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求めれば与えられる

なんでも与えてもらおうという人がいます。

これしてほしい、あれしてほしい、こうだったらもっといいのに…など。

これも書いてて欲しいな、ということがきちんと書いてあったりします。その人は自分が探しやすいページだけを見ているのですね。


人は入院するとわがままになるといいます。それは自分の求めるものがほしいままに叶えられてしまうからです。だから少しでも満足度が下がると文句を言ったりする。うちの父も晩年、入院してからはそうでした。らしくないなぁと思いながらも病に倒れることの恐怖や不安というのもあるよな、と思ったものですが。

話が逸れましたが、インターネット上では「探しきる」ということが大事だと思っていて、それができないのに「これは書いててほしい」「なんで書いてないんだ!」とか書いちゃうのは恥ずかしいよなぁと思う。

そういう人に限って一次情報しか見てなかったりする。トップページだけ見て判断、とか。
自分の場合は例えば行きたいお店があった場合、念のため直近の投稿を10個くらいは見るようにしています。急なお休みとか、時短とかあったりしますので。もちろんそれでも見つけることができずに現場に行ったら臨時休業、ということはあります。(泣)
その時は自分が探しきれなかったのだ、と思うようにしています。

与えてもらって当然、という発想はほんとうに恐ろしいと思う。その発想が、というよりはそれを疑うことすらできなくなっていくという状況が、です。
与えられていないのは自分が求めることを途中でやめたから、という視点が意外に抜け落ちたりするんですよね。


以前も有名なライターさんが、ある飲食店に行ったら休みの張り紙がしてあって「情報はSNSのページで」と書かれていたことに憤慨している、という記事を書いていました。

事前にきちんと調べていく、事前に調べても探しきれなかった、行き当たりばったりでそのリスクを楽しむ、の3パターンしかないと思うのですが、その時代的な環境を無視しておいて、なんで「評価」したがる人が未だにいるのか不思議で仕方ないです。

(お店ってどうしても弱い立場になってしまいますよね)

求めるなら求めきって、探しきって、それから何かを言えばいいと思うんだけど、逆説的に「何かを言いたい人」って探しきる、とかができないんだと思います。与えられなかった、という時点で思考は「何か言ってやろう」に切り替わっているはずなので。

自分が欲しいものが手に入らないのは本当は欲しがってないからだよなぁと思っています。


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増刷するのですが最初に予約を受けてその分だけ刷ります。もしご興味あればぜひよろしくお願いします。



お店にも来てくださいね〜〜!!