「ピアノ再開したいので
 レッスンしてくれませんか?」

と、お願いしたのでした。


ピアノの再開は、
たくさんのものを
もたらしてくれました。

新たな仲間、思考力、集中力、
深い喜びと苦しみ、
人間の可能性への驚き…

さらには、
人生の志にも気づかせてくれたのです。

“人生の分かれ道”に立つとき


ふと、

「◯◯って面白そうだな」

と思ったとしても、
多くの場合スルーしてしまいます。

もしそれが“人生の分かれ道”だとしても、
そのことに気がつかないのです。

または、気づいたとしても、
何かしらの理由をつけて
新たな道へ踏み出すのを拒否します。

これは世界の人々に共通であり、
それゆえに各国の古い神話には、
似たような展開が存在するのです。

そんな普遍性をもつ展開とは、
簡単にいうと、

「“外の世界”へのいざない」
が何らかの形で訪れて、
“日常”から連れ出そうとしてくる。

主人公はそれを拒否し、
“日常”にとどまろうとする。

しかし、
“師”に出会うことで、
導かれて旅立ちを決める。

または、何らかの出来事により
強制的に“外の世界”へ行くことになる。

・・・というような感じです。

現代の映画などでも、
この型はよく使われていますよね。
(話題の「君たちはどう生きるか」も、そうでした)


外の世界”へ旅立つことで、
そこから物語が展開していく
のです。

先ほどのピアノを例にすると、

「上手に弾けるはずない。
 聴くだけでいいや。」

というのが“日常”の世界。

逆に、
ピアノを始めるのは、
“外の世界”へ旅に出ること

だといえます。

サインを見逃さない!


先ほどのピアノの例だと、
「“外の世界”への誘い」は、
タイミングよく映画に出会ったこと、ですね。

映画だけでは行動しなかったので、
1度、2度と先生に遭遇しました。

それでも行動しなかったら、
「“外の世界”への誘い」は消えて、
ピアノの道は閉ざされたことでしょう。

「誘い」を拒否したと脳が判断し、
一貫性を保とうとするからかもしれません。

それか量子力学の範疇かも。

はたまた霊的な世界か。

いずれにせよ、このような「誘い」、
つまりサイン(前兆)は、
昔から人を導いてきました。


・・・何が言いたいかというと、
サインに気づいて受け入れれば、
そこから人生が変わるかも!

ということです。


「サインなんて信じない!」

という方も、
それでいいのです。

これはあくまで“パラダイム”、
つまり“世界を見るフィルター”なので、

信じる信じないは置いておいて、
自分の得になるように
出来事を解釈すればOK
だと思います。

「なんか最近気になることがあって、
 接点も多くなってきた…
 人生が変わるサインっぽい気がするから、
 思い切ってやってみようかな!」

というように、
一歩踏み出す勇気にできれば、
しめたものですよね。

(明らかに無謀な挑戦や、
 浪費的な活動などは論外ですが…)


人間は基本的に、
ホメオスタシス(恒常性)によって、
変化を避けようとします。

挑戦をブロックしている
心の壁を越えていく手段
として、
「サイン」というパラダイムを使ってみると、
一歩踏み出す助けになるかもしれません。


たとえ、
一歩踏み出して失敗したとしても、
山も谷もない物語なんて面白くないし、
全体でプラスになれば問題なし!

成功も失敗も含めて、
最高のハッピーエンドを
作っていけたらいいですよね。

外の世界へ旅立つところから、
物語は動きはじめます。

ぜひ、良き人生の旅を!




最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

ちなみに僕は昨日、
一歩踏み出して
語学スクールに入りました。

新たな旅が始まり、
わくわくしています。


それでは今日も良い1日を!


(今日のカバー写真は、
 軽井沢の公園でした!)

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