【書評】西村賢太「苦役列車」

『生きる。それは辛く、美しい。』

 ふと、日々の生活に息の詰まる思いをしたことはありませんか。

 とかく、現代に生を享けた人は、「スマート」の観念にお仕着せられているように思えてなりません。反感を買わない、なんでも器用にこなす、皆が「いいね!」と言うモノを享受する、という価値観に縛られている。かくいう私もそのひとりです。

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 西村賢太氏の芥川賞受賞作『苦役列車』の主人公・北町貫多は、そうしたカッコつけた生活ができるほど器用ではなく、真っ向から衝突し、磨り減っていきます。傷つきながらも闘いをけしかける野生動物のようであり、爆発的な生きるエネルギーを感じます。

 氏の作品は概して、私小説というカテゴリーに分類されます。それは、日本文学に古くから息づく、書くこと=文章を通して己をさらけ出すこと、の純粋形式といえます。本書では、十九歳の貫多が日雇い労働で糊口をしのぐ生活のなかで、友情を力任せに欲望した顛末が描かれます。自身の境遇に劣等感を抱き、屈折した感情の中で苦悩する姿は、私たちが目を背けようとしている、生きること本来の「泥臭さ」に共振を呼びかけることでしょう。

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 このたびの再読では、私自身の変化のうちに、面映いようなおかしみを感じました。貧乏学生の時分から時を隔てるうちに、私もいつのまにか「スマート」の価値観に絡めとられ、「おそばのおつゆも一滴余さず飲み干す」という力強い意地汚さを忘れてしまっていました。

 他方で、作為的な物語の展開が透けて見えることには、鼻白んでしまいました。人生は、良くも悪くも起承転結ではありません。私小説ならばこそ、人生の苦悩という出口のないトンネルを、時空の広がりをもって描ききってほしかったところです。

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 生きることに泥臭さ、意地汚さ、矛盾はあって当然です。それらを含めて本当の「自分」です。本書は「スマート」に疲れたあなたに、毒を以って毒を制す強力なカンフル剤になることでしょう。

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