HSP気質と思考の話
自己分析のための文章。
私は中程度のHSS型HSPの気質を持っています。もし同じような方がいれば、自分だけじゃないんだ〜と安心する材料にしてやってください笑
自分語りを抑えてきたので、そろそろ語り散らかしてみるのもいいんじゃないかと思って書いてみました。
それにしてもアイキャッチのイラスト、イメージにぴったりやなぁ。
行動力と好奇心
私は好奇心や興味関心が強いし深い。フットワークも軽すぎる時がある。
好きな物にはとりあえず飛びつく。
映画で言うと、「愛がなんだ」×4、「JOKER」×6を映画館で観ている。さすがに観すぎ笑
観たい映画のために、いきなり思い立って片道8kmの道のりを自転車でかっ飛ばして行ったりもする。
他にも、2週間の年末合宿終わりで2日連続、しかも年越しのフェスに行ってみたり、人生どん詰まったーって前日にチケット取って、ジンベイザメと海を見るために沖縄へ飛んで行ったりもした(関東住み)。
ちなみにジンベイザメを見た感想は、「こんな大きなサメが水槽を永遠と回っていて果たして幸せなんだろうか。そう考えると私たち人間は自由だなぁ。」です。
あと好きな人にもすぐ飛びつく。
そういや今私の居場所になっている英会話教室も、駅前で運命的に出会った女の子と話をしたすぎて着いて行ったのが始まり。
最初は英会話の教室だなんて知らずに、あの子とまた話したーい!だけで話を聞きに行った。
英会話はどっちにしろやりたかったし、その子には今すごく仲良くしてもらって世界が広がってるし一石二鳥!
ただあまり自分を出せる人が多くないから、ちょっとでも受け入れられたと思うと一気にリミッターを外してしまうのは考えもの。
これ普通なんじゃない?って思ってたけど普通ではないらしい。まあ何でこのアクティブさを普通だと思っていたのかは謎。
内向性と繊細さ
突拍子もないことをする割には、内向的で繊細らしい。
内向的ってのは思考が強いかな。考える癖があって、何事も多面的に考えないと気が済まない。ホントウにこれは正解か?逆は不正解か?
今まで本当だと思っていたことが、そうでもないかもしれない!ということに気づいた瞬間が最高におもしろい。まだあまり共感されたことは無い笑
ちょっと前までは、幸せと喜びの違いとか、それらと悲しみの類似点とか、そんなことを真剣に考えていた。
幸せも喜びも悲しみも胸がいっぱいになるのは同じなのに、悲しみが辛いのはなぜ?とか。
そんな風に、基本脳内で会話してないことがほぼない。何も考えていないのは寝る時くらいなんじゃないかな?
noteはそれを少しでも落ち着かせる手段でもある。
繊細ってことで言うと、音や感情、場の空気、言葉に過剰に反応する。
職場では、キーボードを打つ音、プリンターの音、電話の声や内容・その人の感情(想像)、などに逐一気を取られて、毎回自分の作業から離れて、意識を戻して、を繰り返していた。
家では時計やエアコン、冷蔵庫の音に気を取られて睡眠を邪魔されるので、さすがに時計は音がしないものにした。あとゲーセンってたまにモスキート音?が強すぎると思う。
あと意外と大変なのが、お寺や神社の前を通る時に胸がざわつくこと。これは教会とか宗教関係の場所でも似たことが起こるので、多分幽体的なことだと思う。
小さい頃は息を止めて通ったり、お地蔵さんに一礼しなければ!のようなよくわからん感覚に取り憑かれていたけど、今は「幽体を感じているだけ、私には関係ない」と思うことにしてやり過ごしている。
だから、人の感情(幽体)が多いところも基本的には得意じゃない。大人数で集まると感情や声、言葉が多くなりすぎて混乱するので、できればサシで話したい。
散歩でも人工物の多い場所では、音楽で雑音や雑念をかき消して自分の世界を創る必要がある。
人工物が風化してきて自然に馴染みかけているような、そんな風景を見て写真に残すのは好きだったりする。
だから公園などの自然を感じやすいところは結構好きで、夜に散歩する時は虫の声をずっと聴いていることもある。たまに泣きそうになる笑
言葉に関しては、ずっと連想ゲームをしているような感覚。「ちょうど一年前に」「トラブル」って言葉を聞いて、虎舞竜に結びつけてしまったのは笑った…
「○○で思い出したんだけど」が多くて話の腰を折りまくるし、言葉と感情と情景を一気に結びつけるので、単語だけで幸せになったり感傷的になったりする。
音楽は曲を聞かずに歌詞を読んで、興味を持ったら曲も聴いてみる、みたいなことも多い。
自己矛盾
繊細、内向的なのにも関わらず、好奇心や興味関心が強いという矛盾は、なかなか面白いんだけど厄介でもある。
勉強(仕事)できるようになった!たくさんの人と出会えて幸せ!って思った次の週には、何もしたくない人に会いたくない家で寝てたい、くらいの勢いで引きこもることもある。ここまで来るとLINEも返せなくなる。
基本的にはずっとこれの繰り返し。社会的に好まれやすいのは前者の時なんじゃないかと思っていて、後者の時は自己否定に走ることも多い。
先週あんなに活動的だったのに、なんで今週は家から出ることさえできないのかな。もうこのまま一生社会と関われないんじゃないかな。とか。
結局自分の考え方次第だよねってことと、人より休みというか、自分と向き合う時間が必要なのは最近わかるようになってきた。
自分と人を分けて考える
反応する言葉っていうのは興味関心のあることも多いけど、自分の中でのネガティブワードに引きづられやすいらしい。多分いつかの良くない出来事と結びつくから。
「当たり前」、「普通」、「みんなそう」、「気にしなくていい」、この辺りは特に。私はあまり使わないようにしていると思うけど…できてんのかな?
そんなの当たり前だよ、普通だよ、みんなそうだから気にしなくていいよ。
この言葉たちはできないことを一般化してくれているし、励ましの意図もあると思う。それを理解しているにも関わらず、受け取り方がひねくれてしまう。
みんな通る道さえも私は通り切ろうとしていないんだ。気にしなくてもいいことを気にしてしまっているのか…と落ち込んだりする。
あくまでもこれは私が私に感じているだけで、その言葉を使う人たちにやめてほしい、とは思わない。
このワードに引っかかるのはもう仕方ない。だから引っかかる時間を短くしようとしている。
そうだ、私当たり前ができない人だった。普通じゃなかった。みんなと違った。気にしないことできなかった。
私の中で、「変わってる」は褒め言葉、「普通」はあまり嬉しくない言葉でもあるから、一般化されること自体をネガティブに取ってしまうのかもしれない。
だから、親切に言ってもらってるんだし、ありがとうって思わなきゃ!みたいに、受け取り方まで強制することをやめた。
自分が受け取りやすい言葉に言い換えて、私を納得させてあげればいいかな。と最近少し思うようになった。
他人は自分とは違う。境界線を作ってもいい。
まとめ
ずっと自分語りをしないようにしていたんだけど、私が好きな人は結構自分語りする人かも、なんて最近思っている。
何かの結果について、なぜそれをしたのか、それで何を考えたのか、自分なりの答えはこれだ!みたいなことを語る人にはギラギラしてついて行ってしまう。笑
思考している人の思考は気になる。じゃあ私も、好きな人たちがやっていることを真似してみよ!って思った。
そういえば、これを書いている間に「あ、私の苦手なワードこれだ」って考えついたので前の項を付け足した。言語化するって大事。
この連想ゲームをずっとしちゃう癖ってあんまり好きじゃなかったし、勝手に相手の感情決めないでって言われたこともあるんだけど、このおかげで例え話は少し上手くなった気がしている。
やっぱり何事も両極端な資質のセットなんじゃないかって、RADWIMPSの「億万笑者」を聴いた時くらいからずっと思ってるんだよなぁ。
ネガティブだと思っていることも、喜びの対価で万歳のおたまじゃくしで、対義の語とセットなんじゃないかって。
まあだからなんだって話なんだけど笑、そうやって自分を納得させるのがもう少し上手くなれば、矛盾だらけの自分とも上手く付き合っていけるようになるのかな。
って思えるようになってきた。
おわり。
この記事が参加している募集
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 あなたとの出会いに感謝です。 もしサポートしてくださったら、あなたの記事もご紹介させていただきます😊