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富士山占い

こんにちは、ゆきふるです。

私の地元は、埼玉県です。

埼玉県、というとどちらかというと、東京からの通勤圏として知られることが多いかもしれませんが、私の地元はそのイメージとはちょっと異なります。
ここはいうなればど田舎。
コンビニの数よりも田んぼの数が多い、のどかな場所なのです。

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そんな田舎の小学校に通っていた頃、私たちの学校の校舎には、特別な窓がありました。
それは3階にある窓で、そこからは、日によって富士山が見えたのです。

富士山が見える日は、私にとってラッキーデー。気分が良くなり、一日が少し特別なものに感じられました。

ですが、富士山が見えるかどうかは、天気に左右されるもの。
雨や曇りの日には、当然見えません。
かといって、晴れている日に必ず見えるわけでもありませんでした。

私は毎日、その日の運勢を確認しに窓辺に立つこともありませんでした。
子供ながらに、なんだかそれは野暮な気がしていたのでしょうか。
あるいは、占いのようなものを少し恐れていたのかもしれません。

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当時、私の家庭では毎朝テレビがつけっぱなしで、決まったニュース番組の映像が垂れ流されていました。
しかし、その中で占いコーナーになると、私は逃げるように自室に帰ったりもしていました。
今思えば、ちょっと笑える話ですね。

そんな占い避けがちな私でしたが、富士山占いについては、なんだか好きになれました。

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ある時、その特別な日が、実は季節によって決まっていたことに気がつきました。
もしかして、夏は見えず、冬は見えるのではないか、と。

当時はそれ以上のことを考えたのか、考えなかったのか、今となっては覚えていません。

でも、大人になった今、思うに、冬は空気が張っているから、遠くの富士山がよく見えたのではないか、という仮説が浮かびます。
敢えてこの確からしさは調べてはいないのですが、それを信じてみるのも悪くないと思っています。

空気が"張っている"と見える富士。

なんだか不思議な表現ですが、日常生活を顧みて、思うところがあります。

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例えば、誰かと議論をしているとき。
この時はどちらかと言うと、"空気が張り詰めている"に近いかもしれませんが、感情や緊張感が空気に染みついている瞬間、何かが見えるような気がするのです。

小学校の3階の窓から富士山が見えたように、空気が張った空間で、見えるものがあるのではないかと思います。
誰かのちょっとした機微から、感じるものがあります。
ゆったりとした空気の流れる空間からは、見えないものが、確かにあるのではないか、と。

ただし、富士山と違って、それは見えてしまったことでアンラッキーな気持ちになるかもしれません。
でも、それだって見方を変えれば、見れて嬉しいものなのかもしれないとも思います。

その日、その空間でしか見えない何か、例えば感情、人となり、良いところ、共感できないところ。
それを感じることができてラッキーだと、そう思えたらいいなと。

今日も、富士山を見つけに行きます。
仕事の中で。
あの3階から見える本物の富士山を思い出しながら。

では、また。

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