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オープン・ザ・五臓六腑_2024/08/13

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第1回京大オープンに行ってきますた。


これは夕方の写真(正直)

京都大学で受けるので、6時起きで京都へ向かいます。こんな朝早いのに、電車が都会に入るとすぐ満員になってうける。途中なんと京阪が止まりやがって、そのためかなり迂回してギリギリに到着。

座席はおそらく学校ごとに固まっていた。会場は京大以外にも何ヵ所かあるんだけども、同じ学校の文系で京大にいたのは私含めて4人だった。私と同じく文学部志望だという人もいて嬉しいね。


数学(120分)

むじ~~~
3完できた!と喜び勇んで解答を見たら全然1問しか合ってなかった。ぐぇ。いいもん、文学部は文系でいちばん数学の配点が低いから。
……とはいえ、絶望ではない。過去問もちょろっと解いてみたけれど、こっから半年間がんばればいけなくもなさそう、という楽観がある。本番は2完したら耐えだと篠原好が言っていたし、その分英国をがんばれば数弱の私でも結構なんとかなるんじゃないでしょうか。

あとは厳密性、大事ね。「論証の京大」の名残なのか、単なる記述じゃなくって、どう言えばいいんだろうな、場合分けとか条件とかそういうある意味数学っぽい細かさ、みたいなものを軽んじると死ぬな、と思った。
これについてはパターンをもっと習得してから取り組もうと思います。とりあえずは青チャをぶん回さないと話にならない、お話にならないの。

まあできるできないはいったん置いておくとして、京大の(文系)数学はふつうに問題として面白いです。作業じゃないのがいいよね。問題解いてるう~という感じがする。
高校受験のときに通ってた塾で灘や東大寺の数学を解かされてたあの瞬間の、マセマティシャンズ・ハイ的なわくわくを思い出してきた。高校生になってからの数学は作業作業で辟易しちゃったけど、その問題たちを乗り越えた先にあるなかなか解けないむずい問題って、面白いんよな。わからなさも含めて。
私は数学は苦手なほうだと自認しているが、大嫌いじゃない、というのがまだ救いかもしれない。


英語(120分)

きちい、でも数学よりはできたかな……。
和訳+和文英訳+自由英作文+αなわけですけども、内容説明がなかったのでまだマシ。長文は鳥の生殖の話と勉強の話でした。鳥のほうで「be sired by another male」という文が出てきて、これを友人は「他のオスに種付けされる」と訳したそうだ(sire:(オスが子を)つくる)。いじられていた。

和文英訳と自由英作はただいま勉強中なので(ちなみに私は昔逃走中のスマホゲームが好きでして、そのパクリゲーに「ただいま逃亡中」というのがある)できなくてもしゃーないということにしておいて、和訳の話を、しましょう。
今の私に足りないのは、圧倒的に単語力と速読力だな。ポレポレに鍛えられたので、ユクーリ読めば構文は把握できる。ただし単語力がないから、ところどころ訳せなくて推測になってしまう。京大英語は未知の単語を推測させる、とは言われるものの、基礎単語すら推測しているこの状況は非常によくないです。もっと単熟語帳を回さないといけません。
速読もあまりできない。時間的にのろのろ読むわけにもいかないので、今は理解を犠牲にして速く読み進めるという事態になっている。これもよくないです。内容説明が出るかはわかんないけど、和訳にしても下線部を読むだけじゃできないから、結局速読力は必要。速く、かつ丁寧に。音速のフェザータッチを。


昼食。
セブンのさんかくパン、うまい。小さくて食べやすいし甘さもちょうどいい。今まではスティックメロンパンが至高だと思ってたけどこっちもいいな。


国語(120分)

まあまあまあまあ。
現代文の2題は、戯曲と詩というテーマがかなり似た文章だった。私は読書量に定評があるので、現代文はぜひとも得点源にしたいところ。どれくらい点をくれるかはわからないが、書けはしました。
古文もそこそこ書けた、と思う。文章の難易度もそこまで高くなかった気がする。

過去問を見て思ったのは、現代文の文章自体はべつに難しくないんだけど、だからこそ設問が難しくなる、ということ。理論武装しまくったカッチカチの文章なら、読めば答えが書いてあるんだから適当に抜き出して繋ぎ合わせときゃなんとかなる。けど京大の現代文は堅めのエッセイという感じの文章が多いので、文章に直接的な答えが書いていません。しかも文章の展開なども必ずしも論理的じゃない。なので行間を読んだりしながら自分で解答を作り上げる必要があって、それが京大現代文を難しくしている所以だと思うのです。


世界史(90分)

なるほど、わからん。
夏休みに入ってから世界史はある程度勉強してきたつもりだけど、それでもまだ全然足りない。私が得意なのは古代中国なんですが、小2からずっと読んでいる横山光輝は受験においてはなんの役にも立ちません。

ここで珠玉の横山光輝あるあるをご紹介。
・作品間でのキャラの描き分けができていない
・宦官、悪い
・皇帝に忠言したりしたあとに身の危険を感じ、病気と称して自分の屋敷にこもる
・白目のキャラ、いる

京大といえども、小問集合は簡単なので単純に暗記すればいけそう。というか、いけなければならない。本当にそれくらいの、一問一答レベルの問題で60点あるんだからありがたい。
論述は今はむりぽなのでちゃんと通史が頭に入ってから対策します。


模試終了!


同じ学校の京大志望の友人と、ラーメン東大に行きました。東大。まあほら、せっかくなんで。
上にのってるの、牛肉かと思ったら豚バラ肉らしい。豚こま育ちの舌なので牛肉だと感じてしまった。麺はチェーン店の麺、という感じでしたが、スープは思いのほか美味しかった。味濃くていいね。スープは濃いほうがいい。私がラーメン屋に行くのは、スープが飲みたいからなのだ。

で、その友人と受験などについていろいろ話しました。面識はあるけど二人きりでは喋ったことがない、くらいの関係で、ひたすら初めのコミュニケーションをしていた。
ああいう会話ってもぞもぞする。ゲームのムービーですらスキップしてしまうような私たち現代人の性なのか。お互いの基本的な情報を訊き合ったり、とりあえず目の前のものを話題にしたり、言葉が意図しない形で伝わっちゃってああおれが言いたいのはそういうことじゃないのに~となりながらも訂正できなかったり、これら一連の過程をスキップして、あなたと今すぐマブダチになりたい。


タリーズの390ml缶を購入したけど眠くならなくて結局飲まんかった


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無性に吉田製作所が見たくなる時、ありますね~
ガジェット系についての知識はすべて吉田製作所から身につけたので、「Snapdragon 8パチ Gen2」とか言ってしまう。

そういや私はAppleアンチです。より正確に言うならApple信者アンチか。エアドロとか言われても知りません。Quick Shareをしろ。
今どきの若者って(ジジイみたいなこと言うな)デジタルネイティブのくせに案外デジモノに疎い。私のスマホがMotorolaだという話をしたら、え?Androidじゃないの?と言われてびっくりした。その2つの概念は端末とOSとだからレイヤーが違うんだよ……。iOSを搭載してるのがたまたまiPhoneしかないだけなんだ。
オンボロイドとかもう言わないでください。iPhoneは高えから高性能なだけだからな、価格相応。オンボロイドと言われてドロイド君は非常に傷ついている!!


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あ、そうそう。流水大説の新刊出るってよ。超久々のミステリだ! 最近は英語とかキリスト教の本ばっか出してたから、もうミステリは書かないのかと思ってた。嬉しすぎる。しかもイエス・キリストが探偵らしい。すごい、伏線回収だ。キリスト教がこんなところで活かされるとは。少年マンガだ。宇宙船で修行してからナメック星に来た悟空、みたいなっ。
あとコズミックとジョーカーの新装版も出ると聞いた。歓喜歓喜。さっすが星海社、天才すぎ。

私の歪みの一部は確実に清涼院流水から来てますからね。中2のときの国語の授業でビブリオバトルをしよう!というのがあって、そこで私はコズミックを紹介した。あの時の私は、コズミックが面白いから紹介したんじゃなくて(もちろん面白くはあるけど)、コズミックが異端だから紹介したのだ。はっきりと覚えている。コズミックを紹介する俺、異端~!と思っていました。
他教科の授業中も、これ見よがしに机の上に講談社ノベルス版のコズミックやジョーカー、カーニバルを置いていた。「え何その本、結城そんな分厚いの読んでるの? すごすぎ笑」と言われたかったんですな~。うわー、今思うとめちゃめちゃきもい。


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最近は勉強中に音楽を聴いている。以前は無音のほうがいいと思ってたし、実際無音のほうがいいのかもしれないけど、音楽を聴く時間がないのだ。

中1の頃に読んだDaiGoの本で「勉強中の音楽はだめ」と書いてあったのを覚えている(当時私はDaiGo信者だった)が、最近クイズノックの動画でふくらPは勉強中に音楽を聴いてたと聞いて、そっからそれを免罪符にしている。


インドネシアの日本語詞バンド、らしい。歌詞に微妙に違和感のある部分があっておもしろい(interesting)。私たちがイカした顔で歌ってる英語詞の歌も、英語母語話者が聞いたらこんな感じなんだろうか。


ボカロのこういうところ、好き。


「アイヲウタエ」、好き。


よっ。


よよっ。


よよよっ。


こういう昔のヒップホップが好き。変声器かけまくってる現代のやつはあんまり好きくない。


ラブリーサマーちゃん、いいよね~


いっ。


いいっ。


尾崎雄貴とAimerの声の相性が良すぎる。


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自分を客観視することができない。客観視とメタ認知――綺麗に言うなら客観的認知とメタ的認知か?――は私のなかではとりあえず別物で、前者が見た目についての視点なのに対して、後者は精神についての視点である。つまり、「おれはイケメンなのかゲロブスなのか」と考えるのは客観視で、「おれは陽キャなのか陰キャなのか」と考えるのはメタ認知、とする。

私はメタ認知のほうはわりと得意なんじゃないかと思っていて、自分がどういう性格だとか、今どういう心理状態にあるのか、といったことをわりかし把握できている気がする。けれども、客観視は苦手だ。自分の顔が整っているのかそうじゃないのか、この行動は変なのかそうじゃないのか、全くと言っていいほどわからない。全くは言いすぎか。あんまりわからない。

外見を整えるということを全然やっていないわけじゃない。私だって朝起きて髪の分け目を少し作ったりする。ひげを剃る。そして女子高生を拾う。でもそれは他人の目を気にしてやっているというよりも、自分の理想に近づけるために、自分が自分の顔を見て嫌な気持ちにならないように、やっているのだ。そこに客観視はいらない。自分の主観的な審美眼で判断しているからだ。

たとえば私が襟足を伸ばすようになったのは紛れもなく火野映司の影響で、「復活のコアメダル」の映司がかっこよすぎたからだった。ただ今はどっちかというとベテランちを意識している部分がある。「帝京平成大学の赤本解いてみた」のベテランちがかっこいいな、と思っていて、はっきりと同じ髪型にはしていないが、襟足を切り落とさないのはベテランちに対する憧れ、尊敬、があるからだ。そんな私が周囲からどう見えているのかはわからない。

あと前髪はARuFaを参考にしたりしている。世の中の多くの人は俳優とかアイドルとかを真似してセットしたりするのかもしれないけど、私にはとてもできない。メタ認知が働くからだ。私はイケメン俳優やアイドルを真似する類の人間ではない。社会的に勝者とされている彼らに私が勝つための唯一の方法は、彼らと違うフィールドで戦うことなのだ。ただし、髪型を決めるにあたってなにかしらのリファレンスがないと困るのは確かで、無から髪型を生み出すことはできない。好きな人や尊敬する人の真似をしたいというのはよくわかる。だから私は、前髪においてそれをARuFaに設定したのだ。私がこうやってnoteを書いているのも、というかそもそもインターネットを楽しんでいるのも、元を辿ればARuFaの「野菜にストレスを与えるとウマくなるって本当なのか!?」の記事を読んだのがきっかけだ。もしこれを読んでいなかったら、私は今でもインターネットのことを単なる情報収集の手段としか思っていなかっただろうし、趣味も今より限りなく狭くなってたはずだ。だから私にインターネットという外の世界を教えてくれたARuFaやオモコロには感謝してもしきれないところがある。

で、何の話だったっけ。客観視ができないという話か。そう、精神的な面では自分を俯瞰して見ることができるのに、現実世界の見た目、容姿、ビジュアル、などという話になると、途端に自分を俯瞰できなくなる。だから世間一般の尺度における私の美醜がわからない。私の行動がスムーズなのか、ぎこちないのかわからない。だから運動音痴なのかな。自分の動きがわからないし、上手い人の動きをトレースできないから。

もうね、髪型や服、仕草とか振る舞い、声、喋り方、全部わかんないです。この文章でさえも、うまく客観視できない。文体とか。これを読んだ人はどう感じているか、とか。きもっ、と思っているかもしれない。どうでしょうか。まあ客観視の度合いは定量化できるものでもないから、案外みんなも私と同じくらいしか客観視できていないのかもしれないけれど、それにしても主観の力が強いな、と思う。

これは昔から私が他人の見た世界というのをあまり想定してこなかったからだろうか。ずっと自分本位で生きてきた。一人っ子。となるとこれからは他人の視点というのを開発していかなければならない。私には他人の感情もわからないのだ。表情を見て「こいつはちょっと怒っているな」とは判断できても、他人の立場に立って物事を考えるということができない。「こいつの立場からすると、こういうことを言われるとムカつくんじゃないか」と考えを巡らすことが苦手だ。

これを克服するためには、インプットから推量するしかないんじゃないかな。自分が変人奇人に見られようとべつにいいけど、私の客観視不足のせいで他人を傷つけてしまうとよくない。なので、他人にはなれないから、せめて視点を近づけようと努力をする。相手の性格や好きなものエトセトラを知って、それをもとに気持ちを推し量る。もっと他人に興味を持とう。情報源とかコンテンツ、その場を楽しむための装置として消費するんじゃなくって、人間どうしの本質的な関わりというのをしましょう。それが具体的にどういうものなのかはまだまだ考える必要があるけれど、おそらく私が苦手なやつだ。他人に心を許しましょう。敵じゃない。私が思っているよりみんな良い奴だから。怖くない。




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