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そして私は、にゃあと鳴いた。

 新品のノートを綺麗に書こうと最初に決めても、後にどんどんと文字は崩れて、落書きまでしてしまった。
 という体験は誰しもがあるだろう。
 そして、また新品のノートを買った時に思うのだ。
今度こそは、と。

 本当に綺麗にノートを描きたいとすれば、その日、そのページ、その文字から、気を付ければ良いものの、なぜか一度崩れてしまったものに手を尽くしてもしょうがないと感じてしまうのだ。
 また、次の区切りに、という具合にだ。

 もしかすると、日本人というものの習慣なのかも知れない。
 七五三、立春、冬至や夏至など、区切りを意識した概念というものが多いような気がする。
 そして、それが何かを始める時には、格好のタイミングなのだが、その区切りが逆に働いてしまうこともあると考えるのだ。

 例えば、来年からダイエットをしようと決めて、クリスマスの夜にドカ食いをしてしまった。
 普通に考えれば、来年はもう100時間を切っているのだから、本当に痩せたいのであれば、食べてる場合ではない。
 しかし、その今年と来年の間に何か精神的な溝があり、思ってしまうのだ。

『来年になったら、変われる』と

 区切りとはなんだろう、誰かの決めた、タイミングや量が丁度いいと決められているのは、少し不気味でもある。

 なぜ24時になれば日付は変わるのだろうか、14時ではいけないのだろうか、
 月が出ている間に日付が変わるというなら、日が昇っている隙に1日が過ぎてもいいのではないのだろうか、

我ながら、ひん曲がった考えだとは感じるのだが、
そもそも動物の中には夜行性という性質を持っているものもいる。
その生物にとっては、夜こそが生活の主であり、太陽が1日の終わりを告げるのではないだろうか。

 そもそも日暦という考えがあるからこそ、この区切りは意識されるのかも知れないが。
 この考えのせいで、毎朝眠い目を擦り、心を焚き付けながらもベットから這いずり出てこないといけないと思うと腹が立つ。

そもそも化学の発展のおかげで夜を恐れることなく、煌々と明かりを照らしているではないか、人間は夜を克服したのだ。

 人類の発展と共に、我々は夜ふかしを覚え、夜行性という性質を獲得したのではないだろうか、
 ならば、日暦などという過去の決まり事やルールに準ずる必要など、進化や適応の妨げにしかならないのである。

早起きは三文の得というが、今の時代に三文得したところで何になるというのだ。
3BITの得というなら考えなくもないが、そんな昔の価値観に未だに縛られているのだ。

 だからこそ、人類は次のステップに進むべきなのである。
 日中に1日が過ぎ、月光に照らされ人々は起きて、ぴかぴかと光る街で人々は汗を流すのだ。

 犯罪など危険なイメージが多い夜でも流石に活動している人がおおければ、おおぴっらには行えないだろう。
 そして、日中はお天道様が見張ってくれているのだ。

 仕事を終え、真っ昼間からビールで喉を潤し、猫のようにに日向ぼっこしながら眠りにつくのだ。

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