それでも生活は続く

ここ最近、図書館に行く頻度が増えている。これはよくない。
中学校に進学して友だちができなかったとき、社会人1年目で月50時間残業していたとき、放課後や休日は図書館に通いつめていた。本を読むことは好きだけれど、私のそれは逃げ場を求めてのことだとようやく気が付いた。

大人なので、心が疲れたなーと思ったときにはカフェに行きたくなるが、それは「カフェでブラックコーヒー片手に文庫本を読むおしゃれな女」を演出したい衝動であって、コーヒーの金額や1杯で長時間居座る居心地の悪さに思い至ってしまい、結局足は図書館へ向いてしまうのだった。

図書館はいい。何時間ただただ本棚を眺めていても「本を選んでいる人」になれるし、書棚の間を歩き回っていても不審者とは思われない。最近はドリンクも飲める。小説の棚に好きな作家の新作が入っていないかチェックして、なんとなくレシピ本をめくって、自分の働く田舎の会社ではなんの役にも立たなそうな自己啓発本を冷やかす。友だちのいない寂しさやどことなく満たされない気持ちが霧散していく。

でもそれは夕方のチャイムがなるまでの話。17時には帰って夕飯の支度をしなくてはいけない。0時の鐘で舞踏会を後にするシンデレラなんてきれいなものではない。はいはい、自由な時間はこれでおしまい、といわんばかりに尻を叩かれながら家路につくのだ。

今日の夕飯はどうしよう。鶏と…キャベツかなんか炒めればいっか。
さっき見たレシピなどとうに忘れ、そこそこのおいしさと、手間と作り手としてのプライドが守れるギリギリのバランスを保った十八番メニューをつくろうと決めた。

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