「自立」とは本来無し得ないもの

「自立した人間」とは何だろう。と思った時、それはとてつもなく気高いもののような気がしてくる。

自立の対義語は依存だと思っている。自立していない状態である子供は家族に金銭・食事などの多くを依存するし、ヒモも衣食住を他人に依存する。

じゃあ社会人はどうなのか、と言うと会社へ依存することによって社会人は生活している、と思う。会社が社会人に対して職務を与え、社会人はその職務を満たして金銭を受け取る。

だけれどもこれを依存と断言するのは何処かが違う。会社と社会はある程度共依存であるのだ。社員のない会社は無く、会社に所属せず生きていくのはそう簡単ではない。依存と委託の違いも怪しくなってきたな。別に会社が無ければ生きられないわけでもない。フリーランスの人間が行う、自分で自分をセルフプロモーションして仕事をもらうという部分を企業が委託しているような気もする。

ごちゃごちゃになってきたので無かったことにしよう。と言うか、働いている人間は自立しているし。いや、そうか?実家暮らしの場合もあるだろうし、仕事だけするヒモもいるかもしれない。いや、それは家族か…?その場合戸籍上の婚姻関係がない夫による妻への家事の委託とも観て取れるか…?そういう意味では父親も母親も自立していない…?一人暮らしは自立か…?いや仕送りとかあるしな…と言うかそもそも他人が建てた家だろ?他人が作った服だろ…?Uberなんて他人が作った飯を他人が売って他人が運んできている訳で、それは本当に自立しているのか?

いや。別にUberじゃなきゃ生きてけないわけじゃないから委託だな。全く料理を作れないとなると自立していない。父親だってそうだ。やろうと思えば一人暮らしのように出来るけれど、委託したほうが楽なのだ。

なるほどなるほど、見えてきた見えてきた。自立ってのは「委託」という形で物事を受け取れることなんだな。家事にしても食事にしても何にしても。しようと思えばだいたい一人でできるけど、今日は疲れたからとか特別な日だしとか、そういった理由で物事を委託できる事なのだ。

その理由が「自分ではできないから」だと依存なのだ。自分じゃ火も扱えないから外食しか出来ないですとか、仕事をする能力がないから寄生先の人に稼いでもらっていますとか。だから全国の家事一つできない旦那諸君!君たちは自立していないぞ!

何故か世間に一石を投じるような構えで文章が終わってしまった。そして自立はかなり大変だ。俺は整理整頓ができない。出来るけど面倒だから家事代行の人に〜とかでは無く全く出来ない。自立って大変だな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?