お前はなんだ
東京が好きです。東京が好きだから店を出したわけではなくて、東京に住みたいので地に足がついた生活をするために店を出した、というわけです。
「孤独でいる」ことが許されるところが気に入っています。東京砂漠、とはよく言ったものでだれもがそれぞれ砂のようです。どこで誰が何をしていても気に留めない。道端の砂のように気にしない。
地元仙台では10年ちょっと店をやっています。近くに三越さんもありますし、アーケードの中、いわゆる一等地です。
自分で言うのも気が引けますが「あ、あのお店の人だ」とそれなりに認識されるようになっています。これは本当に幸運なことです。
小さい街ですので一生懸命頑張っていればそういうことも起こるわけです。
飲食店にいくと自分のお客様が必ずいたりします。むしろちょっと不自由だな、と感じるくらいに。
贅沢な悩みです。
その気持ちのままで東京に来てみると、そんなちっぽけなプライドは押し流されてしまいました。東京では所詮、自分もまた「その他大勢」なのです。
あまりその辺りは書いてきませんでしたが、それに気づいた瞬間にnoteの定期購読マガジンも辞めましたし、カフェを経営していくのに大事なこと、みたいな話を書く回数が減りました。自分の無力さばかりが気になって仕方なかったのです。
「どこの馬の骨かわからないやつの話なんか誰が聞くんだよ」と。
インスタなどで出てくる広告のように、どこの誰かわからないのにどこかの誰かである、とみんなが知っているかのようなテイでお届けしているような傲慢さを自分に感じてしまったのですね。
「自分はなんなんだ?」と考えますが、それは自分ではわからない。
お客様に決めてもらうしかないのです。
今までは「何にでもなれる自由」が好きで(もちろん今も)孤独を楽しめていましたが仕事となるとそうはいきません。僕のイメージを持ってくれる人が増えれば増えるほど「自分」の解像度が上がります。
自分の目標はひとまず地元でできているようなことを東京でもできるようにすることなのです。売りたいもの売りたいときに売れて、群れずに、それでも一目置かれるような存在。(繰り返しますが地元は小さい街なのでそれができます)
三島由紀夫さんは「女性を惚れさせて振ること」に快感を覚えていたそうですがおこがましくも気持ちがわかるというか。ちょっと有名になって、でも「そういうの別に興味ないんですよね」っていうのをやりたいのです。
でも「PENITENTさんですよね!?」って言われたいっていう。笑
僕は古い人間なので(昭和生まれですし)誰かに認められるものを作りたい、啓蒙したい、というのが少なからずあります。
「おまえは何者だ?」と自分に問いを投げかけた時の答えは自分ではなく周りがきちんと答えを持っている、というのが理想です。
東京砂漠でも、続けていればきっとできると信じています。
お店にも来てくださいね〜〜!!