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閉店するということ

20代の前半から通っていたお店が閉店した。


僕がまだ大学生で金髪に古着という「すべては若いせい」と笑いたくなるような頃から通っていた。そのお店はもうすぐ20周年ということだったので15年近く(3/4ほどの年月)は細々と行き続けたことになる。今はない食事のメニューもあった頃だ。

一番最初に、どのように行ったのかはもう覚えていない。僕としては珍しいことで、大概のお店は初回のことをおぼろげにでも覚えているものだが今回は全くというほど分からない。とはいえここでの思い出はたくさんあり、その中に紛れ込んでしまっているのだろうと想像する。

一番の思い出は「さて帰ろう」となったときに財布がなく職場の先輩に来てもらったことだ。そのお店は当時はかなり遅くまで営業されていて、その時も21時頃だったか。当時はコンビニATMなどまだまだ少ない時代でお金をおろしに夜分銀行まで行くのも憚られたし、何より恥ずかしかった。
先輩には「珍しいね」と笑われたが、なぜこういうときに限って…しかしそういうことが起こるのが人生で「まさか、そんなタイミングで」ということがよく起こる。
今回の閉店の話もそうだった。

嫌いだったカプチーノもココアもチャイもそこで覚えた。スコーンの美味しさも。そして何より「一人で過ごすことの美しさ」を覚えた。僕の中では大きな財産だ。一体どれだけの時間、どれだけの書物を読んだだろうか。このカフェのおかげで人生で一番読書すべきタイミングでそれを叶えることができたのだ。
自分への向き合い方も訓練次第なので反復練習が必要だ。
ここは何よりの修練場だったに違いない。

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ここは言わずと知れた仙台屈指のカフェだ。僕なんかが改めて評価するのもおこがしいけど、これほどまでいい塩梅で完璧な店舗に出会ったことがない。作り込みすぎたエゴだらけのお店にはない「ちょうど良さ」がそこにはあった。instagramの写真たちも愛があり、フィードの統一感とかいう偽のハリボテを着て作り物に成り下がってしまった店にはない情熱があった。

お客にとって時間を過ごす最高の場所。それらを広く受け入れ、守る。
僕もそうしてもらったたくさんの客の中の1人だった。

オーナーさんとお話しさせていただくことも立場上多くなったが、相変わらず、ただのファンだ。

今回のお話は事前にお聞きしたのでできるだけ、通った。1週間くらいだろうか。ほぼ毎日通った。悔いはない。
にも関わらず喪失感に苛まされているのも事実だ。失ったものは大きい。でも得たものは生き続ける。自分の中で。


長い間お疲れ様でした。そしてたくさんの人たちにたくさんの感性をありがとうございました。


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*姉妹店2つは健在で、次の展望も色々あるようなので楽しみに待ちたい。


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