創造的衝動(Creative Impulse)を起点としたプロジェクトデザイン論
創造的衝動

創造的衝動(Creative Impulse)を起点としたプロジェクトデザイン論

ワークショップの理論的基盤を築き上げた偉人の一人に、哲学者のジョン・デューイ(1859-1952)が挙げられます。教育における経験の重要性を説き、その思想は「真実の教育はすべて、経験を通して生じる」「為すことによって学ぶ(Learning by doing)」などの言葉によって知られています。

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デューイの著作は読むたびに発見があり、教育・学習に関係する領域の研究者にとっては繰り返し参照される古典となっていますが、ミミクリデザインでは、現代のイノベーションプロジェクトの設計とファシリテーションの方法に多大なヒントを与えてくれるバイブルとして、繰り返し読み深めています。その全容を一言で言えば、「創造的衝動(creative impulse)」を起点としたプロジェクトデザインという考え方です。

デューイの経験学習(前置き)

本題に入る前に、デューイの理論について、簡単に紹介しておきます。(長めの前置きなので、時間がない方は、次の節にスキップしてください)

デューイは、プラグマティズムを代表とする思想家で、学習における「経験」と「リフレクション」の重要性について主張しました。

デューイは、経験を重視しながらも、学習を阻害する経験もあり得ることを指摘し、何よりも「経験の質」を重視していました。デューイによれば、経験の質は「相互作用の原理」「連続性の原理」の二つの原理によって説明されます。

「相互作用の原理」とは、経験は個人の内面で起こるものではなく、個人と環境との相互作用によって生起するという考え方です。『経験と教育』(1938)において「経験は真空のなかで生起するものではない。経験を引き起こす源は、個人の外にある」と述べられている通り、学習は人間の内部に知識を溜め込むものではなく、個人の外部において、環境や他者に能動的に働きかけるなかで生起するものであるというのがデューイの考えです。ワークショップにおいて手を動かしたり、物を作ったり、他者とのコミュニケーションを重視するのはこれが理由です。

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「連続性の原理」とは、その名の通り、過去の経験は現在の経験に影響を与え、現在の経験は未来の経験に影響を与える、つまり連続しているという考え方です。デューイは『民主主義と教育』(1916)の中で、「教育」を「経験の再構成」として定義し、その重要な手段として「反省的思考(リフレクション)」を位置付けました。現在の経験を過去の経験と関連づけながらも、ある状況で学んだ知識や技能を、後に続く未来の状況を理解し、処理する道具として意味付ける行為です。非日常的な活動であるワークショップの学びの経験を意味あるものにするためには、きちんとリフレクションをして、後に続く日常の経験に接続させる必要があるわけです。

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そして拙著『ワークショップデザイン論』(2013)では、デューイの経験学習(Learning by doing)の考えを土台にしながら、現代の要請にあわせてワークショップを「創造的経験学習(Learning by creating)」のための方法として位置付けたのでした。これが、ワークショップの背景理論として説明される常套句的な概説です。

行為の原動力としての「衝動」

さて、前置きが長くなりましたが、デューイの理論の「現代的意義」を再考した際に、安斎が改めて着目すべきだと考えているのは、デューイが人間の行為の源泉を個人の内側から湧き上がる「衝動(impulse)」に置いていたという点です。

学習は個人の外部(環境との相互作用)において生起するが、その原動力は、内部から衝動的に生まれる欲求に基づくものである。つまり、経験学習のモチベーションの出発点は、外部から与えられるものではない、とデューイは考えていました。加えて、デューイは伝統的な学校教育において「衝動」が軽視されていることを批判しています。

正真な目的は通常初めには、衝動から起こるものである。(中略)伝統的教育は、個人的な衝動や欲望が、行為の原動力として重要性のあることを無視しがちである。(『経験と教育』より)

デューイによって思い描かれていた経験学習の様相とは、内的な衝動(Impulse)に駆られて外部環境を観察(Observation)し、過去の経験から得た知識(Knowledge)を探索し、観察と知識を弁証法的に結びつける判断(Judgement)を経ることで、また新たな衝動が生起されていく。そのサイクルが繰り返されることによって、より高次に目的化された活動へと変換される、そんなプロセスでした。以下の図は、デイビッド・コルブ(1983)によって図式化された、デューイの経験学習のモデルです。この図は安斎の博士論文でも繰り返し引用しました。

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デューイは「衝動」は人間の本能に近いものであると考えており、精神的な病気で無気力になってさえいなければ、誰にでも備わっているものだと考えていました。衝動は古い生活形式を逸脱するための媒体であり、新奇な習慣を生み出すための変化のエネルギーを持ったものとして捉えられていました。他方で、衝動が衝動のままではダメで、意味のある目的に変換されるためには「知性」が必要であるとも述べられています。衝動と知性が両立することで、「習性の再構築」が可能になるのです。

子どもの場合、それを子ども任せにすることは現実的ではありませんから、その「導き」は、あくまで教師の役割とされています。

教師の仕事は、衝動や欲望が生じるや、それを好機に利用する点を見定めることである。自由は、目的が発展するさいに、知的な観察と判断とがはたらいているところに存在するので、生徒が知性を実地にはたらかせることができるよう、教師によって与えられる指導は、生徒の自由を制限するものではなく、むしろ自由を助長するものである。(『経験と教育』より)

ミミクリデザインでは、これこそがワークショップのファシリテーションの本質であると考えています。参加者の内的に湧き上がる「衝動」を察知し、それを参加者個人、あるいは集団にとって「意味のある目的」に変換させ、学習や創造のエネルギーへと昇華させていく。そのための「プロセスの設計」がワークショップデザインであり、プロセスに対する伴走者としての即興的支援がファシリテーションであると、仮説的に考えています。

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衝動を起点としたイノベーションプロジェクト

デューイが指摘した子どもの「衝動」の重要性や、それを軽視する伝統的学校教育に対する批判は、そのまま企業におけるイノベーションプロジェクトの課題にも類推可能ではないでしょうか。

ミミクリデザインで多数のプロジェクトを経験するなかで感じてきた現代企業の課題は、一言でいえば、現場の担当者が"作り手としての主体"を失いかけていることのように感じます。たとえば、以下のような状況です。

「技術が好きで開発の仕事に就いたけれど、今は"技術主導"はもう古いらしい。どうやって商品開発をすればいいのだろうか..?」
「流行りの"デザイン思考"を導入して、各ステップを実践してみたが、いまいち良いアイデアがでない。次は"アート思考"が流行るらしいが、そちらを導入したほうがいいだろうか..?」
「実績あるデザインコンサルタントに、自分たちでは思いつかない商品のアイデアを提案してもらった。しかし前例がない提案なので、どうしてもリスクが気になる。本当に売れるかどうか、市場調査で確かめられないか?」

これらは全て、作り手としての内発的なモチベーションを無自覚のうちに押し殺し、商品開発の"答え"を外部環境に求めている態度です。これをイノベーションにおける「正解探しの病い」と私は呼んでいます。

昨今普及している"ユーザーを観察することで「売れる商品」を見つけだそうとる手法"は、かえって「正解探しの病い」を助長してしまった部分もあるように思います。デューイの理論に立ち戻れば、「外部の観察」は行為の起点ではなく、まず「内的な衝動」に駆動されるべきなのです。

ミミクリデザインは、商品開発のプロジェクトであれ、組織開発のプロジェクトであれ、すべてのイノベーションプロジェクトは、それを推進するプロジェクトメンバーの内的に湧き上がる「衝動」をもっと活かすすべきだと考えています。これはデューイを踏まえた理論的主張でもありますが、ミミクリデザインの過去の成功プロジェクトに基づく実践的考察でもあります。

昨今のイノベーション論では、技術起点ではダメで、市場調査を起点にユーザーニーズを満たすプロダクトを作るべきだとか、企業の目的は理念の実現なのだからビジョン主導で行うべきだとか、効果的なプロジェクトアプローチの是非が検討されています。デューイの言葉を借りれば、それらの「目的」がどのようなものであれ、意味ある目的は行為者の「衝動」から生起されたものであるべきです。デューイが批判した伝統的教育のように、当事者の衝動に蓋をしたまま「市場に目を向けるべき」とか「理念を実現すべき」と考えていても、真の意味での変化のエネルギーは生まれません。

仮にチームの衝動が「この新技術を使って、何かを作ってみたい..!」ということにフォーカスされているのであれば、技術起点のイノベーションプロジェクトは必ずしも悪ではないと私たちは考えます。湧き上がる衝動に対して「もう技術から考えてはダメだよ」と蓋をするのではなく、衝動が、戦略的な知性を伴った創造的なプロジェクトにするために、プロジェクトの設計とファシリテーションに知恵を使えばよいのです。

実際に、ミミクリデザインが伴走してきたイノベーションプロジェクトには、企業としての長期的なビジョンを主軸にしたのものもあれば、徹底してペルソナを作り込んだ市場主導のものもあれば、とことん技術を活かすことにフォーカスしたプロジェクトもあります。これらの「アプローチの選択」はさほど大きな問題ではなく、大事なことは、プロジェクトメンバーひとりひとりの衝動を耕し、それを活かしたプロジェクトデザインとファシリテーションができたかどうか、という点です。そうしなければ、プロセスとアウトプットの双方に、プロジェクトメンバーのこだわりや手触り感、魂のようなものがこもらないからです。

「ビジョン」とは似て非なる、「いま-ここ」にある「衝動」

ここでいう「衝動」とは、いわゆる個人や会社の理想的な未来を描いた「ビジョン」とは、似て非なるものです。

ビジョンとは、「いま-ここ」にはまだ存在していない、理想的な未来の状態を指し示したものだと思います。個人から発現した場合もあれば、組織として規定されている場合もあるでしょう。ビジョンとして未来の理想が描けているからこそ、現場とのギャップが可視化され、やるべきことが明確になる。それが創造のエネルギーとなる考え方です。

しかしながらデューイの理論においては、学習者の「探求」や「表現」の原動力は、必ずしもビジョンに牽引されたエネルギーによるものではありません。「いま-ここ」に確かに存在している、本能的な欲望に近いものです。

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プロジェクトに活かすべき創造的な衝動にはいくつかのタイプがあり、その類型についてはまた別の機会に論をまとめたいと思いますが、手元の素材を使って何かをかたち作ろうとすることや、何かを探求的に問うことや、芸術表現をすることも、すべて人間の根源的な衝動です。

誤解を恐れずに言えば、"理想的な未来"のような、ある意味で崇高なものは、創造的活動の出発点においては必ずしも必要ではないように思います。以前は、私たちも「商品開発はすべてビジョンから始めるべきだ」と考えていた時期もあったのですが、案件を重ねていくうちに、ビジョンに魂がこもってワークする場合もあれば、"未来のビジョンから始めなければいけない"という圧力が、かえってチームを萎縮させてしまうケースもあることに気がつきました。

プロジェクトの起点にすべき衝動とは、もっと素朴な感覚として、「面白そう」とか「作ってみたい」とか、「こんなことを試してみたい」「こうしたら、どうなるんだろう」といったような、子どもの頃から持っているような、原初的な感覚に近いものです。

もしチームがその感覚をすっかり忘れていたとしても、心配はいりません。デューイが言うように、衝動は誰にでも内在している本能です。日常業務で形成されてしまった外発的な"蓋"をワークショップデザインの力で取り除き、内発的なモチベーションを掘り起こす機会を用意すればよいのです。

もちろん、衝動を創造的な「成果」に昇華させるためには、繰り返しになりますが、戦略的なプロジェクト設計が必要です。その時には、既存のマーケティングリサーチの手法や、組織ビジョンの構築の手法は、大いに役立つでしょう。大事なのは、そこに衝動が込められているかどうか。リサーチが「正解探しの手段」になるか、あるいはワクワクする「探求の手がかり」になるか。プロジェクトの「起点」を間違えないことが重要なのです。

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デューイの言葉を借りれば、個人の衝動は、古き習性を逸脱する契機になります。イノベーションプロジェクトにおいて創造の源泉となりうる衝動を、私たちは「創造的衝動(creative impulse)」と読んでいます。ミミクリデザインでは、今後もイノベーションの源泉としての個人の創造的衝動の力に着目しながら、創造性の土壌を耕すための方法としてワークショップデザインを位置付け、研究と実践を続けていきます。


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株式会社MIMIGURI代表取締役Co-CEO/CULTIBASE編集長/東京大学大学院情報学環特任助教/人と組織の創造性を高める方法論について研究しています/『問いのデザイン』4万部突破/新刊『問いかけの作法』発売 https://cultibase.jp/