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"10万年後の問題"を解決するための課題設定は可能か?

問いのデザインの手順を体系化する上で、ワークショップデザインやファシリテーションの技術ばかりに目線が行きがちですが、ワークショップの問いの設定以前に、何を解決するためにワークショップを実施するのか、すなわち「解くべき課題を定義する」ことが重要です。

課題とは「理想的な目標」と「現状」との差分を解消するために「いま向き合うべきテーマやタスク」のことです。適切な課題を定義するためには、漠然とした問題状況や、目指すべき目標について、「素朴思考」と「天邪鬼思考」を使って読み解きながら、問題の本質を探っていきます。

ところが、必ずしもワークショップを実施する以前に、適切な課題が定義できるとは限りません。特に目指すべき理想目標が、長期的な未来を見据えていればいるほど、"正しい課題"を設定することは本質的に難しくなっていきます。その課題が正しかったかどうかは、課題に取り組み、解決されるまで、評価することができないからです。

"100,000年後の問題"と向き合う

2010年に公開された『100,000年後の安全』という映画をご存知でしょうか?フィンランドのオルキルオト島にある高レベル放射性廃棄物の永久処分施設「オンカロ」を題材にしたドキュメンタリーで、日本では東日本大震災の直後である2011年に公開され、話題となりました。

『100,000年後の安全』

オンカロには、原子力発電所から排出される高レベルの放射性廃棄物が蓄積され、約100年後である2100年頃に、廃棄物が一定量に達した際、人間が立ち入りできないように地表から奥深い場所に封印することが計画されています。

ところが、放射性廃棄物の半減期は数万年です。地下深くに埋められているオンカロが、安全レベルに到達するには10万年の年月を要するといいます。もし10万年の年月を待たずして、誰かがオンカロを掘り起こしてしまったら…。

地球が大惨事にも発展しかねないこの処理施設を、未来の人類に掘り起こさせるわけにはいきません。深い責任を負った現代に生きる我々は、この問題に対して、どのような課題を設定すべきでしょうか?

考えうるあらゆる記録媒体に、このことを記録しておけば、10万年後の人類に施設の危険性を正しく伝えることができるでしょうか?

あるいは、施設のあらゆるところに、現代に存在する全ての言語で「立ち入り禁止」と表記しておけばよいでしょうか?

そもそも10万年後の人類を相手に、現代の言語は通用するのでしょうか?もし仮に伝わったとしても、「開けてはならない」と抑止された未来の人類は、”好奇心”を抑えることができるでしょうか?

もし、興味本位で掘り越されてしまったとしたら…?

途方も無い先のことなど、いくら考えてもわからないのだから、オンカロを地中深くに隠して、いっそ忘れ去ってしまうべきでしょうか?

...などなど、この映画は、”10万年後"という途方も無いほどの長期的な目標に対して、建設的な課題を設定することの難しさを教えてくれます。10万年後にならなければ、設定した課題が正しかったのかどうかは、判定することはできません。だからといって、何をすればいいかわからない、というのは思考の放棄でしかありません。

このように、長期的で本質的な目標を扱う場合には、ファシリテーターのような一部の人間の視点から、特定の課題を設定してしまうこと自体に問題があるように思います。

そもそもの「どのような課題を設定すべきか?」という問い自体を、まずは向き合うべき「初期課題」として設定し、多くの人たちが問題を「自分ごと」として考えられるような土壌を作り、尚早な判断を下さずに、多様な視点から「対話」を重ねるほかありません。

課題を定義し、解決策を生み出すためにワークショップを活用することももちろん有効ですが、定義が困難な長期的な問題に向き合い続ける手段としても、ワークショップは活用されていくべきではないかと思います。

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