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逃避行

題名はJaco Pastoriusがベースを弾いている有名なJoni Mitchellのアルバム”逃避行”の事では無く、自分が東京から逃げる様に神戸の実家に帰った3泊4日の記憶と記録である。
うつ病が悪化し、家では思考停止し寝ると言う現実逃避をする日が何日も続き、流石に実家に一度帰りたいと以前から思っていて、実家に帰るまで意思力が足りず何度か神戸に帰る決心をした日があったが、家を出ては引き返し布団に戻り寝込む日が4日ほど続いた。
今週の火曜日にようやく新幹線に乗れた。東京駅に向かう直前までにオンラインでチケットを取り、やっと東京から逃げる事ができた。行きは新幹線の窓のシャッターを閉めた。遠出をしていると感覚的に、視覚的に感じると家に舞い戻り布団で寝込みたくなるからだ。なるべく移動していないと感じる為だった。
新神戸に着き、両親が迎えに来てくれていた車に乗り込んだ。すると自然と涙が出た。両親と会えたからなのか、地元にようやく帰れたからなのか。色々限界だったのかもしれない。両親には泣いてるところは見せたくなかったので、車内が暗くて幸運だった。こんなに故郷が恋しくなったのはいつぶりだろうか。
実家に着くと、保護猫で4月から飼う事になった猫の「アポロ」がいた。初対面なのに人懐っこく、よく喋る猫だった。

繁殖業者からレスキューされ、保護猫になっていた「アポロ」

歩いているとずっとついてくるし、ものすごく人懐っこかった。前に飼っていて、昨年12月に14才で亡くなったスコティッシュフォールドと比べると一回りほど大きな体格で、頭を擦りつけてくると中々痛い。でも猫は可愛いから何をしても許してしまう。両親もずっとアポロと話している。猫というものは人間の言葉が分かっていないだろうが、永遠の人の子供の様に可愛がって話しかけてしまう。
実家では東京の疲れ、音楽の疲れからデトックスのつもりで帰ってきたが、職業柄毎回ベースは持って帰ってきてしまう。今回は流石に弾かないだろうと思っていたが、実家にいるとメンタルのHPを少しずつ回復し練習も少しした。

練習を邪魔しにくるアポロ。本によく乗ってきて譜面が読めない

2日目は母と近くの廃れていたが最近息を吹き替えした商業施設を見に行った。中にはスーパー、100均、薬局、アトラクション施設が入っていた。以前の廃棄同然の幽霊タワーとは打って変わって活気を取り戻していた。上の階に登るのが懐かしかった。後述するが今回の帰省は過去の記憶を追憶する旅にもなった。

3日目、街中を散歩した。過去育った過程を思い出す様に。ヘッダーの画像は小学生の時に通っていた通学路である。小学生なので6-12才までの間の6年間だが、今自分は30歳。20年も経ち、小学生の時の感覚と今の感覚の相違を考えながら道を進んだ。あの時は今自分がこうしてるとは全く想像もしておらず、ただ目先の「今日のプールの授業が嫌だ」とか「今日はクラブ活動がある日だ」とかそんな事を考えていたと思う。20年が経ち、通学路が逃避行になるとはつゆ知らず。
散歩では20年前によくいた場所などを散策した。

バスケットコートと呼んでよくみんなで放課後集まっていた場所。バスケットゴールは無くなっていた。
ここでボール遊びもよくしていた。
20年前の自分はこのベンチによく座っていた。今の自分にはここはどう映ったか。

「プールの授業が嫌だ」から「東京の生活でうつ病だ」に変わった20年。逃避行の旅は続く。

「マリンパーク」と呼ばれる海のある場所。上京してからというもの、実家に帰るとよくここに来ていた。

マリンパークはいつも哀愁を感じる。いつもここにくる時は何かしらに悩んでいる気がする。それは東京に来てからというものいつもだった。上京して12年。悩みは違う悩みに変わり、永遠に悩みがなくなることはない。昔はこんな悩みをしていたと思い返し、その記憶が蓄積されていく。

時は無常に過ぎていき、過去遊んでいた公園もヨウジヤマモトをまとった30歳がキョロキョロしながら写真を撮ったりしてると不審者に見られるだろうと思った。小学生の時は公園にいても不審者扱いはされないのは当たり前で、逆に居酒屋やクラブに小学生がいたら補導案件だろう。そんな適材適所、いる事のできる場所が時間と共に移り変わっていく事を感じながら歩いた。
余談だが自分は昔よくインスタでモードファッションを着た女性を多くフォローしていた時期があった。モードが似合う女性はカッコいいと思っているからだった。その中の1人にどこか見覚えのある背景で写真を投稿していた女性がいた。よく見ると六甲アイランドだった。こんな偶然あるんだな、とびっくりした。おそらくマリンパーク近くに大学があり、そこに通っていたのだと思う。とかそんな事すらネトストになってしまいよくない思考なのではないかと思うのが年をとったなと思う。
逃避行の旅をしているとウォーキングをしている主婦の方に声をかけられた。なんと小学生の時によく遊んでいた子の母親だった。今だに自分の母と交流がありよく一緒にウォーキングをしているそうだ。その時に自分が実家に帰ってきている事を聞いていて、声をかけてくれたのだ。「実家に帰ってきている事を知らなかったら声をかけていなかったと思う」そう仰っていたがそれはそうだろう。20年も会っておらず、見た目も変わっている。20-30分ほど立ち話をした。その右目からはうっすら涙が出ている事に気付いた。懐かしかったのだろう。20年の時の重みを感じたのだろう。そのよく遊んでいた子は今北海道で働いていて、結婚をし、もうすぐ第一子が生まれるそうだ。また時の経過を感じた。近頃身の回りでも結婚して子供が産まれたミュージシャンや社会人の知り合いは多い。そういう年齢なのだろうが、そこからもレールから外れている様な感覚になったりならなかったりした。
とにかく部分的な変化(いい方向に、再開発という意味で)はあるものの、変わらない故郷は懐かしさという感情を最大限に感じさせてくれた。
実家では常に両親と話したりアポロと話したり、常に話し相手がいる状況も久しぶりだなと思った。
一人暮らしの薄い布団では無く分厚いふかふかのベッドで眠り、HPを回復させた。
とにかく自分には神戸の実家、故郷という逃避行が必要不可欠だと思った。こんなにも東京でメンタルが破壊されるとは思ってもいなかったし、「意味のないと思っていた意味のある時間」というのも再認識した。実家はよくやる事がないと言われるが、それでいいのだ。あの実家、故郷で流れる時間、空気は東京にはない。
今回はもっといる予定だったが、神戸に向かうために4日の気力を費やし、また観に行く予定だったライブが土曜日だと思っていたら金曜日で勘違いをしていて3泊4日になったが(本当は1週間はいたかった)この逃避行は7月も、いやできれば毎月やりたいと思った。両親も「毎月帰ってきなよ」と言ってくれて、メンタルが帰れるタイミングとライブが立て込んでいないタイミングでなるべく帰りたい。

今回の文章は東京に戻る新幹線の中で書いている。聴いている音楽はJoni Mitchellの”Hejira”(ヘジュラ)、アルバムタイトルの逃避行という曲である。是非聴いてみて欲しい。Jaco Pastoriusのノスタルジーを感じさせるフレットレスの音色とJoni Mitchellの歌声が見事な曲で今回の逃避行の帰り道にはぴったりだった。
YouTubeやストリーミングサービスで聴く事ができるので是非聴いてみて欲しい。

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