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Twitter騒動からわかる大失敗時代

最近イーロン・マスクの一挙手一投足が世間で注目の的になっている。

そして私もそんな世間を構成している中の一個人である。

また今回は学者でも専門家でも評論家でもない、世捨て人に片足をつっこんでいる

「一個人の私」が最近のTwitterの一連の流れへの個人的な考察をnoteで公開しようと思う。

今回のテーマとしては下記の2点である。

1.レイオフと人材の流動性

2.過程こそ経済を動かす時代

1.レイオフと人材の流動性


まずは1のレイオフと人材の流動性についてだ。
レイオフなかなか馴染みのない言葉であるかと思う。

レイオフとは企業の業績悪化、不振により従業員を解雇することである。

日本では原則認めらてはいないが、欧米を含めた海外では認められている。

そしてこのレイオフがあるからこそ、欧米では人材の流動性が高まり経済が活性化するのである。

どういうことか説明しよう。

話が脱線するようで申し訳ないが、企業は「栄枯盛衰」するのが普遍である。

簡単に言えば

「この商品をこれから世の中に売るぞー」

「このアプリを広めよー」

というような企業のスタートアップ時はシステムの構築に人員を必要とするが、

システム構築後は人手は必要のないケースが多く余剰人員が増えるだけである。

しかし日本ではこういった従業員は既得権益者となり会社にしがみつこうとする

皆さんの会社にもいるのではないか?

仕事の生産性ではなく組織の創業時に存在したからという理由で給料をもらう人が。

つまり日本では正社員になれば簡単に解雇できなくなり社員が既得権になり保守的になりやすい。

またデメリットとして就職がゴールとなり、それ以降自分のスキルを磨く努力を怠るため

結果として労働生産性も下がる。

日本経済の低迷は人材の流動性の低さが一つの要因だと考える。

上記では日本の雇用制度の負の側面について記述したが

正の側面もある。社員は安心して将来設計することができる。

企業から雇用が守られているため

持ち家も安心して購入でき

計画的な支出管理もできるだろう。  

正の側面、負の側面を天秤にかけ

どちらに傾けるのかは政治家のお仕事なので任せることにする。

あくまで私の個人的見解としては人材の流動性を高めるべきだと考える。

それぐらい日本の経済状況は過去に比べ低迷している。


「引用」

もちろん人材の流動性を高めた結果、働けなくなってしまった人や困窮してしまった人は社会保障で保護すべきである。

そういえば、、、なぜ欧米では人材の流動性が高まることにより経済が活性化するかについてでしたね。笑

つまり日本とは逆なのである。

企業のスタートアップ時に人員を雇い入れ

システム構築が終わり、あとは保守運用するだけになったら

必要最低限の社員でまわすことにより

他の社員は次の企業で積み重ねた経験と知識とスキルを活用する。

そうすることで余剰人員はなくなり企業の収益率は高くなるし

次々に新しい会社が生まれ、そこに豊富な経験をもつ社員が働くことによりイノベーションがおこるのである。

以上が要因となり欧米では資本主義が加速する。

まとめると欧米では高いITスキルを持った人材の流動性が高まることによって

新たなサービスやプロダクトが生まれ、それが反復し加速することにより経済が活性化する。

最近では日本もジョブ型雇用を採用している企業が増えてはいますが、今だに新卒で一括採用し、そこから教育していくところが多いのも事実でしょう。

2.過程こそ経済を動かす時代

レイオフからはじまり

公式マークの有料化

長時間働けるエンジニアへの懇願

トランプ大統領のアカウント復活

「イーロン・マスク劇場」とも呼ばれているこれまでの過程。

今では国内外問わず多くの人々がイーロン・マスクの動きに注目している。

これをある程度俯瞰して考えたとき

イーロン・マスクの一挙手一投足がCMや看板など足元にも及ばない広告塔になっていることに気づかないだろうか??

つまり広告宣伝費がいらないのである。

経営者していく上で広告宣伝費がかからないだけでかなりのコストカットになるはずである。

現在行われているイーロン・マスクの行動が、経営者や表現者にとって必要だと考える。


「引用」

上記の画像はTwitterでケンタッキーがあげていたものである。

生成AIの技術で人間の顔からアニメイラストをつくりあげている。

かなりの技術ではないだろか??

また作りたい絵を言葉で表現したものを、入力するとAIがつくってくれるのである。

つまり「川で遊んでいる小さな子供」と入力すれば、その内容にそくした絵をAIがつくる。

なんとも芸術家泣かせな時代である。笑

でも悲観しているばかりではいられない。

AIを敵視していると

AIと上手く「共存」している国との競争に負けてしまう。

というよりもこの傾向はAIの技術が発達する前からもうすでに始まっていた。

今ではググればなんでもでてくるし

YouTubeを見れば上手な人が解説を交え丁寧に説明してくれる。

料理の作り方

デザインのしかた

センスの良い服の選び方

小説の書き方

音楽のつくりかた

などなどかなり専門性の高いレベルまで学ぶことができる。

つまりもう人間がつくる「成果物」の差がなくなりつつあるのである。

「成果物」に違いを見いだせないなら、なにで差別化するのだろうか?

そうそれは「過程」である。

山登りと一緒である。

山頂は一つしかないけど山頂への登り方は様々である。

「引用」

つまり人類は登り方のルートで違いをだしていかなければならない時代に到達したのである。

これをイーロン・マスクは現在行っている。

「はい。業績不振のため従業員減らします。」

「従業員減りすぎて困ってます。」
 
正直カッコよいか、カッコ悪いかの尺度でいったらカッコ悪いのであろう。

しかしこのようなカッコ悪さこそAIに代替されない人間特有のものなのではないだろうか?

AIに代替されず、他と差別化できるものが、「過程」であり、「非合理性」であり、「カッコ悪さ」なのである。

日本人の美徳として努力は表にださず、裏でおこない

ある程度のクオリティーに達したら「成果物」として市場にだすといった価値観みたいなのが存在するように思える。

観阿弥、世阿弥の「秘せれば花なり、秘せずは花なるべからず」という言葉がある。

「引用」

たしかにトリック画バレてる推理小説や次の展開の予想できる某少年漫画ほどつまらないものはないだろう。

そうゆうような隠すことにより後々花開くものもある。

しかし「過程」については別である。

これは秘せなくていい

この花は秘せないほうが花が実るのである。




3.まとめ

これから「成果物」「創作物」でクオリティーの差をつくるのは難しくなる。


そして上記で記述したように「過程」で差をつける時代が到来すると考える。
 
表現者やクリエイターは転んだり、失敗することこそ経済を動かすのである。

失敗が前提の挑戦に恐怖する必要性はあるのか??  

否、ないはずである!

さぁ盛大に転ぼう、失敗しよう、狂おう。

大失敗時代の幕開けである。

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