見出し画像

「ぼくはきみを、大事にしているつもりだよ」

大事にするとは、なんなのか?
この問いについて、私はわりと長いあいだ考えている。

それは大事なひとを、うまく大事にできなかった後悔があるからだ。大事にできるときに、大事にできなかった経験がある。
もうあんな思いをするのはまっぴらだ。ずっと、そう思っている。

けれど大事な誰かと別れるたびに、大事な存在を失うたびに
「1秒たりともそこにある愛に対して怠慢ではなかった」と、言い切れた試しがない。

「大事にする」とは、なに?

どんなときでも、優しくすることだけがそれを指すわけじゃない。優しさのすぐ近くにはエゴがある。“自分自身が可愛い”という、防衛本能がある。
突き放すことになっても、厳しい言葉をかけるのが「大事にする」の体現になるときもある。

正しい選択はいつもわからない。大事だと思えば思うほど、自分のかける言葉が、自分の存在が、自分では「優しさ」だと思っているものが
本当にその人にとって何かの救いになるのか。

わからないけれど考える。それは、大事だからだ。

「大事にするとはなにか?」のひとつの解に、「考えつづけること」があると思う(ただし考えつづけることを解と決めつけるのもただの思考停止である)。正解のわからないものに、対峙しつづけることはそれなりにしんどい。

そして対峙しつづけたとしても、「大事にし尽くした」なんて言葉を言える日はきっと来ない。

「大事にする」とか「愛情」とか「優しさ」とか
正解のわからない、目に見えない問いをいくつも抱えあって、私たちは誰かと関係を築いている。冷静に考えると面倒くさすぎるそんなことを、「愛しい」なんて言葉で美化することも、きっと、怠慢なのだと思う。

top photo by nanono1282

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?