多分俺は本当は絵なんてどうでもいいんだろうな

画塾に、抜きん出て絵の上手い人がいる。画力とかではなく、「絵を作る力」みたいなのが違う。まぁ画力も違うんですけど。

その人の絵の横に並ぶと、室伏VS風邪気味のチワワと言うレベルで自身の貧弱さが浮き彫りになる。憂鬱この上ない。少し前にその油絵室伏とインスタを交換するに至った。

エグい。家に帰ってそのまま絵描きながら寝落ちというストーリーを投稿してる。やっぱ天才って結局は皆、努力を他の人のように苦痛の一部と思わずに努力し続ける力のある人間のことなんだろうと改めて実家する。もしかしたら秀才なのかもしれないが。
秀才とは多分、苦しさに耐える人間である。俺はそう思っている。

俺は天才ではないし、天才になることはないので、秀才になるしかない。浪人は勘弁だ。そんなにお金があるわけでもないのにこれ以上家族が稼いだ金を啜って生きる虫で居続けるのは苦しい。
まぁ受かった所でもっと吸うだけの虫になるじゃんという真っ当なご意見も散見されるものの、である。

努力は苦しい。苦しいったらありゃしない。そりゃそうだ。努力なんだから。努力と言うのは楽しくないから努力なのだ。
楽しい努力は趣味嗜好であり、その趣味嗜好が絵であればそいつは絵の天才なのだ。歌であれば歌の天才なのだ。SNSであればそいつはSNSの天才なのだ。最後のは違うかもしれない。

ああ言う絵を描く天才または秀才の片鱗に触れると、俺は本当は絵なんて好きじゃないんだろうな、絵に対して覚悟も熱意も無いんだろうな、と思う。こうして文字を打つ今を投げ捨ててエスキース帳に飛び込もうとしない時点で、俺の人間性は明確なのだ。口先だけ多いカスに未来はない。何故ならそいつは何もしていないからだ。そいつは俺だ。あーあ、やってらんねぇぜ。ため息なら無限に出る。俺はため息の天才である。

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