『雪飾り』

 目が覚める。少し遅れて、素肌が寒さに気づく。まだ布団の中にいたい。今日は休日だし、どうしよう。窓の外を見て決めることにする。息を吸って覚悟をきめて、温かい沼からいったん抜け出す。同じ部屋なのに、窓辺は冷たい。靴下をはいてくれば良かったと今さら思い、でもまだ寝るかもしれないと思い、窓の外を見る。
 
 ゆっくりと何かが、地面に降っている。
 雪だ。雨じゃない、雪だ。眠い目を擦って、もう一度確認する。ちゃんと白いし、速度もゆっくり。雪はいくつになっても、やっぱりうれしい。私の住むところにも雪がやってきた。雪が降ると、冬の中の冬、冬の底という感じがする。
 出かけるしかない、この雪が止まぬうちに。

 玄関を開ける。やっぱり寒い。冷たい風が顔に吹きつける。自分の服では一番の防寒だけれども、まだ寒い。ちゃんと仕度もしたし、いよいよ出かける。鍵を閉めるときに、帰りは手が悴んで開けるのに苦労するかもと考えた。
 お気に入りの傘を差す。もう片方の手は、寒いからポケットに。手袋でもすれば、なんて昔は親から言われた。でも、手袋なんてものは私の主義には、合わない。どうせ困るのは自分だから。ポケットに手を入れるのも、そのせいで転んでケガをするのも。それでいい。
 
 雪は静かだ、雨とは違って。傘に当たっても音はしない。人も静か、街も静か。
 今日の雪は積もらないかもしれない。舞う雪が地に触れると、消えてしまうから。微かに地を染めるけれど。
 とりあえず駅へと向かう。
 予定なんて決めた覚えはない。テキトーにいこう。休日だし。世間も休日、そして雪、駅の人影は少なかった。
 
 電車がやってきた。雪を乗せていた。それだけ遠くまで、ということだと思った。
 電車に揺られる。雫が傘から伝って、床に溜まる。景色は後ろへ流れてゆく。
 
 降りることにした。流れていく雪化粧の街並みに惹かれたから、急に決めた。いつもと違う、日常にない景色だったから。
 あまり家からは遠くない。でも、だからこそあまり知らない。
 好きなように、気の向くままに、歩いてみる。雪の街を進んでいく。
 
 スマホに電話。表示されたのは『お母さん』。少しだけ身構えて、『通話』を押した。
「元気」母の声。
「元気だよ、何?」
「そっちは、雪が降ってるかなって」
「降ってるけど。で、何?」
「別に……」
「今、外だし、じゃあね」
「じゃあね」話を終える。
 せっかくいい気分だったのに、邪魔された気分。
 

 骨董屋があった。今日は何でも面白そう。
「ちょっと見ます」
 声をかけて、入ってみる。
「どーぞ」
 声が、だいぶ遅れて返ってきた。この雪でお客が無い、と思っていたのでは。品揃えは陶器が多く、きちんと並べられている。カップとソーサーが、テーブルの上に七客ほどあった。小鳥の模様のセットが目に留まった。千円と書かれた値札が貼られていた。財布の中身も考えて買うことにした。カウンターまで持っていったが、誰もいない。
「すみません」
 カウンターの奥に向かって、声をかけると、
「今、行きます」
 と返ってきた。この店は大丈夫なのかと心配になる。やっと出てきたのは、意外にも若い男だった。
「すみませんね。こんな日は、閉めてしまいたいのですけど……」     
 と言った。私も合わせて笑顔作って、「そうですよね」なんて言いながら、なら閉めればいいのにと思った。愚痴をこぼしていた店員も、客が来たからにはちゃんとやるようで、私のものになった商品を新聞紙でつつんでいた。紙袋に入れて私に渡し「ありがとうございました」
 店員は言うと、また奥へと行ってしまった。このようにできる彼が、少し羨ましい。
 
 道路へ出て、また歩きだす。
 いつの間にか、目の前に歩道橋があった。最近見なくなった気がする。滑らないように一歩一歩、上っていく。下りのときが危なそう、と考えながらも上りきる。
 歩道橋の真ん中まで歩いてみる。少し橋が揺れている。
 今だけは日常から逃げられている。そんな気がする。下を車が駆けていく。
 欄干に手を乗せて覗いた。白く染まっていく地面がある。
 視線に沿って、雪が落ちてゆく。ゆっくりと、ゆっくりと、地上を染めに舞ってゆく。
 視線に雪が絡みつく。雪の軌道は繰り返される。視線はそれを追い続ける。
 どのくらい経ったのか。わからない、ずっと見ている。まだまだ見ていられる。
 時間が薄くなっていく。

 ただ雪が降っている。

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