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アーティストが音楽を辞める時

アーティストが音楽を辞める時、とあえてミュージシャンがとは書かなかったが、アーティストの中にミューシジャンが内包されていて、アーティストと同義だと考えているからである。
アーティスト、すなわち芸術家などクリエイターは自分の表現したいものを世の中に放出する。その自己表現がどの感情、欲望から来るのかは人それぞれだろうが、例えばただ単に自分が創ったものを作り続け、そのまま死んでもいいと考えている人もいると思う。ただその様な人はごく僅かで、仮に自分はそうだと主張する人も見栄というか、内心はそうではなく、9割以上は「有名になりたい、評価されたい」などの承認欲求からくる強烈なエゴが見え隠れしていると思っている。エゴサーチなどがその典型的な行動だろう。
なぜ人はアーティストになる事を選ぶのだろうか。多くは若い時の未熟とも言ってもいい思考、すなわち夢を原動力として始め、そのまま年を重ね、思っていたように人生はいかないと気付くタイミングがあり、それに苦しむ期間が長くあると思う。若い時は「若気の至り」という言葉があるように、勘違いしてしまう事が大半で、そのことにその時点では1ミリも気付かない。現代的な用語を使うと「厨二病」を大人までずっと引きずる人が成果を出し、言うなれば深く考えすぎない事が重要なのかもしれない。もちろん理論的、戦略的に行動し制作物を作り、ある種ビジネスマンの様に行動する人が成果を出す事もある。(この辺りは芸術家の村上隆さんの本、芸術起業論や芸術闘争論などに詳しく書いているので是非読んでみるといいと思う)
自分はというと典型的な厨二病を若い時に持ち、20代前半までその思考を継続して、20代半ばでようやくその思考の過ちと言ってもいい事に薄々気づき始めながら、人生のリスクヘッジを模索しながら音楽も全く売れないまま続けるという状態、20代後半になると自分の才能の限界に気づき始め、性格や育った環境、遺伝などが非常に影響を及ぼすことを悟る。そして30歳になった今、自分がやってきた事の何割が正しい選択だったのかを考え始めた。「正しい」なんて人生においてのワードチョイスとしてはナンセンスだとは思うが、30歳とはそういう逆張りとでもいうのだろうか、「正しい」という言葉を使うのが「正しい」と思ったりするものだと思う。今の自分には。音楽家に限らず芸術家には職人タイプとビジネスタイプがあると思う。職人タイプはいうなら自分の内なる声に従い、売れ線に迎合する事なくただ淡々と自らの表現を創り続ける人、ビジネスタイプは内なる声が100%売れ線思考の人もいるとは思うが、自分の周りの芸術家、音楽家を見る限り、やはり売れることに重きを置く人が多いと思っている。その中には元々職人タイプだった人も多く、ビジネスタイプにシフトした人も少なくない。気持ちは分かる。何故なら内なる声に従う事が少しでもブレるとメンタルがやられるからである。資本主義の世界とそうでない世界の華やかさの違い、多くの大人が関わっている違いを目の当たりにするとおそらく多くの職人タイプの人は病む可能性が高いと思っている。全く資本主義の世界に触れないまま引退するか、生涯を終えるかまでいけば問題ないと思うが、生きているとそうではないだろう。
芸術の世界だとアンディ・ウォーホールや近年のダミアン・ハースト、村上隆氏が資本主義の世界を熟知しそれを芸術の世界に持ってきて闘っている人だと思っていて、職人タイプだとゴッホが有名だろう。生前は全く絵が売れず精神を病んだ結果耳を切り落とした話は有名だが、音楽家も資本主義音楽で売れ、自殺した歴史上の偉人も多い。ロックは資本主義音楽かどうかはジャズをやっている自分から見たらそうではないかとカテゴライズするが、カート・コバーンなんかのショットガン自殺もそうだろう。歌の内容も明るくない。売れたのに自殺を選択する。ジャズミュージシャンで苦しみ自殺するのならなんとなく想像はつくが(残念ながら悲しくもジャズミュージシャンの死因で多いのはオーバードーズであるが)意外と自殺率は低い。売れない音楽に縋り付いている方が幸せなのかもしれない。何故なら資本主義音楽は「売れる」が全てであり、そのプレッシャーに苛まれている人も多いだろう。
コロナ禍における芸能人の自殺ラッシュも本来の自分を見つめ直す時間が膨大にできた結果だと思っている。売れなければならない状況から一時離脱した瞬間、自死を選ぶ。例え家族や子供がいたとしても。プレッシャーから解放された時、自分の人生を見た時に自死を選ぶのは資本主義の世界がいかにお金で動き、旬が過ぎれば腐り捨てられ、過ちを犯しても一発で捨てられる。ある意味では非・資本主義の世界は平穏なのかもしれない。ここで留意しておきたいのは、タイトルの「アーティストが音楽を辞める時」は「自死」を全て意味するのではないことを書いておく。引退や生業を辞める、ということを含んでいる。自分も心療内科に通い始め2年半になるが、音楽は精神を貪る事が多くある。これは職人タイプとビジネスタイプの揺らぎから来るもので、100%どちらかの思考に偏っていれば病むことはないだろうと思っている。ただその様な人は大体会ってきた中で10人に1人いるかいないかで、その一人も見栄で語っている可能性は低くはないと思っている。人は本質的に強かれ弱かれ承認欲求を持っていて、承認欲求のない人に会った事がおそらくない。人間の美しく、同時に醜いものが承認欲求だと思っている。
最後に自分の好きな言葉、小説家の開高健の言葉を載せておく。承認欲求に関わる言葉だと思うからである。

「一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、別に知らなくても生きてはいける。でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、"知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ"」

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