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「一番」が似合わない女性なんて存在しないんだよ
2018年は、読者さんから人生で一番恋愛の悩みを聞いた一年でした。
圧倒的に多かったのは、「彼女持ちor妻子持ちの男性」を好きになってしまった(付き合っている)パターン……。
仕事で書く原稿の中には、そういう恋愛だっていいじゃないって内容のものもありますが
正直に言えば私個人としてはこれっっっっぽっちも「それもあり」とは思っていない。
だって、恋愛くらいしかないじゃない。
血の繋がりもない関係で、なにを犠牲にしても、なにを差し置いてもいい!なんて思ってもらえるくらい「誰かの一番」になれることなんて。
信頼と愛情を一緒に築きあげてさ、「ずっと一緒にいたいね」が絵空事じゃなくなるような未来があって、そういう可能性が恋愛にはあって、自分が2番手や5番手や26番手でもいい、もしくはそれにしかなれないコミュニティなんていくらでもあるじゃん。でも恋愛は違うよ。
好きって気持ちがあれば「はいはい!私1番がいいです!」って言えるところで、自分だけを一番近いところにいさせて欲しいって想いを交換し合えて、他に女がいたら怒ってよくて、そんな関係許されるの恋愛しかないじゃない。
そのフィールドでもなお「私なんて2番手でも幸せなんです」って、そんなの……そんなの幸せなわけあるかーーーーーーー!!!!!!!
一番が一番幸せに決まってるよ!!!!
だって一番好きな人の一番好きな人が自分なんだもん、それが一番幸せに決まってるよ。
「彼女と別れる気のない男と付き合うなんて時間の無駄だよ!もっとあなた自身を愛してくれる人が現れるよ!」とか言うつもりはなく、不誠実な恋愛だから時間の無駄だと思うわけでもない。
むしろ苦しい恋愛の方が学びは深かったりするので、結果的に人生の財産になる可能性もある。さらに言えば、不毛な相手に恋をしている時間を手放したら、急に王子様がやってくるわけでもない。
それでも、だ。
「2番手でもいいんです、これで幸せなんです」なんてのは
どうしても、違う。
誰かをまっすぐ想いつづける自分でありたいのなら、心から好きだと思った、その時に生まれた恋心や愛情の先にある「2人の幸せ」について妥協する(せざるを得ない関係)というのは、致命的なことだと思う。
恋愛にも妥協癖というものがある。
誰かを大事にすること、自分を大事にすること、考え続けるから面倒で傷付き、泣くことも増えるし怒ることも増える、人を好きになるなんて面倒くさいことの連発で、好きになんなきゃよかったとか、忘れ方を教えてから振れよとか、心の中で悪態つくこともたくさんある。
でも後悔したり傷付きつづけることすら、全うしたほうがいい。ちゃんと感情がなくなる前に、誰かでごまかしたり、誰かの優しさでもみ消したりしないで。
「自分は2番手でいい」というスタンスは、自分を幸せにすることへの妥協だ。
月並みな言葉だけれど、自分を大事にできない人に、誰を大事にできるだろうか。
自分に妥協をする人に、誰かを「大事にしつづける」という体力があるだろうか。
次に好きになる人が、人生最後の恋かもしれないよ。
2番手の恋をするのが、いいか、悪いかなんて一概に言えることではないが、恋愛において「これでいいや」という言葉を心に置いてしまうなんて、そんな逃げはズルい。
どんな女性だって、一番が一番似合う。
私には浮気相手くらいがちょうどいいなんて、そんなバカな話があるもんか!!!
私はそう思っています。たとえ不倫や浮気や愛のないセックスの記事を書いたとしても(そんなのこの先書くことあるかって感じだけど)、私はそう思っているんです。
幸せになってね。
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