クソ不味いカレーを作ろう。
積極的に人と会う機会を設けなければいけない。
人と交わって、自分がいかにダメな人間であるのかを自覚しなければ、いけないのだ。
基本的に自信がなくて、手本がないと善悪や物の良し悪しがつかないような人間なのである。
誰かの判断基準に基づいて、何か物事を言っている。
だからこそ、自分の知らないことは判断がつかず怖いのだ。
『これは、自分には、手の負えないことだ。』とかそんな馬鹿みたいなことを言っている場合ではない。
大事なことは今、今何をするかなのである。
明日はどうするとか、一年後どうなるとか、何にも関係ないのだ。
結局のところ、今どうなりたいのかと考え、その為に何をすべきなのかを見極めるのだ。
やってみて、考えや学びが足りないのだとしたら、その都度確かめていけば良い。
辞書を片手に小説を読むように、わからない単語が出てきたら、その単語を調べて理解すれば良いのだ。
その時に周りの単語まで理解しようとする必要はない。
カレーを作るのにオムライスのレシピを調べてどうしようというのだ。
そうゆうことは何度もカレーを作った人間が、他のところにヒントがないかと探すときに探せば良いもので、一度もカレーを作ったことのないような人間の行うことではない。
いま、自分に必要のない知識を調べたり学んだりしても、荷物にしかならない。
最初の型があるからこそ【型破り】なことができるのであって、初めから奇天烈なことをしようと思うのはただの【型無し】なのである。
まずは、カレーを作ろう。
そこから人参が足りないとか煮込み過ぎたなどと試行錯誤していけば良いだけなのである。
レシピ本だけ眺めて、作った気にはなってはいけない。
知識や作り方だけは知っているが、包丁を握ったことのないような人間を誰がシェフとして雇うというのだ。
往々にして、その道のプロと呼ばれる人は、成功以上に失敗を積み重ねているものだ。
失敗しないように、転ばないようにしているだけでは、何もはじまる事はないし成功など訪れやしない。
初めてのことで、成功したという体験もあるかも知れないが、それは元々、自分が出来ることをやっただけにしかすぎず、その成功に成長などありはしないのだ。
まずはクソまずいカレーを作って、それを人に食べさせるのだ。
昨日は出来なかったことが出来る様になれば、少しづつでも前に進んでいけるだろう。
人よりも、優れていたいだとか、認められたいだとか、その気持ちはとても良く分かる。
しかし、人より優れていないし、認められないと人一倍分かっているからこそ、行動をするのが怖いのであろう。
こんな風に自分を卑下してしまう人は、世の中にたくさんいるのかも知れない。
それでもそんな奴らと決定的に違うことがある。
それは、自分自身は意志で、考えで、行動できるということなのだ。
他人を意のままに動かすなんて芸当は超能力でも備わってない限りできないであろうう。
しかし、そんな力がなくとも、自分は自分で動かすことができるのだ。
同じように自分を腐らす事もできる。
それでも、自分を良くしていけるのは自分だけなのである。
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