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オタクはなぜ即売会にわざわざ参加するのか? 一般参加の意義とは?

この1~2年間しんどいですね。自身のことに関しても、周りのことに関しても。

オタクの皆さんにとってもそれぞれ身の回りに色々な変化があったのではないかと思います。
イベントがなくなっただの、ライブがなくなっただの。
もしかしたら基本引きこもっていて何も変わりありませんわって方もいらっしゃるかもしれませんが、まあその如何はともかく。
世の中いろんなことについて余儀なく変化を強いられてきたりなんだりで、インターネットの世界を見ているとなにか思うところがあったり、なにかについて改めて考えさせられたり、あの人と考え方が合わないな、などと思ったりインターネットで全人類とつながることの限界を感じて疲れちゃったりして……、そういったことが各々の中であったりなかったりするんではないでしょうか。

さてさて、私も色んなことを考えてました。今回は同人誌即売会というイベントについて。この件はもっと前からぼんやり考えていたことではあったのですが、ここ1~2年に置かれた状況の中で急速に深く考えるようになりましたね。ズバリ、タイトルの通り「オタクはなぜ即売会にわざわざ参加するのか?」「一般参加をする意義とは?」ということです。


1.はじめに

何かしらの即売会に参加経験のあるオタクの皆さんにとっては、即売会に参加というと主に
・「一般参加」

・「サークル参加」
の二種類の参加の形があることは言うまでもない話だと思います。

まず、なぜ「サークル参加」するのか?という話ですが、これは今回の主題ではないので本文では深追いしません。
一応一言で言っておくと、サークル側が「書(描)きたいから」「作りたいから」です。
この狂気があればだいたいサークル参加できます。

今回考えてみたいのは「一般参加」の方です。なぜ「一般参加」するのか?


2.即売会はオンラインで代替できるという幻想

たとえば

「推してる作家さんがサークル参加するから新刊を求めに行く」

というのは非常に充分な理由になっていますね。

でもこの1~2年間、いやもっとそれ以前からも、こんなこと聞いたことないですか?

「同人誌即売会をわざわざリアルで開催する意義が分からない」
「通販でも本は買えるのでは?」
「即売会で本を作らなくともネットで発表できるじゃん」

心当たりないですか?

こういった問いかけはコロナ禍以前からありましたが、2020年春から今に至るまで、禍を受けて、オタクやイベント関係者誰もがこれらの問いに真正面から向き合わなくてはいけなくなってしまった状況だと思います。

細かい事情としては、同人の世界の独特かつ特殊な事情により、

「うちの本・このジャンルの本は通販に出せない」
「オンラインで印刷費などのコストが発生しないデータ販売は出来ない」

といった「色々複雑な大人の事情」でそういった解決策を取れないということが大いにありますが、これはサークル側・執筆活動をする作家側の事情であったり特定のジャンル固有の事情だったりと、少々ローカルな事情を対象にした話になるので、こういったことも本文では深く言及しません。が、「一般参加」側の話をする前に、ちょこっとこの1~2年間で起きている「サークル参加側」の事情について触れておきたいと思います。


3.コロナ禍でのサークル参加者側の実情

まず即売会イベントでの頒布を前提として作品を作り始めます
→ 脱稿した!入稿まで完了した!
→ あとはイベント当日会場で頒布するのみ!
ってところまで来て突如イベントの中止――
→ 「せっかく作った作品どうしよう……」となって、
→ 「仕方ないからとりあえず同人ショップに委託するか……」
→ 「ショップに預けたので皆さんそちらからお求めくださいー!」

……このような出来事が、2020年と2021年の同人仲間の間でよく見受けられました。しかしこれで、
本来即売会会場で買うはずだった人全員が委託で買うか?
というと
必ずしもそうではなかった
というのがサークル側の実情だったのではないでしょうか?

これは実際に調査をしたわけではなく、お金にせよ部数にせよ「数」についての明確な言及を避ける傾向にある同人の世界においては捌けた部数についての情報が表向きに現れるわけでもないため、私の口から客観的なデータに基づいてそうだと断言することは出来ません。

しかしイベントの突如中止からのその後の流れを観察していると、イベントの中止を余儀なくされたことを経験した人達からは、サークル参加者側・一般参加者側共に、

「通販に出したけど本が捌けない」
「通販になると本を買わなくなる」

といった旨の雰囲気が各所から出ているようです。

事実、私も例に漏れず、昨年2020年3月、作品を作ったらイベントが中止になり頒布機会がなくなってしまった人間の一人で、上記の流れのまんま同人ショップへの委託の手配もしましたが、リアルイベントがあったらもっと多くの人の手に渡っていたんだろうなあ、とかなり感じさせられます。このことは実際に私自身に起きて感じたことです。
中には、昨年イベントが中止になってそれからずっと今に至るまでそもそも新刊を出さなくなった、描きかけの原稿が途中でお蔵入りしたままになったようなサークルさんもいらっしゃいます。


4.リアルイベントにしか存在しない栄養素

イベントが開催できなくなった
→ 仕方ないので代替手段として同人ショップに委託する
→ しかしリアル即売会ほど部数は捌けない
→ 一般参加予定だった人も買わない……、

こういった状況の中で、次に出てくる問いはこのようなものです。

「イベントがなくなって通販オンリーになるとなぜ買わなくなるのか?」

これについても実際色々な憶測を呼んでいますね。

「即売会というのはお祭りや縁日のようなものであって、即売会に並べられる本たちは、祭りの屋台のめっっちゃくちゃ美味いわけでもないのに地味に値段の高い焼きそば・フランクフルト・りんご飴・ベビーカステラのようなものである」

という説だったり、

「家の中で通販で欲しい本を全部カートに入れて決済画面に進むと、合計金額を見て冷静になってやめてしまう」

というのも耳にします。

いずれも一理あると思いますが、ともかく、ここまで色んなことが同人の世界の各所で言われている現状を考えてみると、やはり、
オンラインや通販・DLサイト等は、リアル即売会イベントの完全な代替手段としては機能せず、
「リアルの同人誌即売会でないと発生し得ないことが必ずあるのではないだろうか?」
と感じさせられます。

言わば、「リアルの同人誌即売会でなければ摂取できない栄養素がある」みたいなところでしょうか。

「リアルの同人誌即売会でないと発生し得ないこと」
とは具体例を言うと、
「一般参加者が来ることによって発生する物理的な在庫の捌け」
だったり、
「ちょっとでも欲しい本が目に入ったら財布を気にせず『新刊一冊ください』と言ってしまう狂気具合」
だったり、
「目の前の作家さんに直接応援や労いの言葉を伝えられる・一般参加者から声をかけてもらえる」
だったり、
「他の参加者・同好者達と同じ場所・同じ空間を共有していることの喜び」
だったりと、その他にも色んなことが挙げられると思います。

そして、こういった事象の背景に、「オタクがリアルの同人誌即売会にわざわざ一般参加する理由」、そして「一般参加する意義」が隠れているのではないかと思うのです。


5.「一般参加」とは「表現」である

「オタクがリアルの同人誌即売会イベントに一般参加すること」とは何か、私なりの考えですが、それは一種の「表現」であると提言します。

「表現」というと、一般参加よりもサークル参加側の方に似つかわしい言葉のように思いますよね。何かを表現したいから絵や漫画を描いたり、本を作ったり、音楽を作ったり、ゲームを作ったり、あるいはサークル or 一般問わずコスプレをすることだって一種の表現だと言われています。それらと同じで、一般参加するという行為そのものも「表現」だと思うのです。

どういう表現かというと、「私はこれが好きでこの日のために都合つけて交通費も工面して汗水垂らしてこの場所にやってきました」という表現であり、すなわち、
「私はこれが好き」という思いを、
「イベントに参加するという行動」を取る形で表現
しているものだと私は考えています。

「これが好きなので○○をする」――、サークル参加者の場合だと「これが好きだから本を作る」というような形の行動で表現されていますよね。
またコスプレイヤーにしても、この作品のキャラクターが好きだからコスプレをする。
いずれも、好きだからその思いをアピールするために何か行動を伴わせています。

そして――、「絵は描けない、小説も書けない、音楽も出来ないし、そもそも何か創作物を作り上げることが出来ない。コスプレも魅せられるような自信のある身体じゃない。けれど、『好きだ!』という思いを表現したい!」

――そのような人にとって最も表現の形として分かりやすいのが、「自ら会場に赴く」ということなんだと思います。

イベントの日に休みを確保して、事前に会場へのアクセスを調べて、交通費も工面して、ホテルの手配などもして、入場に必要なカタログも買って、炎天下に汗水垂らし寒空の下で震えながらやっとの思いで会場にやってきて……、イベントや個人によってここまでの苦労度は様々ですが、こういった苦労を伴った上でわざわざやってきたイベント、そりゃあもう精一杯自分が納得するまで堪能したいと思うじゃないですか。
そういった苦労がベースにある上でサークルの人と対面して作品を受け取る――、どの即売会イベントでも変わりなく繰り広げられている普通の光景ですが、これが一種の「好き」の表現が現実に表出したものなのだと考えると、やはり人間の情熱ってすごいもんだなと思わされるものがありますよ。


6.通販では「表現」ができない

このように考えると、イベントが中止になった分だけなぜ通販は盛り上がらないのか?という疑問への答えが浮かび上がってきます。

通販で買うことは、一般参加ほどの「行動」を伴う度合いが非常に少ないからです。

通販でももちろんお金は発生します。しかも、だいたいイベント会場の頒布価格よりも同人ショップの通販の方が少々値段が張ることが多いです。だけれども、家にいながらにしてネットの通販サイトを見てクリックしてポチポチ画面を進めていって……、といった手順を踏んで家に作品が届けられるということには、一般参加のような大きな行動やその行動に至るまでの決断があまり伴っておらず、「一般参加」をした時のように「好きだ」という思いを行動で「表現」したという実感が湧かないのです。

またサークル主と直接対面することもないため、「あなたの作品を手に入れるために今日ここにわざわざやってきました」という自分の勇壮な姿を相手に見せることすら叶いません。これだと一般参加者のモチベーションはグッと下がります。行動という目に見える形の表現が相手(サークル)に享受されないから。

このように、リアルの同人誌即売会イベントと同人ショップとの間には、「行動を伴う表現の度合いが異なる」という大きな溝が存在します。

リアルイベントにおいて一般参加者達は、交通費などをはじめとした予算の確保、宿泊地の確保といった様々な決断と過程を経た上で会場にやってきます。やっとの思いでやって来た会場で湧き上がる気持ち、自分の「好きだ」という気持ちがイベント会場に直接来場するという形で実るような高揚感がそこには存在します。
しかし通販サイトでは、そういった大きな決断も過程もないので、その上に湧き上がってくる高揚感も生まれてきません。
ですから、ちょっとでも気になった本の表紙を見て「新刊ください」と軽率に口走ってしまうような狂気も、さっき気になる表紙絵の本があったけど、今日を逃すとあの本はもう一生手に入らないかもしれない……という焦燥感も起きないので、通販サイトで決済画面に進もうとしたら合計金額を見て正気になってしまう、本当に応援したい作家さんの作品、本当に気になってる新刊だけ注文する、といったことになってしまうのでしょう。

7.リアルイベントにしかないサークル側の栄養素

逆に、

「リアルイベントだろうが通販だろうが、その作品を手に取るという結果は変わんないから、手段が違うだけでどっちもその本が欲しいという気持ちの表現は一緒だろ?」

という考え方もあるかもしれません。

実際同人ショップに作品委託をしているサークルは、どのぐらい委託を通して作品が出ていったかその部数が分かります。その部数こそが、一般参加に赴けなかった人達の思いであり表現だ、とも言えます。

しかしサークルからしてみると、やはり直接会場で対面で手渡しできることの喜びと、通販サイトの数字が出ていることの喜びとではやはり違うものがあるんですね。これは「通販でしか買わない人よりわざわざ一般参加する人のほうが偉いんだ」ということを言いたいのではなくて、「欲しい」と言ってくれた目の前の人に直接手渡しできるという、サークル参加者側にもリアルイベントでないと摂取できない喜びの栄養素があるのです。

事実、

「地方に住んでいて都市部の大規模イベントには毎回行けないから、いつも通販で手配しているよ」

というファンの方は、「この禍の中でイベントが中止になったとしてもどうせ毎回イベントに赴けてないことに変わりはないんだから」ということで、委託を通して通販に出してくれる推しサークルの作品は変わらず買ってくれているんだと思います。ありがとうございます。これは私の経験・体感の話ですが、定期的にイベントに参加して定期的に作品を出し続けている身からすると、数字からなんとなくその気配は感じます。通販で必ず一定の部数が出ていくから、イベント会場には来れないけれど毎回作品を求めてくれる一定層のありがたいファンがいるな、ということを。これもありがたいことです。

またもう一つサークル側の事情としては、

「イベント会場で3~4人ぐらいの手に届いてくれれば良い……通販に出せるほどの部数を作ることを考えてない……だからリアルイベントでサッと出展してサッと帰るだけにしたい……」
「ああ、コミケのどこかに、私を待ってる人がいる」

という思いのサークルが数多く存在することを述べなければなりません。単純にサークル数で言えば大手のサークル以外はこういう気持ちでイベントに向かう小規模のサークルのほうが多いでしょう。
やはり、一般参加者達が「好きだ」という自分の思いを一般参加という行動でもって表現して気持ちが満たされているのと同じように、サークル側にとっても会場で対面で手渡ししたい、手渡しすることによって満たされる気持ちがある、ということは確かです。

これらは同人誌即売会がオンライン上で代替できないことの大きな理由になると思いますが、一方で同人ショップや通販&DLサイトが、今後上記の「リアルイベントで湧き上がるような高揚感」を利用者に感じさせるような仕組みを作るべきなのか?というと、それはちょっと分かりません。


8.一般参加者が行う「表現」の数々

一般参加者が行う「一般参加」とは「表現」であると言いました。これは一般参加者達にとって「表現」というカテゴリーの中の「大きな表現」に入るものと考えられます。そしてその「一般参加」という行動による大きな表現の中、またその行動が終わった後などには、一般参加者達の「小さな表現」も存在すると考えられます。

まず予定だの色々都合つけてイベントの日に会場にやってくること自体は、一般参加者達にとって身体を張った大きな表現です。

そしてその大きな表現というカテゴリーの中――、

サークルの前で「新刊一冊ください」と声をかけることは、その「大きな表現」の中に点在する「小さな表現」です。

そこで対価を出すのも「小さな表現」です。

「いつも応援してます」とか「新刊読むの楽しみです」といった言葉をかけるのも「小さな表現」です。

既刊・前作の感想をサークル主に直接伝えるのも表現の一つですし、またそれはサークルさんと同じもの・同じ概念・同じ創作物を共有したということを分かち合う共感とも言えます。とっても尊いことです。

また一方で、一人だけでサークルの前を独占せずに、サークル主に伝えたいことが伝え終わったり用事が済んだりしたら、サークルの作品が他の通行人の目にも入るように手短にその場を離れることも、サークルさんと他の一般参加者への思いやりという小さな表現だったりします。

イベントが終わった後日、新刊の感想文をTwitterに投稿したり、作家さんに伝えるのも表現です。たいへん尊い。感想文をしたためるというのは立派な表現行為の一つです。感想くれる人マジ神。古事記や聖書に記載されるべきレベル。ありがとう。

このように書き並べていくと、意外と一般参加者も「表現」に足る立派な行動をしていることに気付かされます。一般参加をしてきた歴戦のオタクの皆さんはこれらが「表現」行為の一種だと気付いていないかもしれませんが、私は立派な「表現」行為の一種だと思います。


9.表現が負の方向に行くことも

しかしながら、「表現」が相手の迷惑になってしまうこともたまにあります。サークル参加経験のある人はいくつか心当たりがあるかもしれません。

「俺はコミケの一般参加に命を賭けるぐらいでっかいオタクなんだぞ」という思いと周りへのアピールが異様に強かったり、

イベントでは俺達オタクの表現が許される場所だと過信して会場内外で大声を上げたり走ったり、

わざわざオタクの祭典にやってきた俺は偉いと思い込んだ結果、会場内では何をしても許されると思ったり、

俺がサークルの作品を買ってあげてる、選んであげてる、ジャンルの発展に貢献してやってる、という「上から目線」によってサークルの作品の見本をぞんざいに扱ったり、

「見本見させてもらっても良いですか?」の一声もなく勝手に見本誌を開いたり、

「このサークルを推している」「だから俺が精一杯応援しないといけない」という思いが良くない方向に突出してしまってサークルの前を独占し続けたり、

即売会会場は一般参加者という存在が表に現れるステージであることを利用して、こちらから聞いてもいないような興味のない話を一人で得意気に長々と喋り続けたり、
(これは表現という形が暴走し続けてしまう誰にでもよくある行動ですね)

閉会時にサークルさんの撤収を手伝ってやりたいけど声をかけられない、何をしてやればいいか分からず、その場に無言で立ち尽くしてしまったり、
(お気持ちはありがたいんですけれど、撤収作業中は見知らぬ人に手を出されたくないタイミングなので、他の机や椅子を回収をしてイベントスタッフのお手伝いをするなど、サークルの撤収作業はサークルさんが集中できるようにしてあげてください)

閉会&撤収作業時に、「(いらないんだったら)そのポスターください(イベント終わったらゴミになるんでしょ?)」と軽々しく要求したり、
(ポスターはサークルさんのご厚意で無償 or 有償譲渡してくれる場合がありますが、イベントが終わったらゴミになるものだからとか、必ずにもらえるものだとか思って声をかけてはいけません)
(ちなみにうちですが、うちはポスターも自サークルの宝物なので誰にも譲渡せずうちで保管します)

――「表現」という行為そのものは尊いものであり、自分たちの「表現」が許される場所というのはとてつもない楽園であることは確かですが、このようにその「表現したいという気持ち」が誤った方向で行動として出てしまうと、相手や周囲に迷惑になってしまうケースが多々あります。

広く言ってしまえば、人と会話をすることや、服を着ることなど、自分の身体から外に向けて表出するあらゆる言葉や振る舞い全てが何らかの「表現」につながり得ます。たとえそれが創作物という体を成していないものだとしても、その根底には何かしらその人自身の「思い」や「考え」が土台にあって、その上で身体の外にアウトプットされています。

「好きだから」、「オタクの祭典だから」、という理由を盾に「どんな振る舞いをしても許される」「どんな表現も許される」と過信するのは、気付かぬうちに何らかの間違いやトラブルを起こしてしまう可能性があり、一日限りのイベントだとしても、非常にオススメできません。

何か思いを伝えるためには、「伝え方の正解」が存在します。ただ全員が「伝え方の正解」を射抜くことは難しいです。一般参加者の表現にしたって、サークル参加者の創作物の表現にしたってそうです。気持ちを表現したいけど言葉がうまく出なかったり、推しの顔をかわいく描きたいけど画力が足りなくて描けなかったり。ただ、反対に「伝え方の間違い」も存在します。せめてもの、その「間違い」という「地雷」だけは自分から踏みに行かないように注意したいですね。
(音楽に正解はないけど間違いはあるみたいな話に似てる)


10.全てのオタクは表現者である

一般参加者のオタクの皆さん、あなたも同人誌即売会イベントにおいて立派な「表現者」の一人です。

「同人誌即売会にお客さんはいない」とよく言われますが、「お客さんはいない」というのはつまるところ、一般 or サークル関係なく全ての人が何らかの「好き」の表現者であるから、なのだと言えますし、私はこのように解釈しています。

そして「表現者」であるから、たとえ創作物を作れなかったとしても自分の中に「好きだ」という気持ちがあって、それを外にアピールしたいという思いがあるのであれば、それは「表現者」として自信を持っていいと思いますし、またその反面「表現者」であるということは、先述したようなトラブルを起こさないために「表現者」としての自覚や責任を持たないといけないとも言えます。

さらに一つ注意しなければならないのは、「好き」の「表現」の形や度合いは人それぞれだということです。
「好き」の形や「表現」の形の多様性を保守したいオタクにとって、

「オタクであるならこういう態度でなければならない」
「オタクであるなら、愛が本物なら、イベントに参加すべきである」
「〇〇クラスタなら当然人気投票に投票すべき。投票しない奴はこのジャンルの非国民だ。愛が足りていない」
「このキャラ・このCPが好きな人は、この人の作品を知っていて当然」

このような「オタクはこうあるべきだ論」とか「このクラスタ内の異端者は同じオタクとして認めない」といった論調は本来オタクにとって忌み嫌われるものです。

しかしながら、オタクはキモいものとして社会から排斥されるような扱いを受けてきた歴史があるために、その反動で「オタクの社会が許される閉鎖的な環境やコミュニティ」の中では、「オタクであるからには同士はこうあるべきだ」という精神的な団結力を高めようと同調圧力をかけてしまいがちで、結果的に上記のような「オタクのコミュニティの自治」を執るような声がどこからか発生します。

同人誌即売会にわざわざ一般参加する一般参加者は、立派な表現者の一人ですが、だからといって「偉い」わけではありません。一般参加しないオタクは、一般参加しないなりに別の方法で「好き」を表現しています。
確かに「好きな気持ち」や「愛」というのは大きさの大小が存在しますが、数値的なもので単純に比較できるほど簡単な概念ではありません。

別に毎日推しを描いて投稿している人が偉いとは限らないし、
推しの作家さんの本を全部揃えてるから偉いとは限らないし、
原作めっちゃ履修しまくってるから偉いとも限りません。
たまたま広告で見かけた見知らぬキャラクターが可愛くて一目惚れして原作知らずに描いたって良いんです。可愛くて描きたくなったという気持ちは正直なんですから(公開して良いものかどうかは別ですよ)。
この論調でいくと極めつけには、原作無視二次創作も「表現したい」という正直な気持ちさえあればしたって良いんです(これも公開して良いものかどうかは別ですよ)。「二次創作するんだったら原作履修すべき」というのはそれはそれで正しいのですが、彼らが嫌っているのは原作無視二次創作そのものよりも、原作無視二次創作が「原作を前提にした上に成り立つ二次創作」と同じ土俵に上がってしまうことなので、この問題が引き起こすコンプレックスは見かけ以上に結構複雑です。このへんは冷静に分析して議論を切り分けないといけないと思います。

ただ、あの人よりも私のほうが愛は強いと信じたくて何かその理由にすがりたくなる気持ちはめっっっっっちゃくちゃ分かります。

(ちなみに高額転売みたいなのが絡むやつはフッツーにあかんと思う)

愛の形は簡単に数値化出来ないからこそ人それぞれ尊いものです。
そして、「好き」の度合いと、その思いの「表現」の手段は人それぞれです。これははっきりと言っておかなければなりません。
「好きだ」という気持ちを一般参加者 or サークル参加者隔てなく一緒に同じ場所で「表現」できる機会の一つに「同人誌即売会」というイベントが存在します。


11.今後の即売会はどうなっていくのか

さて、同人誌即売会が「好きだ」という気持ちを「リアルに」表現するための場所として必要な機会であることはお分かりいただけたのではないかと思います。
こう考えると、同人誌即売会の主役ってサークル参加者でなくむしろ一般参加者なんじゃないか?とさえ思えてきますね。現代のサークル参加者は、一応即売会に頼らずともネット上である程度表現活動を行うことは出来るけれど、一般参加者が身体を張って表現できる、しかもその表現を目視で認知してもらえる場は、即売会をはじめとするリアルイベントしかありません。インターネットが発達して、作家側の表現の手段は増えましたが、一般参加者側の立場はあまり変わっていないのです。

今まで述べてきたように、リアルのイベントをオンラインで完全に代替できるか?というとそれは現段階ではNoだと思います。私は音楽に携わる人間で、コンサートやライブが相次いで中止になりオンラインで無観客配信という流れになったのを数多く見てきていますが、音楽業界でも同人誌即売会と全く同じことが起きています。20世紀にレコードやカセットテープやCDが普及しても、生身のミュージシャンを目前にしながら、周りのファン達と一緒に同じ生の音を共有して聴く、というコンサートやライブイベントが衰えていないことがその証明です。

しかしながら、同人誌即売会の今後の存続について気になることがあります。それは、同人誌即売会は今後、若い人達にとって魅力的な場になるのか?ということです。

デジタルネイティブの中でも超最近の超デジタルネイティブ、子供の頃からスマートフォンを扱っており、スマホからインターネットを通して世界中とつながることの出来る状態にある中を生きていて、且つ今後二度と取り戻すことのできない一瞬一瞬が大切な学生時代の生活を自粛といって大人達から制限された子たち。

彼らの中には、もちろんコミケのような大規模なイベントに憧れている子もいると思いますが、一方で、普段からTwitterのタイムラインで神絵師の絵を眺めてリツイートしたり、スマホ上で絵を描いて投稿したりするのが当たり前で、

「なぜこんなデジタル社会の中でわざわざリアル即売会?価値観古いんじゃない?」

と疑問に思う人も少なくないのではないでしょうか。
もしかすると、「リアルであることの価値」「リアルであることの実感が伴う喜び」にまだ気付いていないだけ、なのかもしれませんが、世代ごとによる価値観の相違というのは恐ろしいもので、一般参加者 or サークル参加者問わずネット上だけで「表現行為」が完結することがネイティブな人達からすると、彼らの目にはリアルの同人誌即売会というのは魅力的に映っていない可能性があります。

「デジタル」や「ネット」が発達した現代は、「リアル」「生身の人と触れ合う、共感し合うことの実感・喜び」これらの価値について改めて再考することが求められている時代、と言えるのかもしれません。

ちなみに私は音楽屋ですが、音屋の意見として、やっぱりイベントがないと寂しいです。というのも、インターネット上で楽曲を発表することは出来るんですが、インターネット上だと「聴いてもらえてる」という実感が湧きづらいのです。
YouTubeで100人のユーザーからアクセスされるのと、イベントで100人の人にCDが渡るのとでは後者の方が圧倒的に、満足度・自分の表現が人の元へ旅立ったという実感が強いです。
これは人類史上の普遍的な価値観なのかもしれませんし、もしくは今後の時代にとっては古い価値観なのかもしれません。今がその価値観が遷移する過渡期なのかどうかが見極められています。

ですから、私は今年の夏、己の右手の指を破壊し続けながら作品を作り、そしてついに今週末、自分の判断でイベントに参加します。興味のある方はどうぞよろしくお願いします。
そして、このnoteに記した通り、「表現の形は人それぞれ」だということを改めて悟りまして、色々思うところがあったり思考を整理したかったり疲れちゃったり色々なコンプレックスを抱えちゃったりしたのもあって、この秋でお休みをいただこうと思います。

一般参加できないけど欲しい!という方は大変便利なメロンブックスさんの委託をどうぞ。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
また一般参加者の皆さんとお会いできるのを心待ちにしています。
それではイベントでお会いしましょう。


※ このnoteは、コロナ禍でイベントに参加することをオタクの皆さんに一様に推奨したり、また反対にコロナ禍だからこそ今は自粛すべきといったことをオタクの皆さんに一様に推奨したりする意図があるものではありません。

※ イベントに参加する or しないは、どちらを取ってもあなた自身の表現の手段の一つです。

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