僕と鹿 (短編小説 I)
僕の父親は猟師。
小さい頃から僕はその様子を横目で見ていた。
僕の地元の長野はジビエという鹿肉の料理が有名で、僕の父の十朗は、地元の森の中にある夏の時期だけオープンする別荘客が多いレストランに鹿肉を提供している。
そのレストランのシェフとは高校の同級生で、昔は相当のやんちゃボーイだったらしいが、今となったら趣味のクラシックカーが似合わない二匹の小太りの小さなおっさんだ。
そんな父とは全く違う感性を持って生まれた僕は、猟師という職業を持つ父をどうしても許せない
それはある日を境に更に強くなっていった
それは僕が18歳になり車の免許を取って3ヶ月ほど経った頃だった。
いつも通り一面木に囲まれた田舎道を軽快に走っていた。
コットン通りから玉岩の里へ入る境界線を超えた直ぐその時、一匹の鹿が僕が運転する車の前を横切った
僕は焦った
このほんの数秒に色んな思考が僕の頭を駆け回った。
あれ、ブレーキって左右どっちだったか。
なんでこんなところに鹿、?
鹿ってこんなに大きかったんだ。
なんでよりによって鹿、?
そうこうしている間、もうそれは遅かった
一匹の大きな鹿の中に僕は入っていった…
慌てて外に出て鹿に駆け寄った
衝突の衝撃が強かったのか、鹿の胸の辺りから赤い湖が広がっていた。
僕は何も考えずすぐ横の森の中からヨモギの葉を摘み取り急いで鹿の傷に当てた。
(今思うと、とっさに止血作用のあるヨモギを手に取ったのは極めて良い判断だったと思う!)
処置が合っていたのか、しばらくすると鹿の苦しそうな表情がだんだんと弱まっていった。
その間僕はずっと、この鹿の命を救って下さいと祈り続けた。
20分程経った後、鹿は自分で立ち上がり、そっと玉岩の里の森へと帰っていった。
のちに聞くと大量の血がここまで出て回復したのは奇跡的だと医師に後日言われた。
しばらく経って僕はまた同じ道を、今度は慎重に走った。
すると、どこかで見覚えのある鹿が首を90度に曲げてこちらをのぞいていた
そこには子供にも見える小さな子鹿も連れて僕は道路の脇に車を止め、そーっとそーっと鹿に近づいて一礼した。
その時僕はこの異様な空気を察した
そして気づいた
この鹿はここの里を守ってる守神だと。
そしてあの時に急いでいたのには理由があった。
傷を見ると、もう何事も無かったかのように何にも無かった。
何かを僕に語りかけているようだったが、僕は霊感もなければ、どちらかと言えば空気の読めないタイプで相手の考えている事もさっぱりわからない。
やれやれ困ったと思ったその時、
「時間がない」
?
そう聞こえた?
僕が勝手に作って脳内で再生したのか?
「人間は何をしたい。なぜ我々の息の根を止めようとする」
今度ははっきりと聞こえた。
さーっと頭の血が引けていくのが分かった。
僕の目に映る鹿の真っ直ぐなブルーの瞳は一生忘れることはないだろう。
罪悪感という名の重しで僕は今にも立ち崩れそうになった。
罪悪感とはこのことかー。と僕はひしひしとこの文字に含まれる意味を噛み締めた。
僕はすぐさま 「ごめんなさい。お許し下さい。僕や僕の親がしてきた事を」と。
でも鹿は謝罪が欲しいわけではないと。
そんな低い次元にいる存在ではなく、僕を通して何かを伝えたいという真っ直ぐでピュアな波動を感じた。
鹿は僕にそれを伝えた後、役目を果たし終わったかのように神聖な雰囲気から野生の雰囲気へと変わり、ゆったりと森の方へと戻っていった。
僕はそのまま10分ほど立ち尽くし、車のドアを開けた瞬間色んな感情が溢れ、次から次へと目から涙がこぼれ落ちていた。
それは先日僕が犯したミス、父の職業、人間社会、食事、生きるという事、殺すという事、動物との共存、自然環境、いのちの価値観
こんなことが涙となって溢れ出す
きっとこれは今日だけの感情ではない。
きっと僕は、ずーっとずーっと小さい頃から抱えてた言葉にできない、でも何か違う、そんな気持ちを溜め込んできてたんだ。
でもそれが確実になった出来事だった
なんで僕たちは生きてるの。
そんなことまで考え始めた
それと同時に僕の腹の中で何かが咲いた。
ふつふつと燃えたぎる本能に近い衝動
使命
仕事
お金
いのち
にんげん
どうぶつ
ちきゅう
こんな幼稚園児みたいなピュアさだったんだ僕。
ちょっぴり安心した。
僕とあなたは仲良くなれるかな。
それでも、それでもやってけるかな。
この命が燃えるその瞬間まで、きっと、いつか。
つづく…
次)父の経験と価値観、息子との価値観のずれや葛藤。認めることと感謝の意味
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?