世界は夢で溢れている
久しぶりの投稿だが、相変わらず文章は書き続けていたので、
たまには投稿してみようと思う。
つい先日までペルーの遠征に行っていた気がするが、早くも一ヶ月近くは経とうとしている。
夢見心地も終わり、ようやく日常に足を着けている感覚である。
毎日、生活を送る中でよくYouTubeやテレビなど様々なコンテンツを目にする。
しかし、そういったコンテンツを消費する中で夢中になって夜更かししてしまい消耗してしまうこともままある。
気をつけなければいけないのは、
漫画や映画も含まれるそれはもう一生かかっても消費しきれない量になっているということである。
名作と呼ばれる作品を眺めるだけでも、
人生の蝋燭は消えてしまうに違いない。
ただその消費活動に人生を捧げるのも勿体無いと感じてしまう時もあるので、
それをどうにか活かせないかと考える時もある。
作品から何か感じ取ることで感性や感覚、理論といった自分の糧にできるのではないかと考える。
どういった形であれ世の中に出ているということは作り手の意図というものが必ず介入しているということだ。
また、この世は殆どのものが人の手によって造られている。
ということはそのものにも意図や狙いといったものが計画的にデザインされているということである。
達者か稚拙かは置いておいて、
なぜ鉛筆には角があるのか、黒板は緑なのか、なぜモニターは四角いのか、
人の視覚は四角いわけではないのに。
そしてそれは誰かの考えやこうしたらいい、こうなったら便利という理論や理想
平たく言えば、『夢』が形になったものではなかろうか。
海を渡りたい人が船を作り、空を飛ぶために飛行機が、ケツを吹くためにトイレットペーパーが作られたのだ。
そう考えると、自分の身の回りには誰かの願いや希望、夢が形となって溢れている。
世界は夢で溢れているのだ。
そう考えると自分の身の回りの物もとても尊く特別なものに感じる。
私自身もそれを形にするため試行錯誤を続けようと思う。
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