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源氏物語と神道

源氏物語の中の斎宮と斎院

 深閑とした嵯峨野の竹林の中に佇む野宮神社は、光源氏と六条御息所との別れの舞台である。伊勢斎宮に選ばれた皇族の女性たちが、宮中の初斎院で身を清めた後、伊勢に旅立つまでの間、潔斎を行う宮が野宮であった。代替わりごとに、野宮は新たな場所に立て替えられたので、現在の野宮神社がどの斎宮の宮址に当たるのかはわからない。しかし、木の皮を剥かずにそのまま使用した黒木の鳥居、小柴垣に囲まれた社地は、賢木巻に

「ものはかなげなる小柴垣」
「黒木の鳥居ども」

と描かれた野宮の様を彷彿とさせる。

 六条御息所が源氏と別離し、娘である斎宮(後の秋好中宮)と共に都から遥か遠い伊勢の地へ下向しようと決意したそもそもの原因は、賀茂祭の御禊の物見にある。賀茂社には、嵯峨天皇の御代より、皇族の女性が斎院として奉仕するようになり、皇城鎮護の神として重きを置かれていた。賀茂祭や御禊の祭列を、桟敷を構え見物するのは当時の貴族たちの楽しみのひとつでもあり、藤裏葉巻では、紫上が賀茂社に参詣しその帰途に祭を桟敷より見物する場面が描かれている。
 葵巻では、新斎院の御禊に源氏も供奉するということで、正妻・葵上も物見に出かけた。そこでかち合ってしまったのが、光源氏の愛人の一人、故前坊(東宮)妃の六条御息所である。後からやって来た葵上一行であるが、若い供人らが左大臣家の威光を笠に着て、先に並んでいた車をどかせてしまった。乱暴を受けた中に、ひっそりと身をやつして出かけた六条御息所の車もあった。この屈辱を機に、六条御息所は生霊となり、葵上の死の引き金ともなる。自らが物の怪と化したのを源氏に悟られたことを恥じた御息所は、伊勢へ下向する道を選んだ。それがせめても、自身の矜持を守る術でもあった。

 賀茂祭は、この後も物語の重要な場面にたびたび現れる。柏木と女三の宮の密通が行われるのは、御禊の前夜、六条院が人少なくなった隙であった。また、御息所が死霊として現れ、紫上を危篤状態に陥らせたのは、賀茂祭の当日から帰さ(上賀茂から斎院に帰る行列)の日であった。
また、『源氏物語』の中の斎王といえば、もう一人忘れてはならないのが、朝顔の斎院である。朝顔の姫君は、斎院を退下した後も誇り高く光源氏からの求婚を拒み続け、俗世間へと降りて行くことを選ばなかった。


玉鬘と鏡神社、筥崎宮

 物の怪によって命を奪われたのは、正妻の葵上だけではない。源氏に廃院へ誘われた夕顔は、そこで正体不明の物の怪によって取り殺されてしまう。源氏は夕顔をこっそりと荼毘に付したのだが、実は彼女には女児がいた。かつての恋人、頭中将との間に生まれた姫君、後の玉鬘である。遺された姫君の乳母は、女主人の行方を知らぬまま、夫が太宰少弐に任ぜられたため、やむなく姫君を伴って太宰府へと下向した。任地で少弐は逝去してしまい、乳母一家と姫君はそのまま肥前にとどまっていたが、地元の有力者である大夫監から執拗な求婚を受け困り果ててしまう。この大夫監から姫君に宛てられた歌が「君にもし心たがはば松浦なる鏡の神をかけて誓はむ」。もし私が心変わりしたら神罰を受けてもよい、鏡の神にかけて誓おう、というのである。

 この松浦なる鏡の神とは、肥前の唐津にある鏡神社のことで、紫式部自身もこの鏡の神を歌に詠んでいる。紫式部が越前にいた頃、肥前に住む友人へ「あひ見むと思ふ心は松浦なる鏡の神や空に見るらむ」という歌を送った。「あなたに会いたい」という気持ちは、鏡の神様が空で映していらっしゃることでしょう、という歌である。紫式部と友人の場合は相思相愛だから問題はないが、玉鬘の姫君と大夫監の場合は違う。乳母一家は、大夫監から逃れるため帰京する決心をした。とはいえ、都へ戻ったところですぐに実父に目通りが叶うわけもない。まずは、石清水八幡へのお礼詣でをすることになった。玉鬘一行は九州にいた際、筥崎宮や松浦の鏡神社に願をかけていた。無事、帰京できたお礼を同じ八幡神に報告しようというのである。後に神仏への祈願により、玉鬘は無事、実の父との対面が叶うこととなった。


 ちなみに、筥崎の松は古来より歌枕として有名。玉鬘と同じ頃、内大臣(頭中将)の娘として発見された近江君は、「常陸なる駿河の海の須磨の浦に波立ち出でよ筥崎の松」という日本列島あちこちの歌枕を混ぜ込んだ奇妙な歌を詠んでいる。逆を返せば、筥崎の松は近江君程度の不調法者でも知っているほどに有名な歌枕だったということであろう。


明石一族の繁栄と住吉の神

 神への祈願とその御願はたしは、光源氏自身も行っている。須磨・明石に蟄居を余儀なくされた際に祈願した住吉へ、帰京後、願ほどきに参っている。また、住吉の神と言えば、願をかけることで一族の繁栄を手にした人物がいた。明石の入道である。澪標巻では、明石一族だけで参った際に、威容を誇る源氏の参拝とかち合ってしまい、ただそれを遠く眺めるしかない情けなさを感じた明石君であったが、六条院に迎えられた後、若菜下巻では源氏と共に盛大な御願果たしの参詣をする栄華に恵まれる。明石巻の時点で、既に一八年もの長きにわたり、住吉の神に願をかけ続けてきた明石の入道であるが、その長年の神への祈願は、後に自らの血統から后・帝を生むという栄耀栄華へと繋がっていったのである。


野宮神社


鎮座地 京都市右京区嵯峨野宮町1
ご祭神 野宮大神(天照皇大神)
「斎王群行」を再現した行事「斎宮行列」は野宮神社から出発する。『源氏物語』や謡曲『野宮』で有名な社は、現在、えんむすびの神様、子宝安産の神様としての崇敬も厚い。

鏡神社


鎮座地 佐賀県唐津市鏡1827
ご祭神 神功皇后、藤原広嗣
境内には、玉鬘巻の大夫監の歌碑がある。


筥崎宮

鎮座地 福岡県福岡市東区箱崎1―22―1
ご祭神 応神天皇、神功皇后、玉依姫命
日本三大八幡宮のひとつ。ご神木の「筥松」は楼門そばの朱の玉垣で囲まれている。別名・しるしの松。応神天皇ご生誕の際、御胞衣(えな)を箱に入れ、この地に納めたしるしとして植えられた松である。


※下記の書籍に寄稿したコラムです。


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