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ナプキンを取る

円卓のテーブルにナプキンが置いてあるとして、右から取るのか左から取るのか、という話があります。

正解は左ですが、社会においては「最初に取ったものに従う」ようになっています。
もし、右のナプキンを取ったら全員が右のナプキンを取る(取らざるを得ない)し、左のナプキンを取ったら全員が左のナプキンを取るのですね。
円卓の上はどこから見ても調和している状態で、均衡していますから最初に取った人と逆のナプキンを取ればその均衡は崩れてしまいます。

時計回りの回転が途中で逆回転となり衝突するようなイメージです。

これは円卓のテーブルの上での話ですが、モノの価格やお金の価値、規格など社会のルールや決まりは「決めれる者が決めている」という状態なのです。これが社会なのです。

これはsteel ball runという漫画のとあるシーンで描かれる話ですが、全くその通りだと思う。

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店に10年くらい立っていますが、うちは静かな店なので少しボリュームの大きい話し声は耳に入ります。

その中でも意外と多い話題は「愚痴」「妬み」「不満」「不平」です。

盛り上がりやすいという面もあるのでしょうが男女問わずこの話題は多いようです。楽しいはなしや幸せなはなしだけでは決してないのです。

それらの根っことなる諸悪の根源は一体何でしょうか。環境でしょうか。人間関係でしょうか。それとも待遇でしょうか。はたまた年齢と性別なのか?それは分かりません。

しかし、ここで言えることは「自分の人生のナプキンくらいは自分で取れ」ということです。誰かがナプキンを取ってそれに従っている場合は「ナプキンを取れる者」ではなかったということになります。自分の人生なのに、です。本当は左のナプキンを取りたかったのに右を取られたので右のを取った、という愚痴は全く意味がない。そういう風になっているのだから。

これを抜け出すにはナプキンを取れる者になるか、もしくはもう一つ方法があります。

それは「ルールを決めることができる者」になるということです。ナプキンゲームが嫌なら他のゲームを作る、もしくは他のルールを適応させてしまえばいいです。
(ナプキンを最初に取るためには「尊敬」「信頼」「信用」「実績」が必要だったりしますので急には難しいことかもしれない。)

自分が一体何のルールで動いているのか?を知ることは自分の人生を生きる上でかなり重要です。

僕は人のルールでうまくやっていける自信がなかったし、いろんな経験の上でそこにいるべきではないと感じたのです。そこで自分のルールでゲームをすることにしました。まだまだ小さいボードゲームではありますが十分に楽しいです。自分のルールの中であれば「ナプキンを最初に取れ」ます。

それがいい。それができればナプキンをどちらからとるのか?にも従えたりします。人は余裕があると「郷に入れば郷に従う」ができるのです。


もちろん、どちらが正解、もないのです。ナプキンなんてどっちでもいい、人に決めてもらいたい、という人もいるでしょう。

しかし、おいしい食事の席で不満を延々に述べるくらいであれば自分のルールで人生を生きた方が遥かに有意義なのかもしれないなぁと思ったりします。

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