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職場は“マジメな場”であるべきか?これから必要な「エンタメ経営」のあり方を考える

「楽しさ」や「面白さ」、エンターテインメント性。これらは従来、企業現場、職場の従業員体験において、あまり重要視されてこなかったように思います。

一方、「エンターテインメント」は、MIMIGURIや僕個人にとって非常に重要な概念であり、毎日の朝会から部門長のミーティング、全社総会や社内番組に至るまで、あらゆる場面で「面白いかどうか」を重視しています。そして、これからの時代においては、「エンターテインメント性」こそが、あらゆるビジネスのキーワードになるのではないかとも感じています。

そこで今回は、これからの経営における「エンターテインメント」──すなわち「エンタメ経営」の可能性と、私やMIMIGURIが「楽しさ」や「面白さ」にこだわる理由について書いてみたいと思います。

ビジネスの現場から排除されてきた「面白さ」

企業でワークショップのファシリテーションをしていた頃、「安斎さんのファシリテーションは、遊び心がある」と評価いただくことがよくありました。実績としてよく参照されている資生堂の事例も、"最高に面白い理念浸透プロジェクト"としてご評価いただきました。

また全社総会などで経営者としてプレゼンテーションする際にも、共同代表のミナベさんから「安斎さんは、エンタメ精神があるなぁ」などと言われることも多い。(これは僕も、ミナベさんに同じことを感じています)

別にお笑い芸人のようにウケをねらったりするわけではないのですが、言われてみればたしかに、プレゼンをするときは常に、単に「淡々と情報を伝える」のではなく、相手がどんな感情になるかを想像しながら、少しでも面白がってもらえるように、工夫をしながら話している気がします。

話す内容が本質的に面白いものであるべきことは大前提ですが、伝え方においてもスライドに記載する情報や、めくるタイミングひとつとっても、「ここはあえて一瞬溜めて『なんだろう?』と思わせてから喋った方がワクワクしてくれるんじゃないか」、みたいなことは常々考えています。

その背景には、自分が聞く側の立場だったら、「会社の総会で、社長の話がつまらなかったらめちゃくちゃしんどいだろうな」という素朴な感覚があるからです。

もちろん、自分の会社の社長が「来期の経営計画」を喋っていたら、従業員としては「真面目に聴く」のが当然といえます。けれども「真面目に聴かなければいけない、つまらない話」ほどしんどいものはない。僕だったら聞いているフリをして、内職します笑。

もちろんMIMIGURIにも僕の話を聞いているフリをして内職してる社員はいるかもしれませんが笑、だからこそ、1人でも多く自分の話に惹きつけられるように、楽しく聞いてもらうための演出や工夫を諦めたくないのです。これは僕個人の工夫にとどまらず、朝会や部門毎のミーティングなど、MIMIGURI全体のカルチャーになっているようにも思います。

しかし一般に、「情報伝達」が重要とされるミーティングや研修の場において、「面白さ」を重視している人はあまり多くないように感じます。「新任マネージャー研修」であれば、新任マネージャーになったときに知っておいた方がいい実用的な知識が網羅的に語られ、役に立つことが重要なのであって、「面白さ」は求められない。むしろ、「ふざけている」と思われることを懸念し、「面白さ」が意図的に排除される場も少なくないと思います。

その気持ちはわからなくもありません。私も高校時代の部活で、監督がシリアスな話をしているときに先輩が「ふふっ」と笑ってしまったという理由で、グラウンドを全員1周走らされたことがあります。そのときに「このタイミングで笑うんじゃねえよ」と思った記憶はたしかにある笑。大企業でも、研修は笑顔厳禁で、辛そうにしてるほうが評価されるという話も聞いたことがある。

しかし、いまは「面白くないものは、一切見られないし聞かれない」「楽しい体験に投資する」時代になっているのもまた真実。

「役に立つけどつまらない」ものはますます見られなくなっていく

テクノロジーの力によって多くの課題が解決され、あらゆるものが便利になった現代社会において、「必要だから」「役に立つから」「不便だから」という理由で何かが求められる機会は減っています。

「課題解決より価値創造」という話もありますが、「面白い」「嬉しい」という感情的な体験によって、モノやコトが消費されたり、ヒトが動いたりする。成熟した社会になっているからこそ、そうした消費行動は増えていると思います。

また、日本はもともとアニメやゲームなどのエンタメコンテンツが豊かな国ですが、近年はNetflixやAmazonプライムのような大きな資本を持つコンテンツメディアが登場し、すごく安いコストで、すごく良質なコンテンツが得られるようになりました。結果、いまは上質なドラマやゲームが、ほとんど無料のような値段で楽しめる。エンタメコンテンツが「当たり前にもらえるもの」になっているのです。

そして、この「エンタメコンテンツが溢れる」時代において、「面白くない」ことの罪深さが相対的に上がっているような感覚があります。これは、CULTIBASEをやってきたからこそ感じることかもしれませんが、「つまらないけど役に立つコンテンツ」というのが劇的に見られなくなってきているように思えるのです。人の時間は有限かつ貴重であり、面白いコンテンツなら世にいくらでも溢れているからです。

つまり、本を書くにしても、セミナーをやるにしても、教育事業をやるにしても、あらゆるビジネスにエンターテインメント――つまり、様々なステイクホルダーの興味を惹き感情に働きかける要素を含めることが問われている。そしてこれからの時代に活躍できる人とは、あらゆる営みを“エンタメ化”ができる人だと感じるのです。

悲しみや痛みに目を向けるか、面白さや楽しさに目を向けるか

「面白さ」や「楽しさ」。これは、私が「ワークショップ」というものに興味を持ち、ずっと探究してきた根源的な理由であるとも思います。

僕がワークショップを始めた当初は、小学生や中学生などの子ども向けのワークショップをしていました。当時、私は大学4年生で、受験勉強でやってきたことと、大学に入学した先に広がっていた学びの豊かさの間に、大きなギャップを感じていました。そのため、勉強や学びを「つらい」と感じている、抑圧されている人たちに対して、学びの楽しさや面白さを共有していきたいと思ったのです。

つまり、偉い人が説教くさく何かを教えるような場ではなく、手や体を動かしながら、友達と一緒に何かをつくっていたら「気づいたら学んでしまっていた」みたいな学びの場をつくりたい。それこそが私のワークショップ実践のルーツでした。

ちなみに、ワークショップには、社会運動や戦場など、シリアスな場面で生まれ、発展してきたという側面もあります。たとえば戦時中には、戦場で傷つきPTSD状態になった兵士たちのケアをする際、1対1のカウンセリングではとても追いつかないため、同じような境遇にある人たちが集団で輪になって対話し、自分たちの苦しみやつらさを共有し合うことによって回復する集団精神療法が開発されましたが、これもワークショップのルーツの1つと言われています。(このあたりの歴史は、書籍『組織開発の探究』で詳述されています。)

そのため現代においても、ワークショップのファシリテーターの中には、「悲しみや苦しみ、怒り、葛藤のようなものを話せる場をつくる」ことを大切にされている方もいます。僕はそういう思想の実践者を、心から尊敬してます。

これからも、ただでさえ生きづらい現代社会において、とりわけ大きな戦争や災害が起きたときなど、悲しみや苦しみに向き合わざるを得ない状況においては、そうした場が必要になるでしょう。しかし、少なくとも日々の学びのあり方という観点においては、そうした痛みを伴うアプローチだけではなく、単純にもっと楽しく面白い遊び心のあるアプローチがあってもいいのではないかと、個人的には思うのです。

この「遊び心」を起点としたアプローチは、別のnoteで解説した、ポジティブな「もったいない」感覚を起点とした組織変革の話ともリンクするので、興味のある方は読んでみてください。

人的資本経営における「エンターテインメント」の可能性

MIMIGURIという組織体においても、「日々の仕事を楽しくて面白いものにするにはどうしたらいいか」という問いが、全社的な最優先事項になっています。

たとえば、つまらない朝会をするよりも面白い朝会から一日が始まった方が楽しいし、新しいメンバーが入ったときには、そのメンバーのことが好きになれるような自己紹介がなされた方がいい。そのために、朝会のBGMやMCにもめちゃくちゃこだわりますし、新しいメンバーがなるべくポジティブにチームに受け入れられるように、コミュニケーションにもこだわります

社内放送局「MIMIGURI ch」のKV

これは、経営論的なキーワードを使えば、「MIMIGURIは無形資本への投資にこだわっている」と言うこともできるかもしれません。無形資本というのは、人やモチベーション(=人的資本)、人が持っている知識や暗黙知(=知的資本)、人と人とのつながり(=社会関係資本)など、組織の内部にある目に見えない資本のことであり、最近は「レジリエンス」「心の資本」ということもしばしば言われますが、これらもまた無形資本の1つです。

いわゆる「人的資本経営」とも捉えられますが、MIMIGURIが特徴的なのは、無形資本への投資が「手段」というよりむしろ「目的」に位置付けられている点にあります。

一般的に「人的資本経営」は、「経済成長をするために、人的資本のような無形資本を無視できない」という手段論で語られることが多く、その目的はあくまで財務資本の拡大にあります。

一方、MIMIGURIの場合には、逆に財務資本を潤滑油にしながら、人や関係性や学習の場といった無形資本を耕していくことを目的にしているようなきらいがあります。つまり、経済合理的な理由で手段として無形資本に投資しているというよりも、無形資本に投資したくなってしまうような状況をつくり続けているような感覚なのです。

そして、なぜそのようなことが可能になっているのかと言えば、それは「楽しさ」「面白さ」を追求する「エンターテインメント」の価値観が全社に共有されており、無形資本が耕されて豊かになっていった結果、その副産物として利益が上がっていくというサイクルができているからなのだと思うのです。そしてそれは従業員に閉じずに、顧客に対しても同様です。

先日、CULTIBASE Radioでミナベさんが「MIMIGURIとはコミケである」という謎の持論を展開されていましたが、私たちなりの「冒険的世界観」の組織論を構築するのであれば、「エンターテインメント」というキーワードは欠かせないものになるはず。つまり、これから重要になるのは「エンタメ経営」なのではないか――最近、そんなことを考え始めているのです。

そして最近は、究極のエンタメ経営の実践は、全員が「探究」することなのではないか、と思うに至っています。このあたりの議論は、またVoicyや別の記事で継続していこうと思います。


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