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慾の秋_2024/09/20

(左下のはイヤホンケーブルであってウォレットチェーンではない)

このたい焼アイス、めちゃめちゃ美味しいです。バニラアイス、チョコ、あんこの甘圧がたまらなくて、外側のもなかも絶妙なしんなり具合で食べやすい(チョコモナカジャンボのもなかは乾きすぎててぼろぼろ落ちてしまうのだ)。


最近食欲がすごい。

とりあえず毎週金曜の放課後にスーパーでパンやアイスを買ってベンチで食べる、ということで合意したけど、それでもまだ食べ足りないな。ちょっと気を緩めたらコンビニに入りそうになる。
そのスーパーへは少し寄り道しないと行けないが、コンビニなら通学路に5個くらいあるのでほんとに恐ろしい。

いっぱい部活したからご飯大盛り食べるぞ~!😝🍴とかならかわいいもんだけど、今の私の食欲は、人間の遺伝子に刻まれた欲が現代社会で倒錯してしまったタイプの食欲。砂糖、塩、油を欲している。
前までは1日1個のすッパイチュウで満足してたのにね。

貧乏性なのでコンビニでPB以外の商品が買えず、途中下車してスーパーに寄った結果、帰る時間が遅くなってそのまま勉強時間も減る、という事態に陥っている。よくない。


カレーパンやあんドーナツもうまかったし、梨もうまい。ヤマザキの羊羹と、あと森永のキャラメルも美味しいよね。さつまいもクリームパンもよかった。

秋だ!!


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私には物欲がずっとすごいある。それを理性で押さえつけてるからまだ破滅的な散在には至ってないが。

さまざまな種類のものが欲しい、というよりも、同じジャンルのものをいっぱい集めたい。コレクション気質というか。
文房具なんかまさにそうで、実用的には絶対そんなにいらないのにシャーペンやボールペンをたっくさん買っていました。

本は恒常的に欲しいし、あとこの頃はtopologieというところのバッグが気になっています。
ちょうどいい感じのバッグというものを私は以前から探していて、これはかなりよさそう。肩紐がロープになってるのがポイント。高い。

荷物いっぱいのときはリュック背負うけど、ちょっとしたお出かけの際に持つかばんがない。中学生のときに買ったしょぼいショルダーバッグしかない。
丈夫で洒脱でなおかつ機能性もあるようなかばんをくれ。


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手に入れた本たち。

読みたい本リストを眺めてたら興味の変遷がわかっておもしろい。
ここ半年くらいは批評に興味があって、広く思想系の本、たとえば柄谷行人の本だったりが欲しいんだけど、高いのね。伊坂幸太郎の文庫とかだとブックオフで投げ売りされてるが、この手の本は中古でも1000円とかで、清貧高校生にとってはなかなかしんどいんだ。

写真のやつだと、大塚英志『定本 物語消費論』が中古で文庫なのに700円くらいした。売ってないよりはましか。

図書館で借りるのもいいんだけど、20世紀以降くらいの思想本は特に品揃えが悪いし、あとやっぱり物として所有しておきたいというのもある。かっこいいじゃん。すげーじゃん。


小学生の頃、あちらこちらで貰える図書カードを貯めててその額を自慢してくる奴がいて、でもそいつは本とか全然読まないタイプで、私はよこせ!と思っていた。


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枝毛を「枝のように太い毛」だと思っていた。


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世界素晴らしい期に入っている。

エアコンがつきっぱだったことをすっかり忘れて、「今日の朝はやけに涼しいな、そろそろ秋が来てるのかな」としみじみしていたら、途端に世界が素晴らしく思えてきた。私は秋の涼しくなってくる感じが大好きなのだ。その数分後には涼しさが秋じゃなくてエアコンのせいだと気づいたが、世界素晴らしい!という気持ちはまだ残っている。


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いま米がアレなので、夕食に98円の食パンを食べてたりする。
私はもともと米がそこまで好きというわけでもないから、特に害を被ってはないです。むしろ夕食にパンを食べるための名分になって嬉しいくらいだ。

6枚切り食パン×2に砂糖とバター塗って、黒焦げ寸前まで焼いて重ねて食べるの、くそほどうまい。
砂糖を焦がすことでがりがり食感になるし、シュガーバターのチープな味が激安パンに合う。そんで2枚重ねだから贅沢っぽくていい。カロリーもおそらく400kcal弱くらいあるので栄養失調になることもありません。


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体育大会のダンス練習が始まったよー!

単にダンスが下手というのもあるが、〈私〉が消されるのが嫌だな。
(ダンスには明るくないのでまちがってたらすまないが、)ダンスにおいてダンサーのパーソナリティはどうでもよくて、ただ動きがあればいい。そこに私はおらず、私の風貌をした、ややぎこちない人形があるだけである。

まあ死ぬほど嫌ってわけでもないからなんとかやっていきます。
夏休み中は文化祭のことや体育大会のことや社会のなかの自分のことなどを考えすぎて半分病んでた時期があって、2学期は全ブッチしようかとも思ってたが、ふつうに留年しかねないので9月もまじめに通うことにした。大検も検討しかけたけど、今はもう大丈夫です。


学級委員くんに体育大会の撮影を頼まれたし、当日夜に友人と寿司に行く協定も先週結んで、あと「ベイビーわるきゅーれ」の公開も控えてるので、体育大会までの浮ついた学校生活をだましだまし過ごしていこう。


4×100mリレーのことを「4K」というが、どういう意味なのかな~と思って調べたらKじゃなくて「4継」らしい。元陸上部なのに知らんかったぜ。


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文化祭、ミセスグリーンアップルのカバーばっかでちょっとむかついたな。

模擬店をやった。忙しかったね~。親も買いに来たらしいが、作業に勤しみすぎて気づかなかった。模擬店くらいでぬかすなと言われそうですが、飲食店ってすごいな、と思った。

3年生は文化祭で衣装を着る、という慣習がうちの高校にはあって、私のクラスは私立高校生みたいな衣装だった。私はネクタイを初めて結んで、あまりのわからなさに笑ってしまった。恐山を馬鹿にできない。


思い出話のなかで、私が1年生のときに所属していたクラスはかなり荒れていた、という話を聞いたが、全く身に覚えがなかった。そんなにひどかったのか! 私は知らなかったよ。

どうやら、そのクラスで内部分裂があった、というのは私たちの学年ではお馴染みのネタらしい。
ぼっちだった自覚があるとはいえ、あまりにも初耳だったのでちょっと悲しくなった。


文化祭の帰りにコンビニでカレーパンを買ったら、中学時代の後輩がバイトしていた。記憶のなかでは小さい後輩だったのに、店員すぎてびびった。もう私たちは大人に見える年齢なんだな。時間の不可逆性~~~


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勉強のペースが乱れてきた。
原因は、学校が始まったことだ。夏休みが終わったけどもまだ新しいルーティンを確立できておらず、なんとなくインターネットをしてしまっている時間が、ある。

受験勉強を楽しまなければならない。本当は受験勉強は大学へ入るための手段であって目的じゃないんだけど、フルコミットするためには受験勉強を目的にしたほうがいい。自分を、受験に酔ってる状態にしたほうがいい。


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Creepy Nutsのなんかの楽曲で「戸塚ヨットスクール」って歌詞があって、歌でそんなこと言っていいんだ、と思ったことがある。
この前、佐世保女子高生殺害事件のWikipediaを読んでたら「R-指定が「お前を切り裂く佐世保のJK」と言い、この事件をネタにしている」と書いてあって、こういうとこがヒップホップのよさなのかな、と思った。


製作者17歳ってま? 年齢抜きにしても好きすぎるだろ。


なんじゃいこれは…


関西人でもさすがに「チュー↓ペット」とは言わない。


EDM調の音楽が好きだが、クラブで流れているような音楽を自分が聴くということに抵抗があるので、Spotifyでたまたま見つけた「EDM ボカロ」というプレイリストにありがとうと思っている。

まじでこればっか聴いてる。


「ガブリュウ」ってポケモン絶対いたはずなんだけどいないんだな、それが。


厨、々~


ボカロ特有の、音の気持ち良さぶっぱの言葉選びってあるよな~(これをどこかに移植したい)


この音大好き


マーキア…



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わかっている。わかっている、そのうえで愚痴らせてください。

現代文のK先生が特に好かない。
今は小林秀雄をやってるんだけど、「小林秀雄は初めて評論をした人だ」と説明したり、教える立場なのに「私もよく理解してないんですがw」と言ったり、にもかかわらず正しくないと思われることを堂々と生徒に教えたり、ちょっと前に一度脳梗塞かなんかで倒れてからさらにひどくなって、口も満足に回っていない。

年も年だし公立高校だし、パキパキの授業ができないのは仕方ない部分もあるけど、それを自覚せず、してはいるのかもしれないが、意地で教壇に立っているところが気に食わない。ICUからもリモートで授業をしてたから、あれはもう意地以外の何物でもないだろう。おまえの意地におれら生徒を巻きこむな。記述の添削とかできんの?

K先生は小林秀雄の本を読んだことがないと言っていた。そんな人が小林秀雄を教えていいのか?
人にものを教えるとき、教師側はその権力に対して責任を負わなければならない。


そもそも現代文という教科って何だよ、という話でもある。
具体的な文章の内容を説明する、という授業を何時間もかけてやって、受験現代文には役に立たないし、かといって教科書の文章以上のことをやるわけじゃなく、それだったらひとりで読書してたほうがいろいろとはやい。

やる気と能力のある教師なら面白い授業を展開したりするんだろうけど、そうじゃなかったらただの説明に尽きる。深堀りするわけでもなく、ただ教科書を読んで説明するだけ。面白くはない。

あと現代文は他教科に比べて同偏差値帯でも生徒間における知識や経験の差が大きいし、それが前面に現れない。
たとえば数学ならテストの点でわかるが、国語の能力――これまでの読書量とか論説文で扱われるような内容についての知識量なんかは、あのテストじゃうまく計れない。だから余計に、わかる人にとっては退屈だし、わからない人にとっても退屈な授業になってしまう。

正直授業である意味がないというか、教科書レベルの文章なら自力で理解できるんよな。
こんなにイキれるのは、同世代のなかでは読書を長く深くしてるほうだ(という自負がある)からなんだけどね。数学できる奴とかも同じような気持ちなんだろうか、それが私には現代文だった、という話で。

現代文が嫌われるせいで読書までもが嫌われるのを避けたい。

教科書の文章がおもしろくないというのもあるよな。短すぎるし。あのチョイスじゃ読書の楽しさなんてわからない。勉強になるな~とは思っても、楽しいな~とはならない。
すべての教科に言えるか。数学好きだって楽しいからいっぱい問題解いたりしてるわけで、楽しけりゃみんな自分からどんどん掘っていくんだから、無理に知識を押しつける必要はない。受験勉強をしてても痛感してるけど、自分がノッてるかどうか、ってまじで大事よな。学校から配られたワークはやる気にならんけど自分で買った参考書はやる気になる、みたいな。そこの芽を出させるように仕向けるというのは、いかがかな?


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Tくんに「おまえは一人であれこれ考えてよくわからん結論を出す。おまえの思想はあんまり人に受け入れられるものじゃない、ということを自覚したほうがいい」「おまえはおまえが思ってるよりも変な奴だ」と言われた。

Tくんは私の数少ない思想仲間で、最近はもっぱら青春というイデオロギーについての考察や幸福の定義の話をしている。そんなTくんに上記のようなことを言われたわけで、私としては嬉しさ半分、反省半分といった感じだ。

「凡夫」よりも「変人」のほうがよっぽど褒め言葉なのは確かだが、いっぽう他者意識の欠如については重く受け止めたい。私も他者を意識している、理解しているつもりで、私の思想においても他者を想定しているつもりではあったんだけど、まだまだ足りなかった。

以前私が「世界に終わりを設定すれば、みんな大団円に向かって幸福に生きようとするんじゃないだろうか。世界が永遠に続くという幻想が不幸の温床だ」というようなことを言ったら、「我々のようなある意味出家してる人たちは、世界が終わることになっても落ち着いて幸せに生きようとするかもしれないが、一般大衆はパニックになるに決まっている」と論駁された。まったくそのとおりだった。こんな感じで私はみんなに期待しすぎているきらいがあると、Tくんは指摘したのだ。もっと現実を見ろ、と。

みんなを低く評価しすぎるのもどうかと思うんだが、Tくんは私とは正反対のかなりの現実主義者だからそう考えているのだろう。たしかにもっと世間にチューニングすべきなのかもしれない。ひとりで肥え太らせているだけの思想はあまり意味がないから。みんなに影響を及ぼしてこその思想だから。

Tくんは趣味で法華経を写経するような人で、人のことを「変人」などと言えたがらでもないような気はするが、彼はその自覚があるという点で私より一枚上手だったのだ。私は自分のことを概ね典型的なインターネットボーイだと思っていたのだが、彼の言うことに従うならば、再検討が必要なのかもしれない。


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たぶん次回は模試結果大発表お祭りシンポジウムなので、首を長くしておいてください!!!!!


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