好きなことが仕事になった話
パラリンピックが終わってからの話。
前回までの記事はこちら↓
好きなことを仕事にってよく聞くけど、実際に自分がそうなるとは思っていませんでした。
ルール改正
東京パラリンピックではメダルに絡みたい、そう思って練習を始めた矢先、2018年にルールとクラスの改正が始まりました。
私がリオまでしていたバタフライは、2018年以降失格になってしまったのです。
ルール改正じゃ仕方ない…
クラスや泳ぎのルールが変わり、本当に、本当にたくさんの人が苦労しています。現在進行形で。
ルール改正のため、2018年からはバタフライを1から作り直すことになりました。
簡単に言うと、片手のバタフライから両手のバタフライに変えたわけです。タイムは一気に落ち込みました。
100mで約7秒遅くなりました。水泳をしていた方はわかるでしょうか、このタイムの感覚。
メダルどころかパラリンピックにかすりもしません。
2018年のジャカルタアジアパラ大会で、100mバタフライは銅メダルを獲得したものの、タイムには全く満足できませんでした。
ちなみに2017年にはメキシコで世界選手権に出場する予定でしたが、地震の影響で延期、日本は不参加となりました。メキシコは今元気かな、また訪れたいです。
社会人アスリートの話
2019年、練習環境を変えて大好きな会社に就職。
一人暮らしも始めて、これだけ良い環境ならなんとかなると張り切っていました。
しかし、9月のジャパンパラ大会が終わった後、練習と職場に行くことができなくなりました。
これは自分への期待が多すぎたからだと思います。
東京パラに出るためには、この試合でこのくらいの結果を出さなければならない。
リオに出ているのに、東京に出れないなんて選手として情けない。
お金を貰って水泳をしているのに、結果を出せないなんて社会人失格だ。
実際は、会社に入ってからタイムは伸びていましたし、国際大会でも多少結果を残してはいたのですが、東京パラに届かないという思い込みで潰れていきました。
そんな私に、会社の人やコーチは気持ちの整理をする時間をくださいました。
無理に職場に来なくていいし、練習もしたい時にすればいい。
本当にたくさんの人に助けてもらいながら、武者修行に行ったり、本を読んだり、文章を書いたり、旅をしたり…約1年間はそんな風に緩く時間を過ごしました。
感謝してもし切れません。
***
2020年2月、心が落ち着き始めた頃、ライバルの拠点に修行に行かせてもらいました。
場所はオーストラリア。
水泳に向き合う時間を求めて、初めての単独渡航を決めました。
ライバル、そのコーチとチームメイトには本当に感謝しかありません。
みんなの練習を見て、参加して、オーストラリアで生活してみて、たくさんのことを感じました。
パラの水泳選手として。
私はこの場にふさわしくないということ。彼ら、彼女らの姿勢を尊敬すると同時に、私は今ここまで頑張りたいという気持ちがないということ。
1人の人間として。
水泳が人生の全てではないということ。パラ水泳では中堅だったけど、社会的にはまだ若いということ。誰にも、何にも縛られていないということ。
オーストラリアで働いている日本人にも会って、ワーホリや留学、英会話にも興味を持ちました。
そこで会った人はみんな自分らしく生きていて、とても輝いていました。
そして帰国後、3月の東京パラの選考会で現役選手を辞める決意を固めました。
同時に、頑張れない自分も受け入れてあげることにしました。
生きてればとりあずそれでいっか、ってことで。
まだ色々できないこともあるけれど、生きることができるならそれでいい。きっと大丈夫。
オーストラリアで感じたことはこの記事に書いています。興味があれば覗いてみてください。
緊急事態宣言
オーストラリアから帰ってくると、日本は何やら雰囲気が変わっていました。
帰国前からなんとなくは知っていましたが、感染症が少し流行り始めていた時期でした。
私は文字から受け取る情報が多く、感染症のカタカナ3文字が怖くて容易には書けません。
もし同じような方がいたら…テレビやネット、あの時期は大変でしたよね。想像力が強いのは良い時もあれば悪いときもありますね。お互いお疲れ様でした。
その影響で、3月の初めに行われる予定だった選考会は中止になりました。
その後の試合を引退レースにしようと思っていたのですが、パラ水泳の試合は年内全て延期か中止になってしまいました。
そのため、引退レースはパラ水泳の試合ではできなくなりました。
***
緊急事態宣言が解除されてから、徐々に水泳と陸トレを再開し始めました。
結果だけを見るのが私の性格に合わなかっただけで、私は水泳もトレーニングも、コーチもトレーナーさんも水泳仲間も大好きなままでした。
水泳を嫌いになる前に引退すべきだと思い、11月には、お世話になったスイミングスクールの記録会へ参加させて頂いて競泳を引退しました。
ちなみに、緊急事態宣言が出た時に感じたのは、「練習しないことが当たり前の世界になった」という安心感。
緊急事態宣言で完全に水泳から離れることになり、仕事をする時間を少しずつ増やして、やりたいことをやるようになりました。勉強が楽しくなったのもこの時期。
読書も英会話も文章を書くことも始めて、私は言葉と触れ合うことが好きなのだと気がつきました。
…続く(次がラスト)
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