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怪談実話 2

旅先の怪 第一話 うずまき

 母は視える人だ。

 私を出産するため入院していたときも、毎日のように病室を訪れる黒い影に悩まされていたと言う。
 一緒に、テレビの心霊番組を見ていると、画面には何も映っていないところを指さして

「あそこにもいる」

 と、言う。
 その後、母が指摘したところを、ゲスト・コメンテーターの霊能者も同じように指摘するものだから、一緒に見ているこちらはたまったものではない。


 そんな母と一緒に、旅行をしたときの話である。
 梅が咲き始める時期。私と母は、京都を訪れた。
 レンタル着物店で、和服を着付けてもらってから、私たちは清水寺に向かった。夜は特別にイルミネーションが行われる時期で、夕方だというのにものすごい賑わいだった。


 清水の舞台に上がった私たちは、そこで記念に写真を撮ることにした。
 まず、母の写真を撮影してから、私は母にカメラを渡し、シャッターを押して欲しいと頼んだ。


 ファインダーを覗いた母が、眉間に皺を寄せる。

「ピントが合わない」


 合わないわけがない。
 母に渡したカメラは、シャッターを押すだけでいいコンパクトデジカメである。
 実際、昨日は「なかなかうまく撮れないわ」とぼやきながらも、母はふつうにシャッターを切っていた。


「どういうこと?」

 私は苛立ち気味に母からカメラを取り上げると、液晶のモニターを覗いた。

 母と同じように、清水の舞台の方にレンズを向けるが、特におかしいところはない。シャッターを半押しすると、自動でピントが合い、当たり前のように撮影できる。

 オートフォーカスのコンデジだから、マニュアルでピントを合わせる機能すらなかった。
 だから、ピントが合わないという発言自体がおかしいのだ。


 試しに、母に私と同じところに立ってもらって、何枚かシャッターを切った。何の問題もなく、撮影できる。壊れていないことを確認できたので、もう一度、母にカメラを渡す。

 しかし、ファインダーを覗く母の顔は、泣きそうに歪んでいた。

「どうしたの? シャッターがおりないの?」

 霊がいるところでカメラのシャッターがおりないという経験は、私もよくするので、そういった現象なのかと私は尋ねた。
 しかし、母はやはり泣きそうな顔をして首を横に振る。

「ピントが合わない」

 と、繰り返すだけである。

「眼鏡の度が合っていないんじゃなくて?」

「違う、そういうんじゃないの」

「どういうこと?」

「渦巻き……」

「――え?」


 私は、自分の耳を疑った。

「渦巻き……って、何?」

「渦巻き……なの」

「だから、何なの? 渦巻きって、そんなものどこにもないじゃない?」

「あなたの顔だけが……、渦巻きみたいに歪んでいて、顔に見えないの!」


 私は、母の言葉に、有名なホラー映画のあるシーンを思い出していた。ビデオを通じて呪いが感染し、テレビから霊が出て来る、あの映画だ。
 その映画の中では、呪いのビデオを見てしまった人を写真に撮ると、顔の部分が渦巻きのようになっていた。


 ――私は死ぬのか? そんなバカな?


 私はスマートフォンを取り出し、インカメラを使って液晶に自分の姿を写してみた。
 私には、いつもと同じように自分の顔が見える。
 試しに、そのままシャッターを押した。
 カメラフォルダを確認してみるが、特に何の問題もなく、ごくふつうの写真が撮れている。それを母に見せた上で、もう一度シャッターを押すように頼んだ。

 しかし、母はやはり泣きそうな顔をして首を振る。

「――渦巻き……」

清水寺3

旅先の怪 第二話 ためいき


 私がまだ高校生だった頃のこと。
 学校の校外学習で、信州に旅行に行った。


 宿泊したのは、ありふれた旅館。

 8畳ほどの和室、窓側の板の間にテーブルとソファが置かれている。
 小さなテーブルが中央にあり、それを挟むように一人がけのソファが二脚、向かい合うように配置されていた。

 一方のソファの背後には、冷蔵庫。
 もう一方のソファの背後には、洋服を掛けるクローゼット。

 和室とソファとの間には、障子が間仕切りになっていた。

 二人用の客室だと思われるが、学校での団体旅行のため、8人ほどが一部屋で寝ることになった。


 夜、誰からともなく、怖い話をしようと言い出した。
 学生時代の旅行ならでは、お決まりのパターンである。

 百物語のように、皆で順番に怖い話を語っていった。

 ある友人が語り終わったタイミングで、障子の向こうから

「はあっ」

 という、大きな溜息が聞こえた。


 皆、一瞬、息を呑む。

 これを聞いたのは自分だけなのか?
 皆に言ってもいいのだろうか?

 逡巡するしばらくの間。
 しかし、皆の視線は明らかに障子に向けられていた。

「いま、溜息が聞こえたよね?」

 勇気を振り絞って友人の一人が、口にする。

「聞こえた」
「私も、聞こえた……」
「私も……」

 一人が声に出すと、そこにいた全員が「溜息を聞いた」と告白する。

 皆で顔を見合わせ、「確認してみよう」と障子へと向かう。

 恐怖のため自然に皆が寄り添い合って、おしくらまんじゅうでもするように、障子の傍に立った。

「えいっ」

 全員で障子に手を伸ばし、全開にする。

 誰もいない。

 グループのうちの一人が、また口を開く。

「さっきの溜息、クローゼットの中から聞こえなかった?」

 皆が、頷く。

 誰もが、最初から気付いていたことだった。
 でも、クローゼットの中から溜息が聞こえてくるなんて、物理的にあり得ない。
 だから、理性が否定して口に出せなかった。

 しかし、先ほどと同じように、一人が口にすると、皆が同意する。

「開けて見よう。誰かが私たちをおどろかすためにクローゼットに隠れてたのかもしれないじゃない?」

 そんなことあり得ないと思いつつも、「そうであって欲しい」という願いから、皆が

「うん、そうだね」
「きっと、そうだよ」

 と、同意する。

 今度も、おしくらまんじゅう状態でクローゼットの前に固まった。

「開けるよ」

 扉を開ける。

 ――誰もいない。


 ただ、誰もいない空間から

「はあっ」

 という溜息だけが聞こえて来た。

旅館ゆがみ

旅先の怪 第三話 こじょう

 今から20年ほど前。
 ドイツのライン川の河畔に建つ古城ホテルに泊まったことがある。
 古城ホテルと言っても、お姫様気分が味わえるような近代のロマンチックな貴族の館を利用したホテルではない。中世に戦いのために建てられた城塞(Burg)と要塞(Festung)であり、城館(Schloss)部分をホテルに改築した建物である。

 ホテルの隣には、廃墟と化した要塞が残っており、自由に見学することができた。
 まるで天然の博物館だ。
 廃墟と化したとはいえ、今も城壁や狭間窓の面影は残っている。
 戦時に防衛戦を行った際には、ここから弓で敵を狙ったのだろう、あるいはこの窓から煮えたぎった湯や油を敵にかけたのかもしれないと、さまざまな想像をしながら、廃墟の中を探索した。

 ホテルは、いわゆる山城として、ライン川を見下ろす小高い丘に建っている。

 現在の町は、丘の麓である、ライン川の畔を中心に発展していた。

 町を散策していると、小さな人形博物館があるのが目に止まった。
 宿泊している古城以外には、特にめぼしい観光スポットなどない小さな町だ。
 時間もあったので、私は、その博物館に入ってみることにした。

 おそらく、個人が趣味で集めた人形を展示しているのだろう。
 博物館と言っても、何か歴史的に価値があるような、珍しい品が展示されているわけではなかった。

(これなら、要塞で遊んでいた方がよかったかな)

 半分、後悔しながら最後の展示室へと入った。

 西洋のビスクドールの中、一点だけ、趣きの異なる人形がある。
 そこには、なぜか一点だけ、日本人形が飾られていた。

 しかも、髪の長さが左右で異なっている。
 まるで、髪が伸びてしまったかのように見えるのだ。
 あるいは、伸びた髪をなんとかしようとしてオーナーが無理やりカットしたのだろうか。
 不自然に切りそろえられたように、左右の長さが異なる、ざんばら髪の日本人形だった。

 ──これは、やばい。

 直感的にそう思った。

 日本から来たことが、バレてしまったのだろうか。
 人形が、見えないはずの目で、じっと私を見つめている。

(連れて帰れないよ! やめて、見ないで!!)

 私は、逃げるようにして展示室を後にした。


 日も暮れてきたので、ホテルへと戻ると、昼間の清々しかった空気が一変している。

 激しい戦争を経験したがゆえの重苦しい空気感か。
 その城で命を落とした者たちの無念の思いか。

 あるいは、博物館で出会った人形の念か。

 何かが、客室の空気を一変させていた。
 特に、浴室が怖くてたまらない。
 
 背中に何かが貼り付いているような気配が拭えないのだ。

 浴室の扉を開けたまま、シャワーを、ほんの数分で終えると、私はベッドに飛び込んだ。


 日本でも、昼と夜でまったく表情を変える場所が存在する。
 神社や寺など、聖域と呼ばれる場に多いように思う。

 そのホテルも、日が落ちた途端、空気が一変した。
 昼間は、なりをひそめていた戦場の亡霊たちが、闇という力を得て、一気に、ホテル中に溢れ出たかのようだ。

 そして、朝まで

「連れて帰ってよ」

 と日本人形に縋りつかれる悪夢に襲われながら、一夜を過ごすこととなった。

 三十年戦争時には激しい戦場となった城塞であり、2万8千人に攻められながら約4千人で防衛戦を行った城でのできごとである。

 ちなみに、日本人形の出自については現在も謎のままだ。
 実話のため、きちんとした落ちが用意できずに申し訳ないと思う。


 それと、もうひとつ。
 旅から帰って、写真を確認したところ、このホテルの写真には、別段おかしなものは写っていなかった。

 しかし、フランスで泊まった古城ホテルで撮った写真には、一枚、心霊写真とおぼしきものが混じっていた。
 ホテルの窓に、ドクロにしか見えないモノが、はっきりと写りこんでいたのである。

古城

旅先の怪 第四話 おしらさま

『遠野物語』にも出てくる「おしらさま」という神様は、祟り神なのだと言う。

 大学院時代、柳田国男を中心とした民俗学のゼミを取っていたので、夏休みを使って遠野に旅行することにした。


 カッパ淵や、姥捨ての地であるデンデラ野を巡っても、特に何も起きることなく最終日を迎えた。

 その日は、伝承園という「佐々木喜善記念館」のある施設を訪れることにした。
 目的の「佐々木喜善記念館」を堪能した後、やはり重要文化財である「南部曲り家」も見ておきたいと、ふらりと曲り家に入った。

 曲り家から、何の気なしに薄暗い廊下を歩いて行くと。
 廊下が途中で直角に曲がっていた。

 曲り家だからだろうか。
 特に気にせず、そのまま廊下を進んだ。


 突然。
 視界いっぱいに、小さな人形が現れた。

 御蚕神堂(オシラ堂)と呼ばれるそこは、四方の壁一面を覆い尽くすように、千体のおしらさまで埋め尽くされていた。

 小さな人形……といっても、ふつうの日本人形のように、きちんとした顔が付いているわけではない。

 こけしよりも、もっと簡素な、木の棒を彫って作られた小さな顔。
 そこに、色鮮やかな布が幾重にも巻き付けられている。
 布が、十二単のように巻き付けられているせいで、身体がとても大きく、よけいに顔が小さくアンバランスに見える。

 それが、四方の壁一面にびっしりと貼り付けられている。

 私は1分とその部屋にいることができず、悲鳴を呑み込み、すぐに廊下へと戻った。

 顔も目もはっきりとしていないのに、無数の目で見つめられているような、圧迫感が耐えられなかった。


「おしらさま」は祟り神である。
「おしらさま」を祀るのはイタコ、あるいは女性。

 一度、祀り始めたら、一生祀り続けないと祟る。
 二足四つ足の動物を嫌い、間違ってお供えすると大病を患う。
「おしらさま」の祭日である、命日には祀る家人も肉食は禁止である。禁を犯すと顔が曲がる。
 同じく祭日である「おしらあそばせ」の日には、経文を唱えながら、「おしらさま」を踊らせる。
 それ以外の日は、家人の目に触れぬよう、大事にしまわれているそうだ。

 ここにある千体の「おしらさま」は、祀り続けなくともよいのだろうか?
 目に触れぬよう、隠さなくてもよいのだろうか?
 これを祀っていた家は、いま、どうしているのだろうか?

 そんな疑念が頭から離れなかったけれど、とりあえず食事をしようと、遠野駅まで戻りレストランに入った。


 私は、連れと二人だった。
 レストランで、ウエイトレスが持って来た水は三つ。

「二名なんですけれど」

 そう言う私に、ウエイトレスは怪訝な表情を浮かべる。

「お子様連れの三名様ですよね?」

「……?」

「入っていらしたとき、一緒にお子様が見えたのですが……」

 私は首を振る。

「失礼いたしました」

 ウエイトレスは、グラスをひとつ下げた。


「おしらさま」は、女性と子どもの守り神だとも言われている

人形ゆがみ


旅先の怪 第五話 のっく

 今から30年ほど前。山陽地方のある都市に旅行で訪れた時の話である。

 観光に訪れた私は、O市内のシティホテルを宿泊先として選んだ。
 全国にチェーン展開をしている、鉄道会社資本のシティホテルである。

 ロビーは、特段ほかのホテルと違いはない。
 少し暗めの間接照明に彩られたロビーは、落ち着いたインテリアで統一されており、ごく普通のシティホテルといった風情だった。
 フロントでキーを受け取った私は、今日、宿泊する予定の部屋へと向かった。
 ○階の角部屋である。
 エレベーターを降りて、エレベーターホールを右に折れ、さらに通路を右に折れた突き当たりに、その部屋はあった。

 キーを差し込み、ドアを開ける。

 ──その途端。

 部屋の中から、

 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン──!!

 激しいノックの音が響いた。

 これまでの人生の中で聞いたこともないような、激しいノックの音である。
 その音は、客室のバスルームの“内側”から聞こえてくる。

 客室の扉を開けると、すぐ目の前にバスルームがあるという構造の部屋だったが、その目の前の扉が、“内側”から激しく叩かれているのである。

 なぜ?
 ここは、私の部屋ではないのか。
 なぜ、先客がいて、しかも、バスルームの内側から扉を叩いているのか?
 バスルームは通常、内鍵だ。
 外から鍵を閉める構造にはなっていないから、中に誰かが閉じこめられるということはありえない。

 それなのに、なぜ。
 閉じこめられた者が出してくれとでも言うように、激しく扉を叩いているのだろうか。
 この中に“いる”のは、いったい誰なのか──。
 しかし、確かめる勇気は私にはなかった。

 私は、部屋を変えてもらえないかとフロントに交渉した。

「申し訳ございません。あいにくと、本日は満室でございまして、替えのお部屋をご用意することができません」

 型どおりの慇懃無礼な回答が返って来る。

「何か……あった部屋なのではないですか?」
「は?」

 私の問いに、フロントの男性はあからさまに機嫌を悪くする。

「『何か』とは、どういうことでございましょうか?」
「バスルームの内側から、激しいノックの音がするのですが……」
「失礼ですが、お客様は霊能者か何か、そういったご職業の方でございますか? 変な言いがかりをつけるのはやめていただきたいものです」
「いえ、言いがかりではなく……」
「とにかく、本日は台風が来ていることもあり、満室でございまして、替えの部屋はございませんから!」

 フロントの男性の返答は、叱責に近い。
 なぜ、怖い思いをした上に、フロントの男性からこのような剣幕で怒られねばならないのか。

 結局、私はその夜、自分の部屋に戻ることなく、友人の部屋で一夜を過ごした。

 そのホテルは、2001年に閉館し、現在は専門学校として利用されている。
 ホテルができる前は、陸軍の病院として利用されていた土地だと言う。
 よくよく調べてみれば、過去に自殺も起きているホテルだ。
 フロントで応対してくれた男性は、実は何もかも知っていたのではないか。

 そんなふうに疑っているが、閉館したホテルゆえ、今となっては確かめる術《すべ》もない。

ホテル

旅先の怪 第六話 べつじん

 学生時代、友人と青森に旅行に行ったときの話。

 ホテルにチェックインして早々、日頃の疲れが溜まっていた私は、観光にも行けずダウンしてしまった。

 私ひとりがホテルに残り、皆は外出することとなった。


 ホテルは、青森駅近くのごく普通のホテル。
 部屋はツインルームだった。
 4人グループでの旅行だったので、もう一部屋、同じツインルームを取って、2人ずつに分かれて泊まることになった。


 部屋に一人残った私は、すぐに眠りに落ちた。

 しかし、斜め向かいの部屋が、とてもうるさくて何度も目が覚めてしまった。

 同じようなツインルームが並んでいるはずなのに、数人の話声には思えない。
 そんなに一部屋に人が入るのだろうかというぐらい大勢の人が、一部屋に集まって大声で話をしているようである。
 フロントに注意をしてもらうよう頼もうかと迷うぐらいの、騒音だった。


 何度めに目が覚めたときだったろうか。

 隣のベッドを見ると、友人が寝ている。

「ああ、もう帰って来たのか」

 私は、ホッとしてもう一度眠りにつこうとした。


 違和感が私を襲う。

 友人は、あんな髪型だったろうか?
 向こうを向いて寝ているので、はっきりとは言えないけれど。
 でも、髪の長さが違う気がする……。

 そのとき。
 隣のベッドから、突然、右腕だけが飛んで来た。

 右腕の肘から先だけが、飛んで来たのだ。

 私の首筋を這う、指先の感触。
 くすぐったいような感触がしばらく続いた後。
 その手は、私の首を――締めた。

 と、同時に、指先一本すら動かせない状態になる。
 金縛りだ。

 悲鳴を上げたいけれど、唇を動かすことすらできない。

 金縛りになったときは、足の指先から少しずつ動かすとよいとどこかで聞いた気がする。
 私は、少しずつ、抵抗を試みた。

 どれだけの時間が流れたのか。
 首を絞めていた腕が消えたと同時に、動けない呪縛からも解放された。


 隣のベッドを見ると、友人はいない。
 そこには、誰も寝ていない。

 では、先ほどの手を飛ばして来た女性は誰だったのだ?

 いや、冷静に考えてみよう。
 友人が、肘から先だけ飛ばすなんてこと、できるだろうか……。

 では、あれは……?


 まさか、この世のものではない……なんてことあるはずがない。

 頭がはっきりしてくると、理性の方が勝って、先ほどの体験を否定する自分がいた。

「あれは夢だったのではないだろうか?」

 そう、あの手の存在を否定した瞬間。

 ――部屋の電気がすべて消えた。

 私の心を読んだかのように。
 あれは、夢ではないと知らせるかのように。


「それなら、それでかまわない。フロントに電話して、電気がつかない部屋だと苦情を言って、別の部屋に替えてもらおう」

 そう考えて、枕元の電話の受話器を上げた途端。

 ――部屋の電気が再び、点いた。

 今度も、まるで、私の心を読んだかのように。
 受話器を上げたと同じタイミングだった。

 これでは、フロントは相手にしてくれないだろう。

 私は、諦めて受話器を置いた。


 部屋を替えてもらうのは難しいにしても、先ほどからうるさい部屋だけでも確認しておこう。フロントから、注意でもしてもらわないと。夜になってまで、うるさかったらたまったもんじゃない。

 私は、部屋番号を確認しようと廊下へと出た。


 私の部屋は、ホテルの一番奥の角部屋で、うるさい部屋があるはずの場所に、部屋は“なかった”。

 そこには、ただ何もない空間が広がるばかりであった。

ホテル2

旅先の怪 第七話 おくりび

 大学時代、夏休みを利用して三泊四日の日程で京都を訪れた。

 旅行の最後の夜には、大文字焼きを見る予定だった。
 友人の紹介で、京都の某大学の屋上に上がらせてもらえると言う。

「夏休み中なのに入っていいの? しかも他大学の学生なのに」

「平気、平気。みんな、大文字焼きの日は勝手に友達呼んで、屋上に上がって見てるから」

 そう聞いて、知人の好意に甘えることにした。


 その日は嵐山と嵯峨野を巡って、夜になってから知人とはキャンパスで落ち合うことにした。


 夜の大学の屋上は真っ暗である。

 しかし、そのキャンパスは大文字焼きを見るのに絶好のスポットということもあって、ちょっとした宴会場のような雰囲気で、酒を飲みながら騒いでいる学生たちも多い。

 まるで、大学祭やサークル新入生歓迎会の時期のキャンパスのように賑わっている。

 山に明々と点る「大」の字を見て、花火でも鑑賞するように、皆が無邪気に騒いでいた。

 とはいえ。
 絶好のビュースポットを紹介してくれた知人に感謝したものの、心の中にちょっとした違和感が残った。

 ――大文字焼きは、宴会のように楽しみながら鑑賞してよいものだったろうか?

大文字焼き


 異変が起きたのは、そのキャンパスを後にして宿に戻ろうとしたときである。

 グループの一人、Aが、しきりに後ろを気にし始めた。

「誰かがついて来ているような気がするんだけど」


 そうは言っても、大文字焼きが終わった直後である。
 道路には帰宅しようとする観光客が溢れていて、私たちの後ろを歩いている人も多い。そういった人たちを「ついて来ている」と言っていたら、キリがない状態だった。

 私たちは、そう説明する。
 しかし、Aは、頭《かぶり》を振った。

「違う、自分には何かが“憑”いて来ているんだ! 頼む、取ってくれ! 祓ってくれ!」

 私たちはみな、Aの気のせいだとしか思わなかった。

 しかし、Aが執拗に頼むので、私は仕方なくテレビの心霊番組で霊能者が除霊をする様子を真似て、Aの肩や背中をバンバンと叩いた。

「これで大丈夫」

 何が大丈夫なのか言っている自分でもわからなかった。しかし、とりあえずAを安心させなければと思ったのだ。


 その除霊の真似事が功を奏したのだろうか。

 Aの顔はみるみる明るくなって、そのまま飲みに行こうと言い出した。

 一方、私はその除霊の真似事の後、急に疲労を感じたのでホテルに戻ると言って、皆と別れた。

 結局、私の他には、もう一人。
 Sだけが一緒にホテルに戻ると言い、Aたちはそのまま夜の繁華街へと繰り出して行ったのだった。


 ホテルに着いてシャワーを浴びると、私とSは早々とベッドに入った。

 しかし、ベッドに入ったが最後。私もSも、ベッドから出られなくなってしまった。

 怖いのだ。

 今なら、Aが言っていたことが理解できる。
 私たちの周囲に、何かが「憑いて」来ているのだ。

「Sちゃん、私ね、変なこと言うけどいい?」
「うん、いいよ」

「あのね、部屋の中の空気中にみっしりと“何か”がいる感じがして、布団から指先すら出すのが怖いの……、っていうか、出せない……」

「実はね、私もさっきからずっとそうなんだ」

 Sも震えるような声で言った。


 通常とは、空気の密度が違う。

 私の周り中に、“何か”が、確実に存在している気配がする。

 たとえば、エレベーターに既に定員いっぱいの人が乗っている感じとでも言えばいいだろうか。
 通勤ラッシュ時の、隙間がないほど人がぎゅうぎゅうに押し込めらた満員の電車の車両の空気感に近い。

 たった二人しかいないはずの、ホテルの部屋なのに、そういった空気の密度なのだ。

 部屋の中に、肉眼で見えるものは私たちしか存在しない。
 なのに、満員電車のように、すぐ傍にたくさんの人の気配が確かにする。

 そして、その存在に対して、

「触れてはいけない」

 という感覚がする。

 だから、ベッドから指すら出すのが怖いのだ。
 本当は、顔だって出したくはない。


 私たちは、灯りを点けたまま、眠りに落ちるギリギリまで、霊とは関係のない明るい話題を語り続けた。

 疲れ切って寝てしまうまで、私たちは見えない何かに対して「隙を見せない」ように、語り続けた。


 どちらが先に眠りに落ちたのか。
 いつの間にか、朝になっていた。

 昨夜とは、まったく空気が違う。

 昨日の夜、あんなにみっしりとホテルの部屋の空間を埋めていた何かは、一晩のうちにかき消えていた。


 朝の日の光が、すべて連れて行ってくれたのか。
 それとも、昨日の夜が何か特別な夜だったのか。

 ホテルの部屋には、私たち二人だけしかいない。
 もう大丈夫だ、と感じた。


 朝食になって、飲みに行ったグループと落ち合った。
 最初に脅えだしたAもいつもと変わらなく見えたので、私たちはすべてが終わったのだ、と思い帰途についた。


 しかし、終わってなどいなかったのだと帰宅してから知ることになる。

 Aは、京都へ行くのに東京駅まで自分の車で来ていた。
 京都に行く数日前に購入したばかりの新車だった。

「みんな疲れているでしょう、帰りは乗って行けば?」

 私とSは方向が違ったので、そこでみんなと別れ、電車で帰ることにした。


 翌日、車でAに送ってもらったというKから、震える声で電話がかかってきた。

「あのね、昨日の帰り、車が横転して……、Aの車、スクラップになった」

事故

 私は驚いて、みんなは大丈夫なのかと聞いた。
 廃車になるほどの大事故だったのにも関わらず、幸いにも怪我はみな軽かったそうだ。

「ただ、やっぱり……、車に乗ってからも、Aは『何か憑いて来てる』って、言ってた。ずっと、バックミラーを気にしていたし。事故もそのせいだって言ってる」


 その後、Aとはなんとなく疎遠になって、連絡を取らなくなってしまったので、いまどうしているのかはわからない。


 大文字焼きの正式名称は、「五山の送り火」と言う。

 あれは、八月十六日、盂蘭盆会《うらぼんえ》の最後に行われる“送り火”なのだ。
 死者をあの世へと送る、焔なのだ。



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