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組織のルールはなぜ破られるのか?ルールの階層性と解釈のズレ。そして破られることの意義

最近は「組織のルール」に関する探究を法律家の水野佑さんと進めていて、来年あたりに出版できるのではないかと思っています。

ルールの探究をしていると面白いもので、身の回りのさまざまなものがルールによって作られていることに気付かされます。本記事では、身近な事例を通して、ルールの曖昧さや認識の違いによってさまざまな問題が起きていることについて考察します。

たとえば以下の写真。先日利用したイベントスペースの定員表記なのですが、なぜ「300名」ではなく「299名」なのでしょうか?

違和感を覚えて、思わず撮影

なぜ「定員:300名」ではダメなのだろうか…?と、思わず疑問に感じて私が写真を撮影しまったように、1名単位で細かく「定員:299名」と明示されていることで、このルールが「曖昧な目安」ではなく「厳密な規則」として印象づけられ、統治の観点で効果がありそうなことが想像できます。さらに調べてみると、どうやら収容人数が300名を超える施設は「消防法」で点検が義務づけられるらしく、運営コストを下げるための都合があるのではないかということも推測できます。

これを聞いて「なるほど!うまい運営だ」と感じる人もいれば、「え、1名減らせば点検なしで済むって、なんかモヤる。ずるくない?」と感じる人もいるでしょう。この背後には、その人のルールというものに対する価値観が表れています。

ルールに対する価値観の違いは、対話を困難にする

人間のルールに対する価値観の多様性について考える上で、TBSの大ヒットドラマ『VIVANT』が参考になります。この物語も「組織のルール」の面白さと難しさ、そしてルールを取り巻くリーダーシップとマネジメントのヒントがたくさんある作品としてとても楽しめました。

日曜劇場『VIVANT』(TBS)

放送からだいぶ時間が経っているので特にネタバレに配慮しませんが、この物語は4つのステイクホルダーによって展開されます。

  1. とにかく法律に遵守しながら犯罪者を追いかける「規則主義的なルール観」の「公安」

  2. 国防という目的達成のためには違法行為すら厭わない「目的第一主義的なルール観」の「別班」

  3. バルカの未来のために、信念を貫く。法は犯すが、不要な血は流さない「理念主義的なルール観」の「テント」

  4. 短期的な国益のために相手を出し抜く「ビジネスゲーム的なルール観」の「バルカ政府」

異なる正義の交錯を描くために、それぞれのステイクホルダーが徹底して自分たちのルール原理を守り抜く描写が強調されていて、とても印象的でした。

この観点で見ていると、ルールを捉える価値観が異なると、いかに対話が不可能になるのかを突きつけられる物語だったと感じました。たとえば「テント」にとって、バルカの子供たちを守るために繰り返すテロ行為は、自分達の「理念」に合致した"正義の手段"でありますが、それは日本の「公安」にとってはどんな理由であっても違法行為、「規則」に反する"悪の行為"でしかありません。ここに対話の可能性はありません。

ちなみに『VIVANT』では、この対話の不可能性を、主人公である乃木憂助(演:堺雅人)が見事に乗り越えていくわけですが、そのポイントは、それぞれのステイクホルダーのルール観のクリティカルな「ズレ」がどこに表出するか、にありました。それが、この作品の場合は「殺人」でした。

詳しくは語りませんが、乃木憂助は4つのうち3つのステイクホルダーの"忠実なルールプレイヤー"を演じ分けられる特殊な立場にあり、そして高度な殺人の偽装技術を持っていました。この専門技術によって都度ルールをハッキングすることで、異なる正義の対話の不可能性を乗り越えていったのです。

これはあくまでフィクションの特殊事例ですが、実は大企業でも「社内政治」が上手い人はこれに近いことをやっているように思います。部門Aと部門Bに異なる正義とルール観があることを当事者として理解し、ストレートな対話を促すのではなく、うまくルール観のズレをハッキングして、別々の顔を演じ分けて、両方の都合を達成してしまう。

これこそが、『パラドックス思考』でも論じた矛盾のマネジメントとリーダーシップの本質で、素直に「対話をしましょう」と提案する態度とはまた別のファシリテーションの在り方だと感じています。矛盾に向き合う新時代のリーダーシップ像については、以下の動画でも解説しています。

人はルールに黙従するとは限らない。組織のルールの3階層モデル

以上の議論から、少なくとも「人はルールを素直に守るわけではない」ということがわかります。交通ルールなどが典型だと思いますが、それぞれのプレイヤーが、さまざまな立場や価値観を持っていて、ルールを自分なりに解釈して、その状況に応じて自分なりのリアクションをします。

以下の図表は、従業員が「組織のルール」に対して、どのように対応するかをまとめた知見です。(本記事では詳しく解説しませんが、この知見についてはVoicyで解説しているので、興味があればお聞きください)

人はルールに黙従しない

組織から与えられたルールに対して、"規則が絶対"だと真面目に遵守する人もいれば、自己利益のためにうまく裏をかこうとする人もいます。

さらに複雑かつ厄介なことに、人を取り巻く「組織のルール」には、いわゆる就業規則や人事制度のような会社が公式に設定したルールのほかに、さまざまなレベルのものがあります。

ルールの3階層

たとえば組織を包含する、マクロな「社会レベル」のルール。法規制のような拘束力が強いものから、領域特有の業界作法社会慣習としての風潮やモラルのような拘束力が強くないものも含めれば、さまざまなものがあります。私がいたアカデミアにも、明示されていないけど「学会とはこういうものだよ」「修士課程のうちは普通はそういうことはしないよ」といった、作法のようなものがありました。

中間の「組織レベル」のルールには、所属する団体・企業が公式に設定した就業規則や人事制度などのほかに、経営理念として記述された行動指針やカルチャーのような精神的な指針もあります。これらは組織にとってとても大切ですが、必ずしも拘束力が強いわけではありません。MIMIGURIでいえば、「全員が探究する」ことは、理念を反映した重要なポリシーですが、「探究をしていない」という理由で罰則があるわけではありません笑

最もミクロで、所属する従業員にとって身近な「職場レベル」のルールとは、日々のチームのルーティン、会議の進め方、服装や言葉遣いの暗黙のルール、業務や目標管理などの現場マネジメントルールなどが含まれます。

そして根っこには、当人の信念や倫理観などの個人の規範があります。どのような規範を持った人物を採用するのかもまた、組織のルールデザインの一部といえますね。

なぜ組織のルールは破られるのか。階層のズレの力学で、摩擦と逸脱が生まれる

このように、さまざまなレベルのルールが複層的に折り重なって「組織のルール」は成り立っています。この各層のルールに矛盾がなく、整合しているとき、問題は起こらず、物事はスムーズに進みます。

ところが前述したように、従業員一人ひとりのルールの解釈は、その価値観や役割・立場によって異なります。そのズレによって、さまざまな問題が起こります。

たとえば、いわゆる「組織不正」が起こる原因は、当人の悪意ではなくむしろ正義に基づいていて、良かれと思って「職場レベル」の目標管理ルールを盲目的に遵守した結果、「社会レベル」の法規制に違反してしまう、といった因果が指摘されています。※このあたりの組織不正のメカニズムについては、中原翔さんの『組織不正はいつも正しい』で解説されています。

現場の目標達成のための正義が、法規制の違反につながることも

このように、組織のルールと、それを「守る/破る」という行為は、非常に複雑です。ある規則を守らない従業員がいたときに、「けしからん」と考えて規則を厳しくしたり、増やしたりすることは簡単です。

しかしその従業員は、前述した類型でいえば、与えられた規則を「黙従」するタイプではなく、「回避」したり「操作」したりするタイプかもしれません。そしてそれは、業界全体に蔓延した利己主義的な風潮や作法が、それを誘発しているかもしれません。たとえば、この業界で成果を出そうと思ったら、真面目に規則を守るのはバカらしい…などと考えているかもしれません。

そうであれば、この従業員は「ルールを守ってくれない」のではなく「別の階層のルールを優先させている」と考えるほうが自然です。この従業員のために「規則を追加」しても、結局は「黙従」してくれないのですから、問題解決になりません。

このようなルールの複雑性と人間の多様性を考慮せずに、とにかく問題が起こるたびに「人を黙従させるためのルールを追加する」という意思決定を重ねていくと、組織は「守りのルール」によってがんじがらめになり、次第に硬直化していくのです。

「〜してはならない」という守りのルールを細分化していくと、何もできない組織ができあがる

以上見てきたように、組織における全てのルールを従業員が守ることはそもそもが困難で、さまざまなメカニズムによってルールは簡単に破られてしまうものだと考えていたほうがよいでしょう。

しかし、リーダーやマネジャーはこのことをネガティブに捉えてルールデザインを諦めるのではなく、この性質を理解した上で、組織における攻め/守りのルールのバランスをとったり、機能していない形骸化したルールを柔軟に緩和・修正したりすることで、組織の整合性をとっていくのです。

ルールはハックされることで、よりよいルールの在り方が見えてくる

また、ルールを破るという行為は、それだけを一見すると組織や社会に対して石を投げつける"反抗"のように見えますが、このような階層のズレを炙り出させてくれ、そのルールの意義について考え直すきっかけを与えてくれます。

テレビ番組の事例ばかりで恐縮ですが笑、先日放送されたフジテレビの特番『有吉弘行の脱法TV』は、その好例でした。タイトルの通り、テレビのコンプライアンスの"ギリギリ合法"を探究する企画で、内容としては「どうすれば放送禁止用語を流せるか?」といったくだらないものなのですが、まさにバラエティ番組制作側の"面白さ"を追求する理念に基づいて、慣習や業界作法を破ろうとする試みを体現していたと言えます。

くだらないので強くはおすすめしませんが、Amazon Prime Videoで観れます

昨今のテレビ業界は、あまりに規制が厳しく強化されていくなかで、バラエティ番組は「つまらなくなった」と揶揄されることが多く、それによって規制がゆるいNetflixやYoutubeなどのコンテンツに視聴者が流れていると言われています。そんな状況を自己批判し、「こんな規制に何の意味があるのか?」と半ば反抗的に疑いをかけながらも、その規制を一生懸命破ろうと試行錯誤する過程そのものが滑稽で、"面白いバラエティ"になっている。その運動の過程には、「面白いバラエティとは何か」の探究が詰まっていて、同時に「規制の意義」について納得する部分もありました。"前向きな脱法"の意義と、探究のヒントが詰まっていた番組でした。

余談ですが、昨今、格闘技業界では「ドーピング問題」が大きな騒ぎになっています。7月28日に開催された「超RIZIN.3」の興行において、RIZINが定めた検査ルール(当日尿検査のみ)の裏をかいた"巧妙なドーピング行為"があったのではないか?という疑惑があがっていたのですが、あくまで団体の規定による尿検査は「陰性」ということで、「シロ」になったという騒動です。

一部のファンからは、「UFC(※世界最高峰の格闘技団体)と同様の基準で検査すべきだ」「ふるまいがスポーツマンシップに反している」「周囲のトレーナーの倫理観はどうなっているのだ」などの批判がありましたが、これは「社会レベル」の慣習や作法、「職場(個人)」の規範レベルの感情的な訴えであって、あくまで「組織レベル」の規則によって「シロ」である以上、団体から裁かれる余地がない。そのようなケーススタディだったように思います。

現地観戦したファンとしてはモヤモヤが残る部分もありますが、この機会に新たなドーピングポリシーを策定することもRIZIN側から表明され、業界全体の学習と啓蒙の重要性のほか、具体的なルールの改訂案がいくつか述べられました。今回の騒動がきっかけで、ルールデザインを見直すきっかけになったということです。思えば、一戦の勝敗によって人生が大きく変わる、残酷なまでに成果主義的な格闘技業界において、ドーピングに関しては「性善説で運用されていた」という点に「階層のズレ」が生じていて、その歪みが今回の件で浮き彫りなった事例と言えます。もちろん、前述した理由で、一部の選手を黙従させるために規則を厳しくすることが、本質的に解決につながるのかどうかはわかりませんが。

冒頭でも紹介した法律家の水野佑さんは、健全なルールデザインの過程を「ハッキング」と「メイキング」の循環として、以下のように論じています。

一から法・ルールを制定するのではなく、すでに多くの法・ルールが多層的・多元的に積層している都市空間においては、時代の変化に合わせてルールハッキングとルールメイキングを循環させ、ルールをアップデートしていくことが社会と法の共生関係としては望ましい。ルールハッキングという言葉については、「法の抜け穴」といった脱法的な悪いイメージがあるかもしれないが、ここでは「ハッキング」をより望ましいように工夫して改良する、の趣旨で使用している。そもそも、法というルールは、そのルールに潜むバグを発見し、それを改善することで発展してきた。現在のように変化が激しい時代においては、どうしても「ルールを破って育てる」視点が必要になってくる。

LIXILビジネス情報「タクティカル・アーバニズムとルールメイキング」(水野祐)より
LIXILビジネス情報「タクティカル・アーバニズムとルールメイキング」(水野祐)
https://www.biz-lixil.com/column/urban_development/sh_review009/

組織において、完璧なルールというものは存在しません。どんなルールにも、必ず穴があります。問題をルールだけで解決しようとせずに、ルールについて対話をしながら、解釈・批評・修正していく過程が重要でしょう。階層のズレ(バグ)をみんなで発見して、ルールをハックしながら、メイクしていく。ルールは"偉い人"がつくるものではなく、ルールに関わるすべての人が、ルールをデザインする当事者だといえるのです。


まだまだ「組織のルール」の探究は道半ばですが、出版に向けて探究を進めていきます。今冬出版予定の『冒険する組織のつくりかた(仮)』の進捗と合わせて、Voicyチャンネル「安斎勇樹の冒険のヒント」では日々の探究の成果をほぼ毎日、毎朝7時頃に発信しておりますので、よければアプリでフォローしてお聞きください。

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