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心が叫んで、リアルを知る。

「リアルがないんだよ」

最近、他人から言われて印象に残った言葉である。

私は、本業の傍らアマチュアで俳優をやっている。
まあ俳優とは言っても、たまにエキストラで撮影現場に行くくらいで、たいしたことはしていない。

俳優と表記するのもなんだかむず痒いほどに何もしていない。
だが最近は少し気持ちに変化があって、多少なりお芝居に関わっている者であれば、それはもう俳優と言ってしまっていいいのではないか、むしろその方が失礼が無いのではないかと思い始めている。

今日は私が、なぜお芝居に関わっているのか、ということについて少しだけお話ししよう。

◇   ◇   ◇

結論から言ってしまえば、動機のほとんどが、"書くため"である。
普段、あらゆるエンタメに触れながら過ごしていて、物語、それも脚本を自分で書いてみたいという気持ちが芽生えたのがいまから1年ほど前。

そして、書くためには自分もお芝居について理解を深める必要があるのだと思い立ち、お芝居のワークショップに参加し始めたのが3ヶ月ほど前。

書くほうの力もろくに研鑽し切っておらず、ましてお芝居など一度も触れたことのなかった私に、大胆な行動のきっかけを与えてくれたのは、おそらくだがダウ90000の蓮見さんの存在だろう。

同世代でありながら脚本、演出、演者、タレントとしてマルチに活躍する彼の姿を毎日のようメディアから確認しては、羨望の目を向けていた。

彼のように大物になることは叶わずともこの生涯、なにか納得のいく作品を残して去りたい。
そんな気持ちがふつふつと湧き上がり、それではということで一念発起したのだ。

◇   ◇   ◇

人生で初めて、お芝居というものに触れてみて気がついたことがある。

それは、普段人前でなかなか感情を曝け出すということができない私も、お芝居でなら全力で叫ぶことができるということだ。

ワークショップで初めて大声を出して感情的なセリフを口にした時の爽快感、そして「自分ってこんなに大声で感情を叫べるんだ」と第三者的に感心してしまった感覚は、いまでも頭から離れない。

もっと照れてしまってどうしようもないものかと思っていた。
もちろん、マイムや滑舌、表現などはど素人そのものだが、そもそもマインドの時点でもっと苦戦するものと思っていたのだ。

26歳という年齢で、新たな自分と出会った。

冒頭の「リアルがないんだよ」というのは、ワークショップでお芝居の先生に言われたフィードバックだ。

演技ど素人の私の芝居には、リアルさがかけている。
そしてこの意識というのは、物を書くときにも全く同じことが言えたりする、と思うのだ。
具体性の欠ける文章は、共感力が弱い。

やはり書くことと演ずることには、なにか共通するものがあるらしい。


◇   ◇   ◇

そんなこんなでいまは純粋になにかを表現する一つの手段として、お芝居も楽しんでいるところだ。

私が何かを書く理由、それは以前にも書かせていただいたが、やはり誰かの気持ちを代弁する、言葉で共感を創出する、というのが明確な動機である。

私は雑食で、いろんなものに興味を示してしまうところがある。
これが本当に厄介で、軸になるようなスキル、分野というのが明確にはない。

だがこの移ろいやすい私の心というのは、もう今世では変えることのできない特徴でもある。
だから、せっかくなら利用していきたい。

あらゆる経験という強烈なインプットを掛け合わせて、自分だけの強烈な共感を生みだしたい。

何をしていても最終的には書くということに帰着するのだが、お芝居やラジオ、プロダクトデザイン、写真、アートなんかにも触れながら、自分だけのインプット、そしてアウトプットを磨いていきたい。

自分の根源的な活動目的、そして新たな自分を見つけるべく、なにか新しい世界に踏み出してみてはいかがだろうか。

では、また。

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