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ブルネイの思い出

「平等」という言葉は色々な意味があって、
「平等って何?」という問いに答えられる自信はないが、
前回のnoteを書いた後、ふと思い出したことがある。

前回のnote ↓


かつて世界16か国に店舗を展開していた
国際流通グループヤオハン。
ヤオハンが倒産したとき、私はヤオハンブルネイにいた。
 
離着陸時にコーランが鳴り響くブルネイ航空に乗り、
ブルネイに降り立った日の晩、
私は社長邸宅の一室に間借りさせていただいた。
豪華な一軒家の別荘。
大学を出て間もない小娘が、
特別待遇ですね。
 
ブルネイヤオハンの日本人は4人。
社員教育を担当することになった私は5人目。
たとえ20代の小娘でも、
経営幹部のようなポジションになっていて、
現地の社員さんたちに
「一緒にランチしませんか?」
と声をかけると、
みんなさざめきたって逃げて行ったこともあった。
 
話を戻すと、社長邸に泊まった翌日、
シンガポールで労働ビザを取ってくるように言われ、
チケット1枚を手に、私は再びブルネイを飛び立った。
 
シンガポールで数日を過ごし、
労働ビザを手にブルネイに戻ったその日の夜、
 
「明日ヤオハンジャパンが倒産する」
 
と聞かされた。
 
翌朝から、社長は来たばかりの私にかまっている暇などなくなり、
私は社長邸から従業員寮へ。
 
従業員寮は薄暗くてながーい廊下の両側に部屋がたくさん並んでおり、
私はセリンダというフィリピン人女性と同室になった。
 
↓「セリンダの笑顔」につづく。

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