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[#最近の学び] 闇子ちゃん 第26話 ~ギャグドクロちゃん~

今回の漫画は、以前に描いた「ドクロボールちゃん」の続きです。

モラハラ(ドクロ)要素を持った人は、モラハラを受け入れてしまう人を見つけるのが上手いとよく言いますよね。その見つけ方の一つの例が今回の漫画です。ドクロをカモフラージュしながら小出しにしてきて、それを相手が受け入れるかジャッジしているということです。そのカモフラージュにギャグがよく使われるのです。

ドクロでグリグリしてくる人は、自分の欲を他者を使って叶えたがる人です。つまり、自分のことを自分で解決できない人です。言い換えれば他者への依存性が強い人です。幼児性が強いとも言い換えられます。当然それは弱い人です。そして弱いので自分が悪者になることをとても恐れます。そして悪者になるのを避けるためにドクロを正当化します。その一番お手軽なのがギャグで、ちょっと悪知恵が働くと正論や罪悪感の植え付けを使うということです。

現代は何でもギャグにする雰囲気があると思います。例えばTVやWEB、街中の広告は少しおちゃらけたものがすごく多いですよね。何かのキャラクターとゆかいなダンスをしたり、面白い仮装をして面白いキャッチフレーズを言ったりします。TV番組はどんな題材もバラエティ番組として提供します。クイズ、食べ物、教養、動物、どれにもお笑い芸人が複数登場し定期的に笑いを挟みます。YoutubeもフォーマットはまだTVの影響が強く、笑いで客を惹きつける手法が多いです。私が小さい頃はここまで何でもかんでもギャグではなく、クイズ番組も動物番組もそんなに笑いは発生しませんでした。80年代後半からバラエティ番組の比率が高くなり、90年代に一気に伸びて、2000年代のお笑い芸人ブームで何でもギャグにするフォーマットが固定された印象です。そしてスマホが大普及するまでは、そういった世の中の空気は主にTVと雑誌によって作られていました。

ギャグが増えること自体は悪くはないと思います。楽しいのは良いことですよね。コミュニケーションを円滑にするためにも役に立ちます。

https://note.com/yuki1192/n/n59c1be672616?magazine_key=m0b7b30a5d458

ただ、何でもギャグがいきすぎて、ギャグが基本にあるという空気が作られることは問題だと思うのです。なぜなら物事には笑い飛ばして良いものと良くないものがあるからです。よく言われるのはLGBTや女性蔑視、容姿差別についてですよね。TVのバラエティでゲイキャラを笑いものにするのは基本でしたし、見た目の良くない男性/女性もけなして笑うことが良いとされてきました。ただ私は、個人が同性愛を気持ち悪いと思ったり、例えば太っている人を陰で笑うこと自体は、そんなに悪いことだとは思いません。個人の感じ方は自由だからです。個人的に感じるのは自由だけれど、口や行動に出すのは一旦考えましょうということです。例えば、特にどちらとも思っていない個人に、「同性愛やデブは笑いものにしていいんだぞ!」という意識を植え付けるのは大きな罪だと思うのです。それはネガティブな意識への誘導ですし、それによって世の中にネガティブな空気が作られるからです。それと同じことが、今回の「ドクロはギャグにしていいんだぞ!」の空気につながるのです。ドクロはギャグにしていいという空気が作られると、ドクロギャグを受ける側にも「これはギャグだから…」とドクロを受け入れなくてはいけない空気になってしまうからです。これは、個人の気持ちや感じ方よりも空気を読む方が重視される日本ならではの現象だと思います。

ギャグでドクロをゴリ押すのは「いじり」にも似ています。2000年代のお笑いブーム以降に増えた概念ですよね。でもそれは一歩間違うと「いじめ」だよと言われることも増えました。ちょっと悪者度が上がったのです。なので今はギャグよりも、5ページめに描いた正論や罪悪感の植え付けのほうが使われることが多いかもしれません。何か気に入らない人や悪いことをした人をSNSで叩き、時には自殺するまで追い込むのもそれですよね。自身の抱えた鬱屈を、もしそのへんを歩いている人へのドクロパンチで晴らしたら悪者になってしまいます。でも、気に入らない人を正義棒で叩くのは一見世直し風にも見えるので悪者度が下がり、悪者になることなく自分の欲を叶えることができるのです。

https://note.com/yuki1192/n/ne3736f94478a?magazine_key=m83ac0d58f5d0

罪悪感の植え付けはその上位版で、正論プラス上下関係を利用します。そして「あなたのせいで私は不利益を被った」というメッセージを与えます。そのメッセージを受け取った相手は「そうか、私が悪いのか…」と罪悪感を持ち、ドクロゴリ押しを受け入れてしまいます。この「お前のせい」メッセージを直接言葉で言ってしまうとちょっと悪者風なので、フンワリと雰囲気で匂わすパターンもあります。

https://note.com/yuki1192/n/n5801637307ca?magazine_key=m83ac0d58f5d0

↑を、本当に闇子ちゃんを心配しているパターンだったらまた話は変わってくるのですが、もし自分がネガティブな性格で、それを子供に押し付けているパターンだとしたら、ドクロのゴリ押しですよね。自分の負の部分を自分で解決できず、他者へ依存しているということなのです。例えば自身に諦めた夢があって、子供にその夢をやらせるみたいなことが典型的だと思います。学歴コンプレックスのある親が子供にハードコアお受験をさせるようなことと同じです。

正論と罪悪感の植え付けは、真面目で善良な人が増えた現代だからこそ効果的になりました。逆になんでもギャグにする空気が伸びた90年代は不良が多かったので、正論や罪悪感で攻撃されても「知らねーよばーか」でダメージゼロのことが多かった印象です。言い換えれば、民度の低かった時代には低いなりの、高くなった現代は高いなりの、ドクロ正当化テクが存在するということです。そしてそれを見抜くには、何か他人にモヤっとすることをされた時に、その人の本質にある他者への依存性、幼児性、自身の問題を自分で解決できない弱さに気づくことだと思います。もしその人が自分より立場が上だったり社会的に立派とされている人でも、人としての強さ/弱さとは関係ないので惑わされないようにしましょう。逆に弱さを弱さとして表し、他者に「助けて」と言えたり、むしろ自分が悪者になることを受け入れている場合は問題無いと思います。本当の意味で強い人はあまりいませんし、だからこそ助け合ったり、分かりやすい悪者が発生するからです。全員が強くなって自己完結して悪者ゼロの世界はありえません。でもそこで弱さをカモフラージュして、時には立場を利用して、自分の欲を叶えるために他人を利用する人が今回の漫画に描いたドクロメン達です。そういう意味では、大人や権威に逆らうのが普通だった不良ばかりの時代にも学べる所があると思います。それを意識して描いていたのが、「杉村くん」のシリーズです。興味がありましたらぜひ読んでみてください。

正論や罪悪感の植え付けについては、こういう漫画も描きました。

あと、おまけでペン入れ動画も作りました!


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