見出し画像

ゲームがつまらなかった私の考える「減点方式の世界」との向き合い方

こんにちは。ゆきふるです。
少しばかりご無沙汰になってしまいました。

突然ですが、あなたは子供時代、どんなことに時間を使っていましたか?
私はというと、放課後は友達と遊んだり、また家ではドラマを観たりしていました。山ピーの出ているドラマにハマってました。

子供時代の時間の使い方で、1つ大きな特徴に気がついたので、今日はその点について考えてみました。
よろしければ見ていってくださいな。

はじめに: ゲームに没頭しなかった子供時代とその影響

一般的には、多くの人は子供の頃、ゲームに没頭していたのではないでしょうか。今ではそれがソーシャルスキルの一部とすらも言われています。
しかし私の場合は、ゲームに対してほとんど一切興味を持てませんでした。ポケモンのダイパ(ダイヤモンド&パール)だけは唯一一通りプレイしましたが。

ゲームへ興味のなさは、私が大人になっても続いており、それが多くの面で私の人生観や価値観に影響を与えているのではないか、と思っています。

そこでまず、なぜ私はゲームにハマることができなかったのか、考えてみました。

理由①正解のあるルートに興味がない

多くのゲームは「正解」のあるクリアルートを進む形式を取っていると思います。もちろんそうでないゲームもあるかと思いますが。
一見すると、この「正解」を求めるプロセスは、人生そのもののようでもありますが、私にはこの正解のある世界が魅力的に感じられませんでした。
学校教育や職場でもよく見られるこの「正解のあるルート」は、私にとっては何かを「こなす」だけで、自分なりの解釈や創造性が必要ない世界に見えてしまいます。

理由②世の中の減点方式に対する違和感

また、別の視点になりますが、私が感じる違和感は、世の中の「減点方式」にも関係しています。

例えば、運転免許の試験では、小さなミスが積み重なって失格につながる仕組みがあります。

このような減点方式下においては、失敗を許容しない厳格な評価基準となっており、多くの社会的環境で見受けられます。
この減点方式に縛られることで、私のように自由に生きたいと考える人々の創造性や多様性が制限されてしまうと感じています。

ここまで、私がゲームにハマれなかった理由について触れてきましたが、一方で私の別のパーソナリティとは少し矛盾している、という事実もありました。

計画的な性格との矛盾

私は自分で言うのも何ですが、計画的な性格です。好き勝手に生きることのリスクは一定理解(自覚)していますし、計画なく行動すると後悔することも多いです。
このような計画的な一面があるため、全てを捨てて自由に生きるわけにはいかないのです。そこで求められるのは、自分の「やりたいこと」にリソースを集中させつつ、必要最低限の「こなすべきこと」にも労力を割くバランスの維持です。
やはり何においてもバランスが肝要ですね。

結論: バランスの取り方とその先へ

子供の頃にゲームに興味を持てなかったことは、私が自分自身と、そして世の中とどう向き合うかに影響を与えました。

そんな私ですが、生きることはある種ゲームのようだ、と常々思っています。

この生きるという究極のゲームには、自分自身でルールを作り、創造性を発揮する空間が必要です。私にとっては特に。
そのためには、計画性と自由度を巧妙にバランスさせ、自分自身の人生をデザインしていくスキルが不可欠でと思っています。

私のこのベストバランスの探求は、今後も続いていくでしょう。

では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?