「この世のバグ」みたいな存在
最近『正欲』という小説を読んだ。
朝井リョウさんの小説だ。
かねてより朝井リョウさんが好きだ。
ちょうど同世代か、それよりちょっと下の世代を主人公にした作品が多い。
現代人が抱えるSNS上の関係やリアルな社会での「本音と裏腹」を見事に描写してくれる作家だと思う。
彼の代表作とも言える、就職を舞台にした現代の学生の本年と裏腹を描く『何者』。
効率化を選ぶ友人と、古き良き作法を大切にする主人公のすれ違いを描いた『ままならないから私とあなた』などは何度でも読み返して、人の感情の機微を感じ直したいと思える作品だ。
そんな朝井リョウさんが2021年に世に送り出した『正欲』という作品が
5月に文庫本になったので読んでみた。
正直自分は、「普通の感覚」を持った人間だと思っていた。(今も思っている。)
それだから、自分の感覚で違和感がある人を「気持ち悪い」とか「相容れない」とか、つまりは「普通ではない人」だと勝手に思ってしまうことがある。
そういった人たちを、小説では「この世のバグ」と称している。
残酷な感情だけど、実にしっくりきた。
「バグ」なんだから、大ひろげに公に出てこないでほしい。
しかしながら、本当にそういった人たちが「バグ」なのかはこの小説の中で問われている気がした。
ただ単に「マジョリティ」が作り出した「マイノリティ」なだけであり、「マイノリティ」認定された人は、ただそれだけで人生に息苦しさを感じてしまう。
そう思うと、「普通」とか「マジョリティ」とかにいる自分は、見えない暴力を振るっている気がしてならない。
そもそも「普通」でい続けることなんか、到底できやしないのに。
(=どのコミュニティでも、波風立てず「普通」でいる可能性は、限りなく低いのに)
こんな感情を抱いてしまう自分も、また一つの「バグ」なのかもしれないと感じた。
だから、「なんかこいつズレている」と思っても、「この感情が湧いた自分がずれているかもしれない」という視点は持ち続けたいと感じざるを得ない内容だった。
「普通」って難しい。
「バグ」なんて存在しないのかもしれない。
読み進めることはできるし、物語として非常に楽しい一方で、とっても考えさせられる1冊だった。
日々感じたこと、ほんの少しでも誰かのためになることを なるべくやわらかい言葉で伝えていけたらと思います。 これからもどうぞよろしくお願いします。