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日記 1月17日 この頃の死生観

復帰して3ヶ月、長いようで短いと思う。

前みたいに心が不安定になり衝動的になることはなくなったけど、
最近、ふと希死念慮を感じることがある。

希死念慮というにはそこまで強くないのだけれど、
何となく死にたいなと思うことが増えた。

医師からはもう治ったねと言われているが、
心の奥はまだもやもやしている。

生きることに挫けた人は、ずっと生きることを考え続けるのかもしれない。
挫けたというより、疲れてしまったと言う方がしっくりくる。

noteに書いているように、自分と向き合う時間を作り、
心の声を吐き出さないと気付かないうちに溢れ出して、
衝動に突き動かされる感じがする。

最近、色々と心が疲れてきているのかもしれない。
少し休憩してまた歩き出せるように準備しないとまずいかも。

頭に浮かんだことを文字にして、
それを自分で読んで私が考えていることを理解していく。

自分が何を考えているかわからないと思うことがよくあったけど、
文字に書いてからは、読むことで自分を知ることができている。

自分の気持ちを理解するためには、文字にして書くのが1番だと思う。

最近、気持ちが落ち込んできたのはなぜだろう?

復帰して仕事を始めて色々とできることが増えてきて、
おそらく頑張りすぎたのだと思う。

何となく人と関わりたくないと思うことが増えた。
自分の行動範囲を狭めて、やることを絞り、日々を暮らしていきたい。

何となく、自分に疲れて、周りの環境に疲れているのかもしれない。

最近、独りの時間を作れてないと感じる。

目的や目標について考えて、それを達成するために行動リストとか作って、
そのリストを見て興が削がれて消沈する。

この繰り返しだけど、リストを作ると昔に戻ったみたいな感覚になる。
生き方を変えないといけないのだけど、なんかまだ難しいと思う。

生き方を変えるといってもやり方は色々ある。
私はもう生き方を変えたはず。

業種を変え、環境を変えた。
日記をつけて日々の記録をとり、それを見て自分を知ることもできている。

だけど、自分を知れば知るほど目標を追いかける姿が見えてくる。
何か目的を作り、それを達成するために愚直に頑張ろうとする姿。

友人、家族、自分も省みずにただ自分で決めたことを達成することを考える私が見えてくる。

これは、過去の私だ。

人の根っこは1年とかじゃ変わらないみたい。
変わりたいと思っても、なかなか難しい。

いっそのこと生活リズムも、
目的も、目標も、読む本も
何もかも変えたら、私は私ではなくなるのかな?

それはもう別人として生まれ変わったようになれるのかな。

でも、それは別人でありもう私ではない。
そもそも、私が別人になることは無理だと嫌というほど分かっている。

こんなことを考えながら、日々を過ごしている自分がいる。
もう疲れたと、諦められたら楽なのだろうか。

人生は幸福になるためにある。
昔の人は人生の意味をこう考えたけど、私にとっての幸福とは何だろう。

ここまで考えて、「豊かさ」とは何かということが頭をよぎる。

幸福に生きることは、豊かに生きることだと思う。
精神的な豊かさ、物質的な豊かさ。
この豊かさを得るためには、日々を生きているという感覚があり、
その上で自分の成長を実感できる生き方をすればいいのかな。

社会の中にいても孤独を感じる。
だけど、私だけじゃなく多くの人が孤独、生き辛いと感じている。

これはなぜだろう。

答えの出ないことを延々と考えても仕方がないと割り切り、
現実に影響があることに注意を向けて行動できれば、どれほど楽なのか。

妄想の世界に引っ込んで現実から逃げても、自分がいるのは現実なので、何も変わらないし、いくら妄想しても行動しなければ現実は変わらない。

だけど、こう文字を書いて自分の妄想を言葉にして読むことで、
今の自分に何が必要かをみることができる。

この文の中にも、自分が求めているのは現実に影響を与える行動をすることだとはっきり書いてある。

今日はいい天気だけど、私は家にこもっている。
気分転換で外に出るのも悪くないかもしれないと思う。


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