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私は中身がイタリア人なのかもしれない. . .(自分解説書)

「ゆうきの中身、イタリア人じゃない?」

この本を読んだ姉から言われた一言。
よくよく話を聞いてみると、「自分を持っている」「家族の優先度が高い」ことが共通しているらしい。

そんなことを言われたら、自分で検証したくなるもは人間である限り止められない衝動なのか。

そして、表紙のキャッチーなイラスト。この世で2番目に好きな食べ物(1番目は将来のために枠を取っておいている)は、「マルゲリータ」である私は、この本に呼ばれているかのような感覚を持った(単純(笑))。

5章構成のこの本は、どの章もすごく面白くて、読みやすい。何より、「これ私じゃーん」の連続。

何が「これ私じゃーん」なのかと言うと主に4つある。(この本に書かれている内容ほぼほぼ「これ私じゃーん」なのだが(笑))

1. 自分の中に流行を持っている
2. 喧嘩しているように見えて、議論、意見交換しているだけ
3.自分ができることは惜しみなく与えたい
4.食事にこだわる

1. 自分の中に流行を持っている

イタリアでは、流行やブームは起こりにくい。と言うのも、自分の中にそれぞれお気に入りを持っているから。そして、誰かと同じを嫌うから。ファッションのイメージがあるイタリアでも、盛り上がっているのは、ごく一部。流行があっても、自分のお気に入りに少し取り入れる程度。

確かに私もファッション雑誌を見なくなって、何年経つだろうと考えてしまうほど、見なくなった。と言うのも、素敵な服があって、その服を着ているモデルさんには似合っても、自分に似合うわけではないと知ってから、見るのを辞めた。人にはそれぞれ似合うものが違うのんだなと。

また、必ず試着してから買うようになった。これ絶対に私に似合うと言う服も、実際来てみると自分が予想していた感じと違うことが結構ある。最近では、自分の好みや似合うものが段々とわかってきて、服を「着ると絶対気分が上がる」服以外、全てリサイクルショップやフリマアプリで売った。服だけではなく、所有する物全て、必要最低限にした。すると、お気に入りの物を前より大事にするようになったし、大事にする幸せに満たされることを感じた。

これからも惰性で買わず、自分が所有していると心から満たされるかの基準で物を買うことを続けていこうとおもう。


2. 喧嘩しているように見えて、議論、意見交換しているだけ

イタリア人は、みんなおしゃべり好き。誰かが話始めれば、横から入ってくる。誰かが話し続けていても、同時に話始める。時にお互い感情的になり、側から見ると喧嘩しているように見えても、本人たちは、「議論をしている」だけ。お互いの腹の中を全て曝け出すことで、お互いを嫌いになるどころか、信頼が増す。政治や社会について「議論する」ことは自分の意見を述べ、自分の生きる社会、生活に関心を持ち、責任を持つこと。

私も自分の意見をストレートに話すタイプなのだが、以前、友達と話していると「議論」した。次の日、違う人、「二人ともまた喧嘩したの?」と言われた。そして、私と「議論」した相手は、「そうなの。ゆうきと話すといつもこう」と言った。私はその瞬間「え?私たちいつ喧嘩なんてしたっけ?今まで喧嘩なんてしたことなくない?」と思った。

こんなにも認識が違うんだと実感したと同時に、「意見交換」をしただけと思っていた私はとても驚いた。そして、この本を読んだ時、まさに

「これ私じゃーん」

と思ったのである。私は、イタリアに行った方がいいのかしら?(笑)

3.自分ができることは惜しみなく与えたい

イタリア人に礼儀と言う言葉はなく、店員さんの接客は、人によって違うし、同じ人でもその人のその日の気分によっても違う。でも、困っている人を見かけたら、とことん助ける。

これは日本人も結構似ているのではないかと思った点だが、私は困っている人を見つけ、さらにその人の困りごとについて助けてあげられる情報を私が持っているとしたら、声をかけたり、最後まで助けてあげて、お節介してしまう(頼まれなくても)。時には自分の予定を崩してまでも、没頭してしまう。道を聞かれたら、可能な限り、目的地まで一緒に行ってあげてしまう。

困っている人の悩みを100%解決できなくても、自分がやれることはした時の解放感や充実感は、言葉に表せないくらい幸せな気持ちになりませんか?

4.食事にこだわる

美味しい食事と大切な仲間との食事は、たとえ、メニューがシンプルでもとても幸せを感じる。イタリアには、地域ごとに地物を売る商店街があり、地元の人はそこで買い物をする。スーパーなんて行かない。農家が直売しに来る。美味しい野菜や肉などの食に関する情報を友達同士で共有する。人口に対する有機栽培農家の割合も日本よりも多い。こんなことからイタリア人の食への関心の高さがわかる。

You're what you eat.

こんな言葉があるように、体内へ何を入れるかはとても重要である。私も最近、お腹が空いたら、食事すると言うことをしていて、ほぼ一日一食の生活をしている。また、玄米や野菜を中心に時々魚を食べる程度で、肉は、誰かと食事する時以外は一切食べない。理由は、おならが臭いのが嫌だから(こんなこと言ったら、笑われそうだが、)。

そして、野菜が大好きだから。学生時代、野菜栽培を専攻していたからか、少しは野菜の状態を見れば理解できる。なので、食べたい野菜でも、食べたい状態でなければ絶対買わない。農家直販の野菜でも、萎れや腐れを見つけると、どんな肥料や堆肥を使っているのだろうか?と考えてしまう。

そんな生活を続けていると、自分が食べるものに責任を持つことって意外と楽しいと思えてきて、とても幸せを感じている。自分の体と相談して、食べたい物を必要な分だけ食べる。自分の人生に責任持って生きることの第一歩だから。

イタリアの政治や経済の慢性的な問題に、イタリア人は慣れ、どうやってそんな状況の中を生き残るか考えてきた。簡単に人を信用しないからこそ、家族や友達、隣人との親しい深い関係を大事にしている。私も、友達は多くない方だ。多くの物を持っているわけでもない。だからこそ、オアシスとなる親しい関係を大事にする。そして、必ず自分の気分を上げたり、安らぎをくれる最低限の物を持ち、長く大事に使いたい。

今後さらに、自分は何が好きか、どんな人と時間を共有したいのかの密度を上げ、自分軸の構築をもがきながら、楽しんでいきたい。

私は、イタリアに行った方がいいのかしら?(笑)

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