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《創作交換日記》“カラダの木漏れ日”を見つける、街歩きワークショップ@北千住編に参加して

創作交換日記「今日もぼちぼち」
今回は、飯塚大周(@112uka_ta15u)さんです。


はじめまして、飯塚大周と申します。
5月14日、宮脇さんのWSに参加させていただきました。

自分にとって人生初となる交換日記はこのお話からはじめようと思います。

ワークの内容はみんなで北千住周辺を散歩し、最後は荒川の河川敷に向かって踊るというものでした。
途中宮脇さんによる街の解説もあり、さながらその様子はテレビ番組の『じゅん散歩』や『ブラタモリ』、ローカルだと『キンシオ』などといったところ。

横浜在住の僕にとって荒川区や北区などといった東京都北部の地域はまぁまぁ遠いため、演劇やダンスの公演や展示企画などがないかぎりほぼ行くことがありません、北千住もBUoYで行われる公演に行くこと以外の用事でおりることはほとんどなく、実際今回も久しぶりに下車した気がします。

そのような久しぶりの街を歩いて思ったのは、街に対して自分が感じる事柄の解像度が低いということです。
「見えているようで見えていない」「理解しているようで理解していない」といってもよいでしょう。
つまり街から得られる情報を無意識的に自分は取捨選択し、あらゆるものを通り過ぎてしまうのです。

自分はこれはあまりいい状態ではないと思いました。
というのも、くもった鏡に自らの姿をうまく写せないように、雑なカラダには街はうまく映らないからです。

この状態を解決するためには、まずは「街」について学ばなくてはならない。街の構造や成り立ち、歴史などを知って「街」をよく観察できるようにならないとカラダを研ぎ澄ますことはできない。というふうに思います。

こう書くと単なる小学校か中学校の社会科教育のようでもありますが、知識がないことには想像すること、イメージすることはできないものです。そしてもちろんイメージから感覚を呼び起こすことも。

「街」を紐解くことは途方もない作業です。なおかつ手がかりがなければ通り過ぎてしまうだけとなってしまう。

さて、この文章に特に結論はないのですが、僕はせめて数分間だけでも立ち止まって一つの場所をよく見るようにしようと思いました。

「街歩きワークショップ」からいえば逆説的ではありますが、カラダの木漏れ日をみつけるためには街中で動きを止めることが重要なのではないでしょうか。

今後の課題はまだまだありそうです。


▼ 参考 :当日参加者の皆さんに配布したしおりの一部


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